足し算の世界の人々
「ヤコン地区の修道院が襲撃されたそうです」
「またか。被害は」
「家屋が全焼し、半数以上が逃げそびれました。残る者たちは路上生活を余儀なくされていると予想されます」
「至急、状況確認の上治安維持と救済の方策を出せ」
「は。状況確認は、只今向かわせている最中です」
若き王子スティーブンとその参謀シオドリックは、今月に入って数回目のになる会話を終わらせ、そこでふうとため息をついた。
スムーズになるほど繰り返されているのだ。
「使いが戻ったようです。報告が来ました」
「そのまま読め」
「は。ヤコン地区の修道者たちは、現在、隣の地区のノースタッド地区の修道院に身を寄せているそうです」
「ほう。修道院どうし助け合ったか。ありがたいな」
そこで参謀が首を傾げた。豊かな銀髪が方を滑り、頭上の見事なウサギ耳がぴくりと動く。
「よくまあ、他地区の状況が分かったものですね。我々よりも早く情報を掴んだということになります」
「ノースタッドには、隠遁者でもいたか?」
隠遁者とは、属性に恵まれながらも世俗を離れて敢えて修道院にやってくるものを指す言葉で、信仰のために教会に住みこむ出家者と区別して呼ばれる。
稀にいるそうした隠遁者は、修道院にとって幸いとされているのだが、その数は非常に少ない。
「…もしもいなければ、むしろ襲撃の犯人がいる可能性も出てきますね」
「だが、益がないだろう」
「それはそうですが」
救い主が黒幕とは嫌な想像だが、上に立つ者はあらゆる想定をしておく必要がある。そのため、本気で疑わしいと思ったわけではないにしろ、彼らはノースタッドの修道院について一度調べる必要があると判断した。
「視察?」
「そうなの、そんなの今までなかったのに」
「ええぇ。この忙しいのに」
「そうだけど……それより、何をしに来るのかな」
迷惑だと顔をしかめたグレースだったが、不安そうに言うジェシーを見て、眉間のシワを解いた。元貴族のグレースよりも、生粋の修道院育ちであるジェシーの方が、外部からの客を得体の知れない恐ろしいものと感じるのは当然だろう。だから、グレースは安心させるようにいたずらっぽく微笑んだ。
「このところ修道院絡みで物騒な事件が続いていたから、さすがに上の方々も、何かしないとと思ったんじゃない?それにヤコン地区から逃げてきた人もいるから、何か手がかりが無いか知りたいのかもしれないわね」
聖堂と呼んでいる一番大きな部屋には今、心や体に傷を負った避難者が休んでいる。火傷や疲れがたたって熱を出している人もおり、ノースタッドの住人はてんてこまいだ。少ない薬草の蓄えを出してきたり、水を運んだり、まさに猫の手も借りたい忙しさだ。
そんなところに、今まで来たことのない視察が来るというのだから、本当に止めてほしい。正直に言って、邪魔でしかない。
それでも来るものには応対しないわけには行かない。そのため、一番言葉遣いが正しいはずだという理由で、グレースがその相手をすることになった。
 




