東京金満大学
東京金満大学
耕太はネット上で東京金満大学と称する私立大学を知った。あまり聞いたことがない大学名であったが、耕太にとって圧倒的に興味津々(きょうみしんしん)たる大学名とその内容だった。
彼は早く父親を亡くしていたので小学校へ上がる前から母子家庭で育った。
早速この大学の入学案内書を取り寄せ仔細にみると、なんと授業料は年間何千万、何億でもよいし、上限も下限もないと謳っていた。学部は経済学部だけだった。
耕太は『この大学最高と』驚愕し歓喜した。
大学へ赴いて入試係へ入学について面談を申し入れた。
彼は先ず、受講料について聴いてみる。「どのくらいが常識的に、適切な受講料ですか?」「幾らでもよいのです」との担当者の応えだった。
耕太はおそるおそる尋ねてみた。「それでは、年間受講料1円でもよいのですか」「それでよいのです」あっさりと、誇らしげに説明してくれた。
耕太は翔んで喜びたい気持ちを抑え、さらに訊いたみた「それでは他に何か条件がありますか」「何もないです」とさりげい回答だった。
しばらくして担当者が強調したことは、「まず勉強はそこそこでいいので、学生間の密な交流が条件です」と説明してくれた。
この条件は耕太にとってたやすいこと。人のいい彼は母子家庭にありそうな暗いイメージでなく、母親の影響もあり明るい家庭環境で育ったので人付き合いは得意だった。
それにしても、いまいち納得できなかったので再び尋ねてみた。「どうしてそれだけの条件で入学できますか」「本大学の学生は、あまり勉強しない富裕層の学生が多く、将来自分の会社の社長を約束されているので、卒業したら本大学の卒業生間の濃密な交際のおかげで、会社は繁昌します。
また卒業後、彼等の会社から莫大な寄付金が集まります。
大学内に集金課まで設けていますよ」と自信ありげに説明した。
それで、耕太等貧困層の学生が少額で入学しても、十分に採算があうし、貧困層の学生もこれ等学生と交流すことで将来、企業も容易となる。「貴方が儲かったら寄付金をお願いしますよ。
私どもの大学は、社会貢献型ですので、その点、寛大ですよ。心配しないで下さい」という説明に安堵した。
すると、社会貢献型の大学でない、ビジネス優先の大学もあるということかと耕太は考えた。
日本の大学の何割かは定員を満たさず、中国・ベトナム・東南アジアなどから留学生を募集していると聞く。一般にこれ等学生は親類縁者から多額の借金をして、日本へやってくる。
最初は日本語学校へ入学して、その後大学へ入学。学業とアルバイトの両立を図ることで、何とか卒業が可能となる。
また文部科学省官僚達の天下りで、そのような大学へ再就職してお国から、多額の交付金を引き出させるのだ。
代償として高給で迎えられる。という話を私立大学の職員で耕太の先輩から聞いたことがある。
それはともかく、この際耕太にとって好条件が満載なので入学を決意する。
入学してみると、耕太と似た環境で育った受講生が耕太以外に2名いた。一人は早紀もう一人は兼人だ。富裕層でない3人というこの少数の入学者にも驚いた。何故、少ないのか。
富裕層との交際費を払えないということだった。
他は皆富裕層の子女だった。
これ等の受講生は甘ちゃんか見栄っ張りの人種だった。富裕層によくあることだが、インテリぶって、自己顕示欲の強い輩だ。
常にパーティが開かれていた。それは、彼らの豪邸だったり、高級ホテルであった。
この3人は境遇が似ていたので、必然的に仲良しになり、常に行動を共にした。
しかし、交際費がないということで、この富裕層と付き合いを拒否している訳に行かなかった。
そこで、3人は協議の結果出した結論は、これら富裕層の家庭教師をして、交際費を捻出することにした。なぜなら、この3人は成績優秀で入学した。大学入学後の勉強も励んで、特に、耕太はトップで、IT関連の科目をよく勉強した。卒業後に短期間でその分野で企業を興して富裕層の仲間入りをしたかったのだ。その知識を生かして、勉強嫌いの富裕層学生の家庭教師をし交際費を捻出したのだ。協議の場所は早紀のおんぼろアパートだった。
やがて兼人と早紀は耕太のいないところで親密になる。
兼人は顔も端正で、背も高く女性にもてた。早紀も彫りの深い日本人ばなれした顔していて、スタイルもよかったし男性にもてた。
耕太と言えば、太っちょで、顔も3枚目だったので、女性にはもてなかった。
そのせいか勉強だけは死に物狂いで勉強した結果、常に成績は1位をキープしていた。ただ家庭教師の数は兼人と早紀には負けていた。
兼人には、多くの女性の学生が、早紀には多くの男性が教えを請うた。
しばらくして、耕太はこの二人の関係を知ることになる。二人が妬ましかった。
