リーダーの風姿
三寒四温という節を経て、冬と行き過ぎて春が姿を現す。駅までの道のりも襟口が汗ばんできたことに気づけば、次の日には道に若葉の芳香が立ち上がって溢れている。ふと眼をやれば、昨日までの竹林が若竹でいっぱいだ。
真っすぐに伸びた竹は香りだけでなく、その風姿が美しい。一本気なところが青い空によく似合う。近づけば近づくほど、こいつは信用できるなという風合いだ。
信用を勝ち取るまでにはそれなりの年季が要る。節がその証しとなる。ひとつひとつの節には、経て来た冬の厳しさが刻まれている。星霜を耐えた時間が節となり、空の雲を追ってまた節を伸ばす。それは冬の時節に黙ってじっと立ち向かってきた姿だから、信用が滲み出す。
よく見ればわかる、節と節の間は等間隔だ。これを節度という。周囲に立ち向かうにも節度をもってせねばポキッと折れてしまう。この理を竹はよく知っている。寒気に耐えて風を読み、竹は節を空に伸ばしてゆく。中に余計な混ざりっ気は持ち合わさない。むしろ、余計なこだわりが成長の邪魔立てをすることを分かっている。無節操のことだ。
無節操なものは、総じて風姿がみすぼらしい。これは人も同じ。余計な執着心を多く抱えていれば、背筋が真っすぐに伸びないのだろう。そんな人は、着る物も身体が着るのではなく、身体が着る物に覆われているだけだから、身に着けているという自覚に乏しく、見ているこちらが厭になる。そういう人物は、おそらく中味が不純物でいっぱいだから、近づくと信用のおけない芳香が立ち上がっている。人は、見掛けで判断ができる場合もあるのだ。
度の過ぎることをすれば周りの仲間の成長を妨げることを知っているから、竹はそんなことはしない。節度を弁えない者がひとりでもいれば、すぐに林は藪に姿を変え、いずれ秋の風に耐えられずに仲間もろとも冬枯れてしまう。
仮に、そんな者がリーダーだったらどうだろう。周囲は荒んで、星霜に耐える気力も体力も持てなくなる。身勝手を通せば周りの生長を妨げる。塩梅と加減を知らないものとは共に生きていくことが出来ないから、本当は退場しなければならないはずだ。しかし、人間の社会はそうなってはいない。余計な不純物を抱えた者がのさばっていることが往々にしてある。しかし、大丈夫だ。そんなときは、その者の姿を凝視することだ。風姿は物語っている。こいつは信用のおけない者だ、と。