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ゼロの鬱屈

バートは井戸の水を組み上げて、飲んだ。冷たい水が、しゃべり疲れた喉を冷やしていく。

それから釣瓶を置いて井戸のへりに腰を掛けると、深く深く息を吐き出した。


バートが訪問者の案内を引き受けたことは、周囲に非常に驚かれた。

しかし本人からするとそうでもない。動機は、実に個人的なものである。何から何まで抱え込みすぎなグレースの負担を減らして休ませたいのが、第一の理由。それと、グレースと外の人間の接点を減らしたいという、第二の理由。彼女が、あの王子のような手合いにまた見初められるのではと考えると、気が気でない。

だから、今日担当した訪問者が女性だったことには若干脱力している。どうせなら、グレースに当たらないように自分が男を引き受けたかった、というのが本音だ。

その上、当のグレースは、以前担当したマグレガー商会の令嬢とバートが恋愛方面に発展するのではと言い出す始末だ。軽く嫉妬でもしてくれるかと期待した分、苛立ちが倍増した。


「お疲れ。どうだったよ?案内は」

「一週間缶詰で作業するより、きつい。やっぱ、合わない」


バートの肩に腕を回した強者は、ダニー。栄養不足になりがちな修道院で育った者には珍しくがっしりとした体型で、その見た目もそうだが中身の面倒見のよさからも、皆の兄貴分として慕われている。ちなみに土の単属性で、あの見張り用の土塔を建てた一人だ。


「またまた謙遜しちゃって!お前が相手したお客、けっこういい顔で帰ってったじゃん。いやぁ、バートもやれば出来るんだなー!……で、なのに、何をしょぼくれてるんだ?」


しかめた眉、その間にはきっと深い皺がよっていることだろう。引き結んだ唇の奥の歯は、食い縛っている。

不機嫌を絵に描いたようなバートだが、しょぼくれてる、とダニーは言い、バートも否定しなかった。


「まあ、お前がへこんでるのなんて、十中八九グレース絡みだろうけど」


そう、まさにそれだ。深いため息が出た。


「明日また、訪問者がくるんだ」

「へえ。お前、案内すんの?」

「いや、俺じゃない」

「あぁ、グレースか。それで?」

「そいつ、もう二回も来てる男。グレースを名指しで指名。その上なんか、困ってることはないかとか、危険なことはないかとか、そんなことばっか聞いてる。これってもう、絶対グレース狙いだろ」

「うーん……その可能性もある、のかな?」

「なんで、あいつはなんでもかんでも引き寄せるんだ?」

「あー。王子もってことね」

「王子だけじゃない。この前来た蛇尾の男爵も、昨日の青髪のどっかの社長だって、粘っこい目でグレースのこと見てた」

「バート……お前、工房に引きこもってる割にそういうのはよく見てるな」


見たくなくても目に入ってくるのだ。バートは憂鬱な気持ちでそう言った。ちなみに、グレースを指名してやってくる翌日の訪問者とは、王子の側近が送った配下なのだが、そんなことは修道院の誰も分からない。


「でも、あの王子は別として、他は『奇跡の立役者グレース』に興味はあっても、別に嫁として浚っていこうってんじゃないだろ」

「……は?嫁?」

「おいおいそんな低い声出すなって!」


ばしんと背中を叩かれてバランスを崩しかけ、バートはそのまま俯いた。


「わからない。どっちみち、いろんな所から注目されて、引き抜きの声だってかけられてる」

「あー、まあ、なあ」


ダニーは言葉を濁した。それが否定できないからだと、バートは知っている。

グレースは実際、王子が気にかけた娘というだけでなく、彼女自身の、属性や施設運営に関する独自性の高い考え等により、強く人を惹き付けている。昨日のどこかの社長も、今行っている他の修道院への支援についてのグレースの考えを、熱心に質問していた。


「あ!でもほら、お前だってマグレガー商会のお嬢様に気に入られてるじゃん」


少しでも気が晴れるかと話を変えたダニーは、その先にバート専用の沼があることに気付いていなかった。土気色になった顔色にぎょっとして、ようやく救出にかかる。


「え!あっ……もしかして、その件でケンカでもしたか?で、でもそれならさ、焼きもちとか焼いてくれたのかもな?」

「……た」

「え?」

「気に入られてるなら、『いい話』だって言われた……」


ダニーは、あ、とか、そう、とかなんとか、モゴモゴと言葉を濁した。

しばらく二人、井戸に腰かけてぼんやりする。

そして、中庭から回廊になった建物を眺める。バートは、この間ベンに叱られたことを思い出していた。

もともと作業場の増築前は建物は回廊にもなっていなくて、ここは中庭ではなかった。台所と呼べるような設備もなかったので、ただ古井戸のわきで煮炊きをしていた。

修道院は、バートが子どもの頃に比べて格段にきれいになった。掃除をしたり塗り直したり、さらにダニーが土魔法で井戸を修復したりしたことを思うと、感慨深い。バートはバートで、自分の加工品で稼いで買ったみんなの服を、誇らしく思っている。どん底から、ようやくここまで来た。みんなで。みんなのために。だからこそ、分かっている。


「……誰かが、よそにいっちまうってのは……そのチャンスがあるってことはさ、応援しなきゃいけないよな。……本音言えば、考えたくないことだけど」


ダニーの呟くような言葉に、バートも小さく頷いた。

今のこの修道院には、十分な生活がある。

ただ世の中にはずっと上が存在し、元々グレースはその中でも貴族階級の出身だ。綺麗なドレスに上質な鞄一つを持ち、艶々の髪を雨に濡らした少女がここを訪れたときのことは、ダニーやバート以上の年の者なら、よく覚えている。彼女は泣き言を言わなかったが、その服の下が包帯でぐるぐる巻きだったことも、艶々だった髪がすぐにパサパサになってしまったのも、持ってきたドレスや鞄をこっそり手放していったことも、皆知っている。

今では生活水準が向上して、グレースも他の子どもたちも、栄養の行き届いた髪や肌になったが。

それでもその経緯を知っているから、グレースが『いい話だ』と言うのは正しいと分かっている。それに、逆にグレースここを出たいと望んだら、止められないことも。


「……時々、あいつの目玉がいかれてしまえばいいって思う。耳も目も、なんの属性もなくなればいい。そしたら、俺が全部面倒見てやるのに」

「病んでるなぁ」

「分かってる。こんなこと絶対ダニー以外に言えない」


バートの短髪を、ダニーの手が手荒にかき混ぜた。

誰より幸せを願っているはずの相手に、とんでもないことを考えてしまう。バートは、自分が病んでいるのを自覚した。グレースは誰より幸せを掴むべきだと思うのに、それが自分の預かり知らないところだったらと考えると、心臓をかきむしりたい程の焦燥に襲われるのだ。銀色に瞳を輝かせてバートの作った細工物を見るグレースがどんなものより眩しいと思うのに、自分を映さなくなるのならいっそその瞳を閉ざしてしまいたくなる。何もなくても、バートにとって、グレースはグレースだから。

どんなことがあっても、道を探すことを諦めない心。人を蔑まない憐れまない平らな眼差し。へこんでもまた笑う明るさ。

そこまで考えて、ふと気づく。


「……もしそうなっても、あいつ、俺任せになんか、なってくれない気がする」


ぼそっとぼやいたバートに、ダニーが吹き出した。


「確かに!グレースはそういうやつだ。あ、でもさ、それでも無理矢理世話やこうとするのが、お前なんじゃないか?」

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