その内に、父が財界団体の理事をしている翔太だけは、耕太の実力を見抜いていたので、多額の受講料を払って教えてもらった。翔太の父は渋谷駅近くにタワーマンションを所有していた。100年前の操業以来、繊維事業をメインに投資会社も経営し、東京事務所としていた。そして、個人的にも、親密な関係となり、卒業後は翔太の会社へ入社することまで約束した。
いよいよ、彼等は卒業をむかえ、耕太は約束通り、翔太の会社へ入社した。しかも、特別待遇で。いきなり、専務取締役に就任した翔太の秘書となり高給で優遇された。
耕太はIT関連の開発能力が、ずば抜けていた。これを機に、自宅でIT技術を駆使して、『如何にすれば人々を惹きつけられるか』という課題を密かに研究することに没頭した。
耕太は入社して、1年目で、概ね重役以下平社員に至るまで仕事の出来る人として印象付けることに成功する。また、勤務後はスポーツジムへ通って身体を鍛えていた。
一方、兼人と早紀は共同経営で、投資会社からの支援で、IT企業を起こした。2人は卒業後すぐに結婚した。すべりだしは順調だった。
ところが3年が過ぎたころ、この2人の会社はうまくいかず、倒産に陥った。
そこで、翔太の会社を訪問して、耕太に翔太の会社に入社をお願いした。学生時代のよしみで、すぐに快い返事があり翔太の会社へ再就職することになった。但し通常の待遇で。
二人は困窮して気持ちも落ち込んでいたので喜んで入社する。
耕太は、この頃になると人事部の部長になっていた。株主総会の進行役を任されるほど出世していた。
この会社でも、最近の傾向として、物申す株主に悩まされていたのだ。翔太の父でこの会社の会長にも信任が厚く、息子の翔太より頼りにされていた。スピード出世だ。
更に、翔太の父の勧めで近い将来、翔太の妹・麻衣子と結婚することに成功。麻衣子はお嬢さん育ちで、おとなしく父の言うままに承諾した。彼女は目鼻だちの整った、かわいい人だ。
耕太のIT技術はさらにブラッシュアップされ、完成度の高いものとなったが、どこか異様で奇妙なところがあった。これに気づいたのは兼人と早紀だった。
なにか企んでいるように思える。悪い予兆さえ感じた。この2人は不幸な幼年期を過ごしているので、「社会貢献型の会社であって欲しい」と、上司にその方面の提案をしていたが、耕太のIT技術の活かし方は、この2人から見れば、反対方向に思えた。
耕太のIT技術は表向き兼人・早紀達と同様、社会貢献型の開発をしていたが、ひそかに彼独自の開発を目指していた。つまり、如何に『効率よく行動したら、会社のトップにのし上がれるか』という研究に専念していた。
ジム通いによって、肉体改造を成し遂げ、強力なIT技術で、周囲の人々に威圧感をもたらしていた。感情のない無機質な機械人間と化していた。この二人ばかりでなく、翔太や他の社員にもそのようにうつった。もう、昔のでぶっちょではなかった。
筋肉隆々、顔も引き締まり、結構女性にもモテるようになっていた。
ただ、会長だけは、老齢で時々出社するので耕太のこの状況を把握していない。
相変わらず、息子の翔太より耕太を信頼している。
翔太は気づいていた。でも耕太の実力に圧倒され、黙視していた。
土曜の午後、早紀は、耕太から重大な話があるので彼のマンションに来てくれないかと電話があり、訪問することになった。行ってみると、耕太はいきなり「君が昔から好きだった」と言うなり早紀はベッドに押し倒れそうになった。
早紀が兼人の妻になったあとでも、ひそかに早紀を愛していたのである。これには夫である、兼人もさすがに許せず耕太を攻め立てた。
この頃になると耕太は自制機能を失っていた。機械人間に改造されつつあっ
たのだ。
そこで、心優しい翔太は、「一時休暇をとり、麻衣子と何処か旅行などしてみたら」と耕太へ勧めた。
彼は意外と素直に同意した。
向かったのは、華やかな都会を離れ、南九州の田舎町だった。
鄙びた宿に宿泊することにした。翌朝、村を散策する。ぶらぶら、何処へ行くともなく歩いていると、狭い路地に入った。すると直線の細道が続き、突き当りを右に回ると、直ぐ直線の路地に入る。するとまた、突き当りを左に進む。この状況を繰り返すのみだ。ようやくこの路地を抜けられたとおもったら、類似の路地がはりめぐされ完全に迷ってしまったのだ。
表示板をみるとこ「城下、平家の城跡」という表示版があった。
ここは平家の落人の集落だったのだ。村人もタイムスリップしたように、地味な着物で、あまりしゃべることもなく黙念として、ひかえめに挨拶を交わすのみであった。
耕太の心に、むかし夜間高校で習った平家物語の冒頭の1節が思い出された。
すると800年の夢から醒めたように、元の謙虚な耕太にもどっていた。 心の中で呟いていた。
『ぎおんしょうじゃのかねのこえ,―――たけきものもついにほろびぬ、ひとえにかぜのまえのちりにおなじ』と。
作者 :ハルヤマ春彦