ゼロの価値
「あの女の子、何なの?」
「あの子って?」
「あのピンクの!馬耳の子!」
「マグレガー嬢よ。マグレガー商会のご令嬢で、ここの魔石加工に興味を持ってくださったらしいわ」
「だからって、来すぎじゃない?」
「まあまあ。商売をしようというつもりなら、よく知りたいと思うのは当然なんじゃない?」
ジェシーが珍しく声を荒らげ眉をひそめるので、グレースはなんとなく宥めるようなことを口にしていた。
「でも、それならベン爺でもいいはずなのに。あの人ったらバートにべったりなんだもん」
今度は曖昧に笑うしかなかった。ベン爺さんじゃあ気難し過ぎて会話にならないもの、なんて正論も返せるはずだというのに、これ以上窘めるようなことは、どうしても言えなかった。なぜなら本心では、グレースも、全く同感だったからだ。
名の知れた大きな商会が、修道院で作られたものを扱ってくれるかもしれないというのは、大きなチャンスだ。今まで、作った品は、修道院との繋がりを感じさせないよう、わざわざ遠くの町で売っていたのだ。それをマグレガー嬢は、『無属性手作りは、今後、売り方次第で逆に売りになる』と言っているという。
それは修道院にとっても、商会にとっても画期的なことだ。だからマグレガー商会の人間が入念に下調べをするのは当然。バートが丁寧に対応するのも、当然。
けれど。
内心で、何なの、と思うのは止められない。
マグレガー嬢が毎回くる必要、ある?
あの娘に笑いかける必要、ある?
『バート居ますか?』って、なんでもう呼び捨てなの?
服の襟ぐりが空きすぎ。
しゃべるときの距離が近すぎ。
お付きの人もいるんだから、ちゃんと止めてよ。
バートはなんで、離れようとしないの?
そんなに急に、親しくなったっていうの?
「あ!噂をすれば」
ぐるぐると考え事に耽っていたグレースは、ジェシーが叫ぶまで気付かなかった。
「何だよ二人して」
「バートのことしゃべってたの。ねえ、あのマグレガー嬢、何なの?来すぎじゃない?」
「何って、知ってるだろ、魔石の加工技術を確認してるんだよ」
「石よりバートを見てる気がするけどー?」
「はぁ?そんなわけないだろ」
バートがただでさえ鋭い目を眇めたが、ジェシーは気にしない。そして、あろうことかグレースに話を振ってきた。
「そんなわけあるよ。あの子、絶対バートに興味もってる。ねえ?」
グレースとバートの目が合った。
その黒々とした目に真っ直ぐ見詰められ、思わず頷きそうになっていたグレースは、はっとして、堪えた。
自分にそんな権利はないと思ったからだ。
バートの商売のチャンスにも、交友関係にも、口を挟む権利はない。まして、もしもの話だが、ジェシーの言うように恋愛に発展するとしたら、バートの逆玉を邪魔する方が、それこそ『何なの?』だ。
いっそ、相手が身分違いの貴族なら、血筋と体面を重んじるから、もしもの想定はあり得ない。けれどマグレガー商会は、富豪とは言え平民で、しかも他国にも拠点があるというから、家族も柔軟な考えの持ち主かもしれない。それに。桃色のツインテール、馬耳、猫のしっぽが脳裏をよぎって、ずきんと胸が痛んだ。
グレースは、そっと呼吸と声を調えて、言った。
「それならそれで、いいお話よね」
「……グレース……」
一瞬というには長い空白が生まれた。
沈黙を破ったジェシーの声はうって変わって弱々しく、目線は気遣わしげだった。その目が、グレースとバートの間で彷徨う。
何か間違ったらしいことは、嫌でも分かった。慌ててグレースは言葉を継ぎ足す。
「ええと、つまり、マグレガー嬢は正統派美少女だし、おうちも立派だし。何も、外野が咎めることは、ないんじゃないかって……意味で……」
「なんだよそれ」
バートの目は明らかに怒りに染まっていた。それから彼は、それはそっちの方だろ、とぼそっと吐き捨てると、くるりと踵を返した。
「バート!夕飯だよ?」
いらないと言い放った後は、もう振り向きもしなかった。
「おはようございますグレース様!」
このところ修道院内は賑やかだ。
療養していた怪我人も、ほとんどが健康を取り戻し、人手が多いのだ。
もといた修道院を焼け出された彼らには戻る場所がないので、彼らは新たな建物が準備できるまで、ここで畑仕事や見張りなどの手伝いをしている。
