61 [ジル] 逆襲のプリンセス
もうすぐ日付が変わろうかという深夜、私は魔導研究所の前でリズテレス姫を待っていた。隣では所長のマリアンさんが難しい顔をして立っている。
気持ちは分かる。
彼女にとって姫様は、今も昔も、前世でも現世でも子供なのだろう。
これからやろうとしていることを考えれば、心境は穏やかではないに違いない。
やがて街灯に真っ白な髪が照らし出される。
リズテレス姫がこちらへ歩いてくるのが見えた。
「お帰りなさい。本当にゆっくりでしたね」
「チェルシャさんとレストランを数軒回ってきたわ。これは彼女へのお礼だもの」
「あの子がいなかったらと思うと、ぞっとしますね……」
「……まったくね。さあ、出発しましょうか。マリアンさん、それを」
研究所の所長はやや躊躇ったのち、手に提げた大きなケースを差し出した。
渡しはしたものの、やはり一言言わずにはいられないらしい。
「止めても無駄なのは分かっているさ。覚悟はできているんだね?」
「覚悟なら、この国を守ると決めた時にしたわ」
姫様はそれ以上語らず、視線を私に。
「ケースは私が持ちます。風霊よ、私達を大空へ。〈ウインドウイング〉」
巻き起こった風が、私とリズテレス姫の体をふわりと浮かせる。
一気に高度を上げ、上空まで。
方角を確認し、本格的に飛行を開始する。
向かうは東。
この魔法は対象を風の膜で覆い、それを押して飛ぶ仕組みになっている。
どれだけ速度を出しても私達自身が空気抵抗を受けることはないし、会話もできる。
「姫様、そのお姿でよろしかったのですか?」
私は鎧を身につけ、剣も携えている。
一方の彼女は普段着のままで、武器も持っていない。ああ、武器は私が預かったんだった。
「構わないわ。ジルさんを信頼しているから。敵と交戦することはないでしょ」
確かに交戦にはならない。今から行うのは一方的な攻撃。
リズテレス姫は怒っている。
それだけドラグセンの奇襲作戦に肝を冷やしたのだ。
向こうが開戦の口実作りで何か仕掛けてくるのは予想できた。だから国境付近は巡回を増やしていたし、有事には早急にナンバーズが駆けつけられる体制をとっていた。
実際、村々や騎士に被害は出ても、相手の企みは潰せただろうし、開戦にも至らなかっただろう。
想定外だったのは、そこにトレミナさんが居合わせたこと。危うく手塩にかけて育てた彼女を失うところだった。
育てたのは私ですけど、姫様もずいぶん楽しみになさってましたからね。
あっと、あの先はドラグセンだわ。
ルートを外れないように気を付けないと。
「ですがトレミナさんは助かったわけですし、おかげで得られたものも多いでしょう。マナを合わせる〈合〉や〈皆〉などは相当ですよ」
「それは結果論よ。まだまだ備えが足りなかった。あと、トレミナさんのことだけじゃないと言ったでしょ。民間人を狙った作戦が許せないし、開戦を遅らせるためだって」
「そうでしたね。ですが一番はトレミナさんでは?」
「もう、余計なことを考えていると索敵に引っかかるわよ」
「私を信頼しておられるのでは?」
守護神獣の感知範囲は数キロにも及ぶ。
現在、私はそれを避けてドラグセン国内を飛んでいる。
この国にはすでに五十人を超えるコーネガルデ騎士が潜入しており、敵戦力の所在を随時知らせてくれる。諜報能力に長けた者ばかりなので、彼らの信頼性も高い。
「目標ポイントに着きましたよ」
「じゃあ、始めましょう」
空中でそのまま状態を維持。
私は背負ってきたケースを開ける。中には大型の銃が。
黒煌合金製でライフル銃よりさらに一回り大きい。
この世界には存在しない銃だわ。マリアンさんによると、厚い装甲を破壊するための銃を参考に作ったらしいけど。
拳銃とは比較にならない威力と弾速だということは私にも推測できる。
これまでの試し撃ちじゃない、本当の性能が今日見られるのね。
姫様……?
リズテレス姫は遥か遠くの砦に向かって手を合わせていた。
約十キロ先にあるあの砦が今回の標的になる。コーネルキア進攻の際には要となる拠点だ。
「あそこには五竜のヴィオゼームと数頭の上位竜、そして、五千人以上の兵士がいるわ。……この一撃でおそらくほとんどが命を落とす」
やめますか? と尋ねようとした時には、姫様はもう銃を手に取っていた。
銃弾は数発の中から雷属性のものを選ぶ。
「雷霊よ、銃弾に宿れ」
今の戦技にかなりのマナを……。残りは兵器用ね。
この一発は正真正銘、姫様の全力。
リズテレス姫は銃を構える。
十一歳の彼女が持つと、大型の銃が一層大きく見えた。引き金に指を。
ズドンッ!
……ジジ、ジ、ジジ、……ジジ……ジ……。
撃つと同時に砦がすっぽり雷球に包まれた。
放電する音がここまで聞こえるので、かなりの轟音に違いない。
あの中で生きていられる者なんているはずがない。
そう思った瞬間、雷球から黄金のドラゴンが出てきた。
私でも見たことのない巨体。
遠すぎて定かではないが、体長百メートルくらいあるだろうか。
「ヴィオゼームだわ」
「あれが、五竜の一角……」
ドラグセンを支配しているのは人間ではなく、千年以上生きている最上位の竜達。まさに神と呼ぶに相応しい力を秘めた五頭。
ヴィオゼームは翼を使ってその場で飛んでいる。私達に気付いた様子はない。
約十キロというのはあの竜の感知力を考えて設定した距離だった。
リズテレス姫は銃をケースに戻しながらため息をついた。
「彼は人型でいたはずよ。つまり、私の全てを込めた一撃でも、力が半減しているヴィオゼームさえ仕留められなかった」
「……姫様の計算では、開戦はいつ頃ですか?」
「二年後よ」
……私達は二年で、あれを五頭倒せる戦力を揃えなければならない。
次話からトレミナの新学年です。
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