191 キルテナ山脈
気付けば私はコーネガルデの町を一人で歩いていた。
まるで夢でも見ていたみたいだ。そうだ、きっと全て夢に違いない。私が領主になるなんてありえないことだし。
あと、周囲の家々を地盤沈下させたのも絶対に夢だよね。だって私は畑を作ろうと思っただけなんだから。それがあんな災害を引き起こすなんてありえないよ。
なんだ、全部悪い夢だったのか。
まったく、とんでもない夢を見ちゃったな。
ガサッ。
ん? 私、何か手に持って……?
私が握り締めていたのは地図だった。開いてみると、そこにははっきりとトレミナ領と書かれていた。
……夢、じゃなかった……。
私、本当に領主になってしまっている……。
どうにか現実を受け入れようと地図を見つめていると、町の人達が声をかけてきた。
「どんぐりちゃん、朝からやらかしたな」
「周りの家をことごとく地盤沈下させたんですって?」
「ふふふ、いくらジャガイモを作りたいからって町中を畑にしちゃダメよ」
「ほら、焼きたてのパンあげるから、町を畑に変える計画は中止してくれ。あ、いつも娘が世話になってるな、トレミナ先生」
……地盤沈下も夢じゃなかった。
ちなみに、パンをくれたのはエレオラさんのお父さんだよ。そんな奇妙な計画は立てていませんから……。
まずい、人がどんどん集まってくる。
私は群衆に向かってぺこりと頭を下げた。
「皆さん、お騒がせしました」
それから逃げるように自宅への帰路に。
我が家に着くと、まだチェルシャさんが朝ご飯を食べていた。
おかしい、私が出掛ける前に作っていった料理が全て一新されてる。
美少女の天使は私の顔をちらり。
「そんなのとっくに食べた。この家の連中は皆、めちゃ食うし、今日はめちゃ食うと宣言してたから。そのくせ、トレミナ以外誰も料理できない。だから私があるもので適当に作った」
「足りませんでしたか。お手数おかけしました」
よく見るとキルテナとルシェリスさんもまだちょいちょい料理をつまんでいる。セファリスはさすがに満腹になったらしく、ソファーでくつろいでるね。
あとは……、ああ、モアも起きてきたんだ。あの子、何食べてるの……。
モアはフライパンから直接何かをスプーンですくって口に運んでいる。
「あれもチェルシャさんが?」
「そう、だし巻きたまごが食べたいと言ったから、あれを作ってあげた。材料全てをフライパンにぶちこんで、火の通った所からスプーンで剥がして混ぜていく超時短レシピ。ふわふわに仕上げるのがポイント。その名も、ふわふわだし巻かないたまご、だ」
「……チェルシャさんらしいレシピですね」
フライパン片手に食べていたモアがくるりと振り向いた。
「……お、美味しいです」
「そっか、よかったね……」
とにかく私は家族の食事量を計算できていなかったらしい。チェルシャさんには感謝しないと(チェルシャさんがいたせいでもあるんだけど)。
そういえば、領地をもらったこと、皆に何て説明しよう。発覚するまで説明しなくていいかな。色々と言われそうだし……。
と考えを巡らせていたら、キルテナが私の持っている袋に気付いた。
「それ、パン工房エレオラのじゃん。おみやげか? おみやげだな!」
「帰る途中でおじさんにもらったんだよ。あげるけど、……どれだけ食べるの」
「パンは別腹だ。それでトレミナ」
「何?」
「誕生日プレゼントは何だったんだ?」
……なぜそれを。
私が固まっているとチェルシャさんが自慢げに。
「姫様が今日あげると言っていた。姫様は親友の私には色々教えてくれる」
結局、私は領地をもらったことを話さざるをえなくなった。
一番驚いていたのはセファリスだろうか。私達のノサコット村もそこに含まれるんだから当然だよね。
「村の皆もびっくりよ。トレミナが自分達の領主様になるんだもの」
「いや、そういう身分関係はなくて、私が皆の代表になるみたいな感じで」
「え、搾取しないの? イモ税とか作って」
「しないよ……。イモ税って何……」
姉にとって領主とは、悪、倒されるべき者、のイメージなんだと思う。世界の大半の領主はたぶんちゃんとやってるはずなのに。
セファリスと話していると、キルテナがウザゴン気味に絡んできていた。
「なあなあ、姫は私の誕生日プレゼントについては言ってなかったか?」
私の腕を掴んでガクガク揺らしてくる。
ちょっと、ウザいからやめ……、いや、何か思い出しそうな気が。
ガクガク、ガクガク。
領地の話を聞いてから記憶が曖昧なんだけど、リズテレス姫は確かにキルテナに関しても言っていた。
そう、確か……。
ガクガク、ガクガク――。
「キルテナさんがヴィオゼームの娘だったとはね。やっぱり情報って大切だわ(危うく殺してしまうところだったわよ)。それで彼女へのプレゼントなんだけど、ここをあげようと思うのよ」
――思い出した。
私はまず地図を広げて確認し、次いでキルテナの顔を見た。
「キルテナには山脈をくれるって」
「山脈って、山の山脈か……?」
「うん、山が連なった山脈。この場所だよ」
私が地図上で指差したのはコーネルキアの北東の端。つまり、ドラグセンと接するトレミナ領の東の端に当たる。
横から覗いていたチェルシャさんが最初に反応した。
「そこはノースドラグコーネ山脈。確かマナスポットだったはず」
マナスポットとは空気中のマナ濃度がとりわけ高い一帯で、植物が育ちやすく、動物もよく集まってくる場所だ。ついでに野良神も呼び寄せてしまうんだけど。ルシェリスさん達が暮らしていた南方地域のあの渓谷もマナスポットだよ。
「そう、国内最大のマナスポットで、名称もキルテナ山脈に変えるって」
「マジか! すげー!」
地図を見ながら飛び跳ねるキルテナ。
……私にはリズテレス姫の意図が分かる。
あの山脈はドラグセンとの国境上にあって、どちらの国に属するか微妙なところなんだよね。実際、ドラグセンの竜神達もちょくちょく狩りに来てるんだとか。
姫様はそれを、自国の領土、キルテナ山脈として一方的に宣言するつもりだ。五竜の娘が守護しているとなれば、あちらは手を出しづらくなる。
本当にリズテレス姫らしい発想だけど、おかげでトレミナ領の安全も守れるし、今回は乗っからせてもらおうかな。きっと姫様もトレミナ領のことを考えて門番を置いてくれたんだと思うし。相変わらず腹黒く優しい人だ。
「キルテナの山脈なんだから、しっかり守らなきゃダメだよ。頑張って」
「任せろ! キルテナ山脈を荒す奴はこのキルテナが許さない!」
頼んだよ、トレミナ領の守護神獣。
ふわふわだし巻かないたまご、私もよく作ります。
時間のない朝などに最適です。
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