それはいいのだが。
「おはようございます。あの、何度も言ってますけど、その様っていうのは……呼び捨てでお願いします」
「いやいや、グレース様を呼び捨てになんてできませんよ」
笑って取り合ってくれない。
ちなみに彼らは、グレースとともに救助に駆けつけたジェシーのことも、天使様と呼んでいる。
手を差し伸べた以上、ある程度の責任が生じるのは覚悟していた。もともとグレースは対外的な顔になることが多かったし、今回も代表者になるのに不満はない。しかし、グレース『様』と言われる度、思った以上の期待や責任が自分の肩にのし掛かっているのを、実感する。
本音を言えば、今のグレース自分のことでいっぱいいっぱいなのだが。
何しろ、バートに会えない。
いや、建物にはいる。遠目で見かけて、通常運転の仏頂面なのは分かったが、目も合わなかった。そして食堂などで居合わせても、さっさといなくなるということが、続いている。
バートは普段通りで自分が気にしすぎなのだと、思おうとして3日が過ぎた。ここまで来るとやはり、避けられていると思うしかない。……こう考えるのが嫌でうだうだ言ってきたが、まあ、十中八九これが当たりだという自覚はあった。
バートがグレースに腹を立てているのならば、なんとか早急に解決したい。怒っているバートと話すのは怖いが、グレースはそれ以上に、黙って待つのが苦手なのだ。
そこで、仕事の合間に作業場に押し掛けた。そして、魔石を削る後ろ姿に話しかけた。
「ねえ、私、何かした?」
「は?何だよ急に」
何だよと言いながら、すでに声は低いし振り向きもしない。胃がきりきりしてきたが、ここで退くわけにもいかない。
「なんか、バートが怒ってる気がして。何かしちゃったんなら、謝りたいと思って」
「お前は、なんかしたと思うわけ?」
バートがようやく振り向いた。けれど彼は、怒ってない、とは言わなかった。そこでグレースは、ぼそぼそと心当たりを挙げた。
「それはほら、結局バートの言った通り、こんな騒ぎになっちゃったし。それで、バートにまで案内役とか見張りとか、お願いすることになっちゃったし……いろいろ」
バートが何も言わずにただ頬杖をついて冷然と
見つめてくるので、グレースの胃は雑巾のように絞られている。
「その、迷惑かけて、本当にごめんなさい」
しっかり目を見て謝った。
けれど、バートはいっそう冷え冷えと睨み付けるように目をすがめた。
「お前、本っ当にむかつく」
「なっ!だ、だから、ごめんって言ってるの!」
「何にも分かってないくせに謝られんのなんて、ごめんだ」
「じゃあ何で怒ってるか教えてよ」
「絶っ対嫌だ」
これには、グレースがはぁ?!と声を挙げた。
「それで、何も分かってないって言われても困るんですけど!?」
「自分で考えろよ!」
「『自分で』って言ったって、だってあんまり急じゃない!?そんなんで分かるわけないじゃない!」
「むしろ何でわかんないんだよ?!本気で、欠片も分かんないんだったら、さっさとどこへでも行ってくれよ」
「ちょっと!酷いでしょそれは!」
「うるさいッ!」
つかみ合いになりかけたところに、ベンの雷が落ちた。
「いちゃついて作業の邪魔をするなら出ていけ!」
「「い、いちゃつく?!」」
――ベンが、『いちゃつく』って言った。
ベンから出るとは思わなかった単語に、内容以上の衝撃を受けた。それで二人してポカンとしていると、
ギリッと音がしそうな目が、今度はバートに向く。
「そんな顔して削っても石を駄目にする」
いつからそんな無駄遣いができるようになった、と口に出さずとも言っている気がした。恥じ入るように俯いたバートと共に、グレースもはっとした。
二人してもごもごと謝って、作業場を出た。木製の扉を音を立てないようにそおっと閉じながら、改めて思う。
どちらからともなく、ため息をついていた。
気難しいベンに怒られることなど日常だが、今日は堪えた。
簡単なことではなかったのだと、思い出させられた。この扉一枚、新しくするのだって。魔石なんて高級品を手に入れられるようになったのは、本当にここ数年のことだ。
それを忘れたことなどないつもりだったのに、いつの間にか、いろんなものへの感謝が薄れていたのかもしれない。その事に気づかされたのだ。