持たざる者たち、その昔
バートは、生まれてすぐにノースタッドに捨てられていたらしい。耳、尾、角、羽といった目立った属性もなく、髪が黒かったため魔力も望めないと見切られたんだろうと、いつだったか、本人があっさり言っていた。
ジェシーが来たのは、三つの時。生まれたばかりの弟のジャンも単属性と知った父親が、母親を実家に返し、子ども二人を捨てたらしい。
ダニーの場合は、母が無属性で、もともとどこかの修道院にいたらしいが、何らかの事情で妊娠中にノースタッドに逃げ込み、彼を産んですぐに産後の肥立ちが悪く、亡くなった。
グレースが転がり込んだときにこのノースタッドに居たのはそんな子ども達だ。
あとは、大人といっていい年齢の人々で、最高齢が、まだ五十ほどのベンだった。
子どもやお年寄りは、医療や栄養の不足しがちな場所で真っ先に犠牲になるのだと、当時グレースは思った。
そして、病み上がりの自分がその犠牲に最も近いところに居るのだとも思った。
幸いグレースを託されたモリーナは、愛情深い女性で、突然やってきたグレースにも分け隔てなく接し、彼女が持参した金品を取り上げたり無駄にしたりせず、正しく管理してくれた。侍女が持たせてくれた回復薬も傷薬も、売れば皆の食費になるものを、律儀にグレースに使ってくれた。
けれど、当時のノースタッドの食事は、貧しいものだった。パンはまず出ない。基本的に毎食、ふかした芋や、薄い芋のスープだ。
それは、栄誉状態の良くない住人達が、乏しい労働力で育てたものだ。しかも、場所も良くない。修道院の裏庭と呼ばれる荒れた土地を皆で開墾して、なんとか畑の体を保っていた。
しかし、畑ならばせめて他の作物も育てられそうなものだ。動けるようになって手伝いに行ってしばらくして、グレースはふと思い付いて理由を聞いた。
すると、『荒らされても芋ならなんとか収穫できるから』と答えが返ってきて、驚いた。修道院の直面している敵は、飢えや貧しさだと思っていた。しかしそれは結果であって、その根本は『迫害』なのだと、ようやく実感したのだ。
けれど、この時すでにグレースには、気付いていることがあった。
自分の身体の変化である。属性が減ったことで、何故か残りの属性が強くなったこと。病後、栄養不足にもかかわらず健康を取り戻せたのも、おそらく猫の獣性で身体が強くなったせいだ。この変化には、きっと意味があると思っていた。
そのため、注意深く農作業をする人々を観察した。すると、土属性の人間が居そうなこと、けれど彼らはあまりその力を使っていないことに気づいた。
「ダニーは、土属性なの?」
手始めに、年の近いダニーに聞く。
「ああ。だから、土を掘るの、結構得意なんだ」
そう言って見せてくれたのは、手のひらほどの範囲の土を凹ませる魔法。この世界で、土魔法で穴を掘るというとこれが普通だ……と、グレースの中の常識が頷く。けれど、もっとやれるかもしれない、と、もう一つの記憶が言った。
「……どのくらい深く掘れるのかな」
結果的にこの日、畑の脇にグレースの背丈ほどの深さの穴があいた。そして、ダニーはその場にひっくり返り、ノースタッド修道院は大騒ぎになった。
大人達の、特にモリーナの心配は相当のものだった。何しろここには、誰かが体調を崩しても、薬を買うお金もなければ医者が来てくれるわけでもない。そうしたことを、グレースはこんこんと説かれた。そして、その危険に気付きもしなかったことを大いに反省した。
しかし、当のダニーはけろりとしたもので、目覚めて自分のあけた大穴を見ると、大層面白がった。
そして、止めるグレースなどどこ吹く風で、最初のよりほんの少し浅い穴を、毎日のように作り出した。それが堀のように畑を囲む頃には、ダニーは平気で1日に二つ三つの大穴をあけたり、畑の畝を一度に端から端まで盛り上がらせたりできるようになっていた。
周りは、ダニーに成長期が来たのだと言って喜んだ。ダニーの魔法が強くなったおかげで、荒れた土地の開墾が進んで畑を広げられたのを歓迎したのだ。
