169 狐神戦争 世界最強の師弟
気温が下がったのは一瞬のことだった。
周囲では、凍結後すぐに解凍された空気中の水分が煌いている。
駆け抜けた冷気は一地点に。
九尾の狐、ミユヅキさんを狙ったように、その場所だけ猛吹雪が発生していた。凄まじい冷気が全方向から巨体を襲う。
「ギャウゥ――――――ッ!」
ミユヅキさんはマナを全開にするも、全身の凍てつきを止めることはできない。
すると、口元から溢れた炎が体を包みこむ。
これは、〈火の牙〉をさっきの結界魔法みたいに。五百歳を超える神獣なだけに応用力がすごい。
だけど、まだジル先生の魔法が押してる。
ジュ――……、……パキ、パキパキ……。
少しずつ毛の先端から凍っていく。
全能力を防御に注ぐミユヅキさん。攻撃に移る暇も、瘴気を出す暇もない。もう前後の両脚が氷漬けになってるから逃亡も不可能。
彼女は血迷いながらも、たぶん頭の一部では冷静だった。
毒のマナを放てば、レゼイユ団長やメアリア女王でも対応に時間が取られる。その隙を突いて逃げる算段だったんだろう。
けどそんな目論見もついえた。
ジル先生の〈アーサス・ブリザード〉は神クラスの神獣を完璧に封じてしまった。
この秘伝の魔法は、本来使用者から半径約一キロメートルという広範囲を攻撃するものだ。野良神の群れ全体の力を削ぐ目的で作られたそうなんだけど、先生は巧みな制御力で範囲内の好きな地点に集中させることができる。
というのが、出発前に私がリズテレス姫から聞いた話。
さらに先生は一族の育成術を姫様と発展させ、徹底して効率的な修行法を編み出している(学園で教えているのはこれだよ)。元々の土台に加え、十年間その修行法を実践したことで、ジル先生はアーサス家歴代最高の使い手になったらしい。
こうして回避がほぼ不可能な封印魔法が完成した。
ただ、封印で済むのはあくまでも相手が神クラスの神獣だから。
……私はジル先生の実力を読み違えていた。
私だけじゃなく、皆も同様だったようだ。
全員が〈アーサス・ブリザード〉に釘付けに。
この魔法を実際に見たことがあるのはリズテレス姫だけらしく、揃って今回が初見。同業者一族のリオリッタさんは伝え聞いているかもしれないけど、最高到達点である先生のは知らないだろうって姫様は言ってたね。
レゼイユ団長も、凍てつく九尾の狐から目を離せないでいる。
そっと彼女の傍へ。
「団長、〈アーサス・ブリザード〉に耐え切れますか?」
「…………、私はいつかこれよりすごい秘伝の技を編み出します」
秘伝の技を、編み出す? えーとまあ、無理ってことみたい。かなり悔しそうだ。
ジル先生は確かに言っていた。戦いはマナの量だけで決まるわけじゃないと。
マナを操る技術だったり、戦術だったり。
そして、持っている手札だったり。
人類最上位魔法を歴代最高まで昇華させたジル先生は、実質的に騎士団のナンバー1だと思う。
皆が同じ考えに至ったのか、一斉に視線が先生へと集まった。
弟子の私が代表して。
「先生、大変な切り札を隠し持っていましたね」
「隠していたわけではなく、使う必要がなかっただけです。秘伝の魔法なので、見せびらかすものじゃないのは確かですが。同級生全員が見ている教室で、なんて言語道断ですよ」
「……リオリッタさんですね」
「それより、のんびりしていないで早くしなさい。おっとりですか。私が封じておけるのはあと一分弱です」
ジル先生の額には汗が浮かんでいた。
その体内マナもどんどん消費されていく。
あれだけ高密度な魔法を維持し続けているんだから当然だ。私、のんびりとおっとりしすぎてた。
「すみません、すぐにやります」
直径約五十センチのマナ玉を作ると、今度は私に注目が集まる。
そうだった、これも高密度なボールだし、団長と先生以外は〈トレミナキャノン〉を見るの初めてだっけ。
アイラさんがしげしげと手元の接合部分を。
「すごい、本当に別々のマナが一体になってるわ。どんな速度で飛ぶのよ、これ。神水晶を粉砕するわけね。……くく、何も心配することはなかった。これだけ神クラスを無力化できる魔法に、当たれば致命傷確実の戦技。あなた達、相性抜群よ。きっと世界最強の師弟ね」
「ピッタリはまってきたので私も驚きましたよ」
ジル先生は言葉を切って少し間を空けた。
それから改めて私の顔を見つめる。
「トレミナさん、どちらにするか決めましたか?」
「…………。はい、決めました」
私は皆からやや距離を取る。
バーストの影響が大丈夫だと思えるくらい離れると、頭上にマナ玉を掲げた。
〈アーサス・ブリザード〉で身動きの取れないミユヅキさんのマナに焦りの色が。
分かるよ、それでも心のどこかで私が手加減すると思ってる。
私も先生もずっと降伏を勧めてきたからね。
もし受け入れてくれたなら、それでよかったんだ。こんな選択はせずに済んだ。
さっきまであんなに人を疑っていたのに、どうしてここはそうじゃないの。
一番信じちゃいけないのは、私だったんだよ。
――数時間前。
出発を前に、私はコーネガルデの騎士団本部で、リズテレス姫から資料を見せてもらっていた。
夜明けまで時間があり、窓の外はまだ暗い。
読み終わった書類を束ね、机の上に置く。
「ミユヅキさんという九尾の狐なんですが」
私が話し始めると姫様もお茶のカップを置いた。次の言葉を待つ。
「私は絶対に、この神獣だけは許せません」
トレミナは貫通させてしまうのか。
次話は回想の続きから始まります。
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