第2章 聞き間違いであってくれ
その女性は、名をリンと言った。
色白の肌は透き通るような美しさ。それでいてもしっかりとした身体つきは何か運動をしていたような筋肉のつき方だ。そんな失礼なことを思いながらまじまじと見つめる僕に、クスクスと笑いながらリンは聞いてるー?とおちゃめな反応を見せた。
「あ、ええと、いつも登山雑誌見てる方ですよね?」
「そ。気になってたから声かけちゃった。迷惑だった?」
「いえ、嬉しいです。登山、僕も好きです。」
「だよね!そうだ、今度近くの〇〇山登るんだけど一緒にどう?」
ほぼ初対面、リンは臆することもなく僕を誘った。ちょうどその山は僕が次に登ろうとしていたところで、断る理由もなかった。
「いいですよ。ルートはどうしますか?」
「んーとね・・・。」
本屋から移動しながら話す。駅前につく頃には、すっかりリンと打ち解けていた。
「カンジくん、ありがとね。」
美人に名前を呼ばれ少しドキッとする。と、同時にあれいつ名乗ったっけなと疑問に思った。
そんなことは気にせず彼女はひらひらと手を振ると改札に入っていった。バスに乗る僕はその姿を見送り、そのまま目的のバス停に向かった。
週末、リンはカジュアルな登山客ではなく、しっかりとした登山家の格好をして現れた。僕も同じく大きなリュックを背負い、じゃり道を踏み締めていた。
「おまたせ!いやー様になってるね!」
「リンさんも装備は完璧ですね。」
「ありがと!じゃ行こうか。」
2人で時計を合わせ、地図を持ち頂上へのルートを確認する。今回は登山客向けにある程度解放されている山なので、下手に道を外れなければ遭難することはないだろう。
ザク、ザク。ジャリ、ジャリ。ギュッ、ギュッ。
登っていくたび足音が変わっていく。
それはリンも同じようで、その手応えに2人して感動していた。これは山に登る人ならではだろう。3.8kmの道なりを歩き切り、山頂で深く深呼吸をする。ここまで登ってくる観光客は少ないようであちこちで背伸びをする人、寝転ぶ人など同じような装備をした人たちが目立った。例にもれず、僕たちも伸びをした後、おにぎりを拵え、がぶりと噛みついた。山頂ならではの美味しい空気が香辛料となりさらに美味しさが増す。
「美味しいですね。」
「んーんん!」
話しかけるタイミングがおかしかったのか、口に入ったままもごもごとリンが答える。たぶん、そーだね!と言っているのであろう。ふふっと笑いながら残りのおにぎりを食べた。
しばらくして下山していると、8合目のあたりで前を歩いていたリンが突然止まった。
「リンさん、どうしまし・・・。」
「アコニツムだ。」
「・・・えっ。」
リンが指さした先に、僕はゾッとした。
群生する紫色。
祖母を殺した悪魔。
そしてその呼び方。遠方に飛ばされ聞くことのなくなった言い方。
「リンさん。」
「怖いよね、管理事務所に言っとこうか。」
彼女は気づいていない。
アコニツムは僕がかつて祖母と住んでいた地域の呼び方であることに。