足し算の人々は揺れる
ノリス子爵の報告は、王子のもとにあげられるとかなりの反響を呼んだ。
国の最底辺のはずの修道院で、魔石の買い付けや高度な加工、薬草の栽培や販売まで行われているというのだ。彼らはその仕事で得た蓄えで、避難者の保護さえしている。
しかしそれにもまして彼らを驚かせたのは、修道院にいる単属性者や無属性者たちが、何故か高度な能力を有していたという点だった。
「ノースタッドからラグラスまで馬も使わず自らの羽だけで、一日で往復出来る人間など、国に何人いる?」
「無属性者が魔法も使わずに石を細工するなど、聞いたこともない」
「たった三人の単属性者で、販売出来るほどの薬草園を切り盛りしているのか。おい、王宮の薬草園は、何人がかりで回していた?」
眉唾だ。
まさか。
子爵が担がれたのではないか。
ほとんどの者が信じない中、王子は犬耳が前に垂れるのも厭わず、じいっと一つの名前を見つめていた。
「この、案内役のグレースという娘の、家名は?」
「聞いておりません。修道院にいる者達はほとんど皆、幼い内に家を追い出されているので、家名がない場合が多いのです」
部下の言葉にそうかと頷きつつも、王子はまだ目を離さない。
「その者が、どうかなさいましたか?」
「いや。ただ、昔、私の婚約者候補にグレースという娘がいたのを思い出してな」
「……それは、もしやあの痛ましい事件の被害者ですか?」
「ああ。他の候補者に妬まれて暴漢に襲われて、羽と尾を落とされた。侯爵家によれば、その後傷がもとで亡くなったというが……彼女も確か、失った属性以外に三角の耳を持っていた」
後々王宮でそんな話題が上がることになるとは、ノースタッドの方では思いもしていなかった。
「疲れたぁー……痛!」
一行が帰った後、ぐったり地べたに座り込んだグレースは、後頭部を叩かれた。
「そこ邪魔」
「バートッ何するのよ!」
犯人は墨色の髪の青年、名はバートという。職人らしく髪も爪も短く、作業用のエプロンを身につけている。
青年が横目だけでグレースを見るので、どきっとしたグレースは、一応そそくさと座り直した。まだ少年の名残のある細身の彼だが、時おり見せる視線には、見透かすような鋭さがある。疲れて人に甘えたくなったグレースが、いつもより少しだけ近くに座ったのを、見抜かれている気さえする。
「猫かぶってるから疲れるんだろーが。見栄っ張り」
疲れていると言っているのに、全く優しくない。それなのにグレースがこの工房に来るのは、ここが他に人の寄りつかない場所だからだ。頑固者の老人ベンと、愛想のかけらもないバートでは、用がなければ近づきにくい。そんな人たち相手ではグレースの側も愛想を気にする必要も無く、しゃべりたくなければ全員無言で3時間、なんてことすらある。つまり、グレースにとっても完全に気を抜いて過ごせる場所なのだ。
だからバートへの返事も、気だるい声のままで良い。
「あのねぇ、貴族相手にぶっきらぼうな態度なんてとったら、無礼打ちされちゃうじゃないの」
「それにしたって別人かと思ったわ」
その主張には納得するところがある。グレースは二つ目の記憶が蘇ってからここに来たので、今まで貴族令嬢然とした振る舞いをしていなかったというのもある。しかし実際今回の視察では、演じてもいた。貴族時代の記憶を引っ張り出して、最も優雅にかつ己の思いどおりにことを運ぶ人物の真似をした。つまり、ある意味別人として振る舞っていたのだ。
そのことをバートに指摘され、なんだか嬉しくなったグレースは頬を緩めて笑った。
「見栄を張ったって言うか……、うん、なんていうか、こちらのシナリオ通りに動かすための演出よ。あの視察の役人さん、私たちのこと『修道院なのに蓄えがあるなんておかしい』って疑ってたの。だから、だったらいろいろ見せつけてアピールしてやろうと思って」
「はあ?アピールって何を」
「単属性でも無属性でも、極めれば、こーんなにすごい力になるってこと。あんたたちが思ってるより実はすごいことやってるんだーってこと」
「……それをお前がやる必要があるのか?」
「あるわよ!」
グレースはがばっと顔を上げる。
「だって、ジェシーほど速く飛べる人、この街に一人だっていないでしょ?この前なんか、領主の館の伝令係を追い越しかけて、難癖つけられないようにって慌ててスピード落としてたの。それに、ベン爺やバートの彫刻はよそで売ってるのよりずっと繊細だし、魔石の無駄もなくて経済的。リックさんの魔法だけで、畑の収穫量が倍増するし……」
話す内にどんどん言いたいことが湧き上がって、声まで大きくなる。膝の上に乗せていた顔が上がり、灰色の目がキラキラと光る。それはとても生き生きとしていて、彼女を魅力的に見せたのだが、あいにくここの連中は一方は背中を向けたまま、もう一方も組んだ足に頬杖をついたままだった。
「って、聞いてる?」
「聞いてるけど。だからって、別にお貴族様にそんなこと伝えなくたっていいだろ」
「駄目よ。だって、私たちの力なんて全然知らないくせに、あんな見下すみたいな態度をとって……そんなの、そのまま帰らせるわけにいかないじゃない?そう思うでしょ?」
グレースは、同意を求めて斜め上のバートの顔をきりりと見上げる。しかし、彼は冷めた目をして、いっそ冷たいくらいに全然、と言った。
「なんでよ!?ベン爺は?!」
「どうせ奴らは変わりっこないさ」
「そうだ、見下すんなら勝手に見下させとけばいい。お前が来てからここの生活も良くなって、今でも十分儲けが出てる。お貴族サマに施してもらう必要なんか無いんだから、あいつらとは極力関わらない方がいい」
素っ気ないベンと、いつにも増して鋭い目をしたバートに、グレースはほんの少しだけ考えこんだ。けれどもすぐににっと笑った。
「分かった。二人とも、私が魔石加工のアピールをしてたから、大量注文が来るのを警戒してるんでしょ。大丈夫よ、そんなにすぐ成果なんて出ないから。まあ将来的には、増産大金ゲットでこの修道院を大きくするのも楽しそうだけどね?」
バートは無言でベンと顔を見合わせた。こんなときだけ、二人はよく目で通じ合うのだ。
そして何故か、駄目だこいつ、というように首を振った。