154 [アイラ]幸運の黒兎
なかなかに物分かりのいい狐神で助かるわ。彼女には少し待ってもらって、先に私のやるべきことをしよう。
今からトリガーを引く。
シエナに歩み寄り、その顔をじっと見つめた。
「な、何ですか、同志アデルネ」
「あなたに私の本当の名前を教えるわ」
「本当の、名前……?」
「そう、私の名は、アイラ・デルセレント・ネイザム」
「長い名前……、え、アイラ……?」
こう呟いたのち、シエナは固まって動かなくなった。
やっぱりあなたは『彼女』なのね。
横で聞いていたロイガが驚きの声を上げる。別にあなたには話してないわよ。
「お前、古代種の末裔だったのか。いや、【古玖理兎】だから不思議ではないが……」
「まあね」
不思議じゃないなら黙ってなさい。
と思っていると、同志達も騒ぎ始めた。
「急にどうしたんです! 同志シエナ!」
「大丈夫ですか!」
シエナは硬直したまま、目から涙を。
「……分かり、ません。分かりませんが……、涙が止まらないんです」
私は彼女に向かって手を差し出す。掌の上に半透明の小箱が出現。
これは技能結晶と同じ技術よ。
ただし、入っているのは全く別のもの。
「この中に入っているのは、私の記憶の一部。おそらく、あなたに関する記憶よ」
「私に関する、記憶……」
小箱はシエナの胸に吸いこまれていった。
今から話すのは、六百年に及ぶ私の旅の物語。
六百年分だから少し長くなるかもね。
私は保護区と呼ばれる世界樹周辺の森で生まれた。
保護区というのはあくまでも大人の神獣達から守られているってだけ。内部では子供間での熾烈な生存競争が繰り広げられる。
幸い私は兎族最強の種として生を受けた。全神獣を通して見てもかなり強い方なので、生き残るのはそれほど難しくなかったわ。
あと、何か由緒ある古い血筋らしいけど、それは割とどうでもよかったわね。
どうでもいいと言うなら、私にとっては生存競争自体がそうだった。他の神獣達のように何が何でも強くなりたいという気持ちが欠けていたと思う。
ひたすら己を鍛えることを是とする【古玖理兎】の習性など、私には微塵もなかった。
完全に生まれる生物を間違えたわね。
それでも死にたくはなかったから、生き残るのに必要な程度に技は磨いた。
やがて、外の世界になら私の望むものがあるかもしれないと考えるように。
十年の保護期間が明けると、私は外界目指して修羅の森を進み始めた。
地獄の森とか呼ばれているけど、比較的安全に渡る方法もある。
気配を絶ち、ゆっくり慎重に進めばいい。
よほど急ぐ事情でもない限り、絶対にそうするべきでしょ。
千五百キロある修羅の森を、私は二年近く掛けて渡り切った。
その後は野良の森で暮らしつつ、人間達の世界を窺うことにした。
ある日、たまたま野良神に襲われている商隊を助ける。
私も野良神には違いないので、助けられた彼らは相当驚いていたわ。その荷物の中に気になるものを発見。
これが私と本との出会いだった。
興味を示していると、商隊の人達が、持っていっていいよ、とジェスチャー。せっかくなので何冊かいただくことに。
人間が文字なるもので様々な記録をつけるのは聞いていた。そこにどのようなことが記されているのか、私は知りたくなった。
兎神のツテを頼りに、私は〈人型生成〉を持つ神獣に辿り着く。
残念ながら現役の守護神獣じゃなく、隠居中の老兎神だったけど。人間との生活に疲れた守護神獣は、よくこうやって野良や修羅の森で隠居しているのよ。
それで何が残念かって、私は自力で人の身体情報を集めなくちゃならなくなったということ。
人間の町中に飛びこむわけにもいかないので、野良神に襲われている人達を助けて回ることにした。
一度に遭遇できる人間は多くて二十人ほど。
数万人分の情報を集めるのはまあ大変だったわ。
世界各地に残っている、人を助けた【古玖理兎】の逸話。幸運の黒兎と言われているあれ、結構私なのよ。
そうそう襲撃現場に出くわすこともないから、途中から作戦を変えたけどね。
人を襲いそうな野良神(匂いや気配で大体分かる)を監視し、行動に出たところを狩ることにした。この作戦で情報収集はかなり進展したわ。
こんなことを思いつく辺り、私って狡猾なのかしら。
そう感じて、この期間中に【古玖理兎】から【古玖理毒兎】に進化。
狡猾な作戦の甲斐あって、十年ほどで人型は完成した。
ついに念願だった本を読むことができるように。
歴史書から空想小説まで、私はあらゆるジャンルを読み漁る。
とても心が躍った。
寿命の短さから人間を下に見ている神獣もいるが、とんでもない。人間には大きな可能性がある。
私は人型で人間と共に暮らすようになった。
そしてやがて、『彼女』と出会うことになる。
シエナ、当初は脇役だったのにここまでのキャラになるとは。
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