しかしグレースは、もっと大きな可能性に身震いした。単属性の人間は、使える魔法が少ないと蔑まれてきたが、一つの属性だけに魔力を注げることで、属性をむやみに増やして多方面に魔力を分散させているよりも、大きな魔法が使えるのではないか。その仮説が証明されたのだ。
魔法は鍛練もイメージも必要なものだから、もともとのダニーが手のひらほどの穴しかあけられなかったのは、『土属性の人間が使えるのは、こういう魔法だ』という固定観念がそれ以上のイメージを邪魔していたためだろう。しかしそれは、たくさんの属性に魔力を分散させなくてはならない人間の常識であって、ダニーの限界ではなかった。そして、彼は自分で鍛練を重ねることで、魔力自体の底上げも行った。
「ジェシーは、どのくらい飛べるの?」
「戸棚の上のあの缶をとって欲しいの」
「屋根の上って、どんな感じ?」
ジェシーと弟のジャンは、二人ともきれいな羽を持っていた。しかし、畑の手伝いや薪拾いなど、修道院では子どもも生きるために日々遊ぶ暇などなかった。そのため、彼らの羽根は肩甲骨の上に収まるほどの小さなものだった。
ダニーのおかげでほんの少し農作業が楽になったところで、グレースはジェシーに飛ぶことをお願いした。もちろんダニーが倒れたことは忘れられない。小さな羽では飛行などできるわけもないから、最初はジャンプして届くくらいのお願いから始めたし、まだ幼いジャンにはさせなかった。
ジェシーがグレースを抱えて屋根の上を軽々飛びこえられるようになるころには、大人達も、これはただの成長期ではないのではないかと考え始めた。
それでも、まだ日々の生活が優先される。畑は広がり、堀のおかげで荒らされることも減ったとはいえ、食事は前より少し多くなった芋がほとんどだ。
「他の何かを育てられないかしら」
呟いたグレースに、そばに居たベンが鼻をならした。
「そもそも誰が種や道具を売ってくれるっていうんだ」
他の大人ははっきり言わなかったが、修道院の人間はほとんどの店で門前払いなのだと、このとき初めてグレースは知った。
それは、修道院への迫害でもあるし、そもそも品物を買う代金を持っていないと思われているせいでもあるだろう。ごくたまに奇特な人間の寄付があり、そういう時にだけ足元を見た商人が売れ残りの品を割高に売り付けていく。要らないものでも、断れば次は売ってもらえないから買うしかないと、あちらは強気なのだという。
「私たちを知る人がいないくらい遠くへいけば、どうかしら。単属性か二つ持ちか、服装次第で分かりにくくできるし……」
「馬鹿なことは止せ。遠くへいくまでに泥でも投げられて、どこの人間かわかる格好にされるだけだ」
それまでほとんどしゃべったことがなかったベンが、また言った。振り返ったその顔は、盛大にしかめられている。気難しいと聞いていたが、わざわざ止めるくらいだから、人並みに子どもを心配しているのだろう。
「ありがとうございます。もう少しよく考えます」
グレースは、素直に引っ込んだ。
けれど、その後、そうは言っていられない事態が起こる。
幼いジャンが、病気にかかったのだ。
始めはたまに咳き込むくらいだったのが、止まらなくなり、どんどん痩せていく。皆で心配するが、看病といっても背中をさすったり蒸気をおこしたりするくらいしかしてやれない。
グレースは、自分が持参した品を売ってジャンに薬をと思った。けれど、大人たちは首を左右に振った。
「ありがたいけどな、この辺りには、俺たちに薬を売ってくれる医者がいないんだ」
そうする間にも、ジャンはむせて、ようやく口にした芋粥を戻してしまう。
「この辺りにないなら、遠くへ行って探すしかないわ」
弟を心配して目を泣き腫らしていたジェシーをみて、グレースはほんの数着持ってきていた上質なワンピースに着替えた。そして、大人の目を盗んで修道院を出た。
来たばかりの自分なら、顔を知られていないだろうし、なるべく目立たないように素知らぬ顔で歩けば、大丈夫ではないかと思ったのだ。
しかし、その予想は外れた。
外に出て5分もしないうちのことだ。
グレースは、あっという間に外の子どもたちに囲まれたのだ。