ゼロの視界を
王子が目をかけていると噂になってからは、視察や寄付の数がが鰻上りになった。それこそゼロが百にはね上がったほどの違いだ。ともすれば周囲の嫉妬をあおるが固辞することも難しいそれらは、話し合いの末、襲撃被害にあったところを中心に、他の修道院への支援金に回している。
王子に対する媚びへつらいの一貫として寄付を申し出る貴族達は、大抵、金だけ使いの者に託すが、中には寄付ついでに見学もしたいという者もいた。
そういった手合いへの対応は、元々グレースがしていた。しかし、夜の警備のために夜通し起きていたいため、バートの言いつけ通り半分昼夜逆転のような生活になった。彼が脅し文句でも言ったことを本気で実行する人間だと、グレースは知っている。その上、バートだけでなく皆の母的なモリーナなど他の皆にも心配されて、さすがに意地をはりとおせなかった。
そのため、少なくとも日の出から午前中は眠る生活となり、視察の対応に他の者の手も借りることになった。
そして、バートもその一人だった。
彼は大変人嫌いのため、普段は工房から出ることすら嫌がるのだが、珍しく自ら名乗り出た。
事前指導に当たったグレースの心配をよそに、彼は、敬語も見学の手順も難なく頭にいれた。普段の態度が嘘のようだが、考えてみればバートの作る品は繊細だから、性格が粗雑な訳ではないのだろう。
しかし、本番相手を前にしてどうなるかは、分からない。バートは基本的に貴族が……というか他人が嫌いだし、人を煽る天才なのだ。
その日の起床後、人手不足になりがちな乳児の世話に加わったものの、グレースはやきもきしていた。
「バート、ちゃんとやってるのかしら」
「あれで根は真面目だもの、大丈夫よぉ」
「でも、バートって、口が悪いし……この前も、私の猫の刺繍を見て『変わった馬が刺せるようになったんだな』って」
「それは、バートの口じゃなくてグレースの腕が悪い」
「あ、あのときの猫はちゃんと、耳が二つにできてたの!っじゃなくて、バート、本当に、怒らせてないかしら」
「もう!バートバートばっかりだね。そんなに気になるなら、見ておいでよ」
結局周囲の言葉に甘えて、というかにやにやと笑われて居づらくなったというのもあって、あやしていた子どもを他に任せて回廊を覗くことにする。
そこで、見つけた。
いつもよりぱりっとしたシャツを着て、にっこり笑顔とはいかないまでも、誠実な案内役として語るバートの姿を。短めな墨色の髪の下に覗く眉も目も、こうして見るときりりとして彼の硬質で凛々しい雰囲気によく合っている……とそこまで考えたとき、誉めすぎた気がして頭をぶるぶる振った。かたいはかたいでも、頭が固いとか頑固とかそういうやつだ、と。
気を取り直して彼の視界の先には、可愛らしいピンクの髪をツインテールにした、馬耳に長い猫しっぽの見学者がいた。
いろいろと、盛りすぎの気がする。
しかしグレースはそのとき、突然気付いてしまった。
それは、『盛りすぎ』と思うのは自分だけだということだ。この修道院の中にいると気付かないが、言わないから気付かないだけで、おそらくほとんどの仲間の美醜の感覚では、彼女は盛りすぎでもなんでもない、愛らしい娘さんなのだ。
じゃあ、みんなから見た自分は。――――バートから見た、グレースは。
「……やだ、笑っちゃうわ」
笑えるはずなのに、全然笑えない。
背中の傷がひきつれたような気がした。もう全く痛みもないし、気にしたこともなかったそれが、醜く広がって全身を飲み込んだように感じた。
それは幻覚だと分かっている。けれど、同時に気付いてしまった自分の醜さは、実在する。グレースは、無意識に思っていたのだ。皆が属性を一つ位しか持たない修道院の中では、自分の外見は好ましいものだろうと。
その驕りに、今の今まで気付かなかった。
その醜さと、自分の思いの在りかとに、同時に気付いてしまった。
「ねえね?かなしいの?おなかいたい?」
新入りのリリが、下から覗き込んだ。どうやら部屋から追い掛けて来てしまったらしい。
さっと抱き上げることで、うつむいた顔を隠した。
「大丈夫、どこも痛くないよ。リリ」
でも、と言いかけたところを左右に揺らしてやれば、幼女はきゃっきゃと声をあげて笑いだした。その顔を肩に押し付けて、グレースは少しだけ休憩をした。
――――その日バートが案内をした、ピンク色の髪の令嬢は、それから度々修道院へ訪れるようになった。