持たざる者たち、その昔ニ
「お前、あの汚ねえしゅーどーいんから来ただろ!」
「何でそんな服着てるんだよ?」
まるで見張っているようだと思った。
事実、見張られているのだ。内心ぞっとしたが、構っていられないと無視をして通りすぎようとした。
しかし、彼らはそれを許さなかった。
「なに黙ってるんだよ?!」
「ビンボー人のクセにそんなかっこして、生意気なんだよ」
「どうせ盗んできたんだろ!?」
「ドロボー!ドロボー!」
「単属性の上にドロボーかよ!」
グレースは知らなかったのだ。分かったつもりでも、全然理解できていなかった。子どもだろうと大人だろうと、排除すると決めた相手に対して、人間はどこまでも残酷になれるのだ。
すり抜けようとした肩を乱暴に押され、栄誉不足の細い体は呆気なく尻餅をつかされる。
にらみ返して立ち上がろうとするが、その足を蹴られて倒される。
さらには、その中の一人が笑いながら石を拾った。
これは避けられない、とグレースはとっさに頭を守ろうとした。その時、
「止めろ!」
鋭い声が響いた。
それは彼らの注意を引き付けた。
「うわっ。呪われっ子だ!」
「呪われっ子まで出てきたぞ!」
グレースが目をあげると、修道院の門からバートが走ってくるではないか。
グレースは、危ないと伝えようとした。しかしそれより早く、石がバートに投げられた。
彼は慣れた様子でそれを避けたが、そのままこちらへ突っ込んできた。
「立て!」
ぐいっとグレースの腕をつかんで立ち上がらせる。当然彼も包囲の輪のなかに入ってしまっている。そこを狙った二投目の石は、避けようがなかった。
ごつっと嫌な音がして、バートの頭から血が伝って、
「血……!血が……」
狼狽えたグレースは見たまま口走るだけしか出来なかった。しかし、バートは呻きすらせず、そんなグレースを抱えるようにして、とり囲む子どもに近付いていく。
「おい、お前ら。俺は呪われっ子なんだろ?呪われっ子の血を浴びて、呪われたいのか」
子どもたちの顔がひきつった。
「ば、馬鹿じゃねえの?そんなので脅してるつもりかよ」
「へえ?そうかよ」
バートが彼らを睨み付けながら、不敵に笑った。その顔の、顎先までが血に染まっている。
それに怯える周りに対して本人は冷めた顔をして、そうして濡れた動物のように頭をぶるんと振った。
「「うわぁっ!」
血が飛び散ると、子どもたちは一気に逃げ出した。
それを見やると、バートはグレースの腕を引き足早に門へ向かう。
「あ、あの、助けてくれてありがとう。血を、止めないと」
我に返ったグレースは、自力で歩こうとしつつ、礼を言った。
しかし、バートはグレースを一瞥もしないでこう言った。
「馬鹿か、お前。あれだけ危ないって言われてたの、聞いてなかったのか」
血を流しながら、罵る。罵られたけれど、相手が自分を助けて代わりに血を流しているので、グレースは怯んだ。そもそもバートとまともに話したのは、これが初めてのことだった。
「聞いてたわ、聞いてたけど、それより早く、手当てを」
「だからお前馬鹿だろ。こんなところでそんなのんきなことしてられねぇだろ」
それで、バートがまだ彼らが戻ってくることを警戒しているのだと気付いた。あとは必死で門まで足を引きずって歩く。
壊れかけた門の中に入ると、やっと、バートは立ち止まって、グレースを抱えるのを止めた。使えるようになった手で、自分の血を拭って嫌な顔をする。
「あの、これで抑えて」
グレースはワンピースの襟元のリボンを差し出したが、バートは受け取らなかった。
「いい。手で抑える」
「だってすごい血」
「そんな布勿体ないから。それよりお前、ほんとに、言われたことは守れ。お前は外から来て賢い気だろうけど、ここに住むんなら、ここのルールを守れ。さもないと、死ぬぞ」
グレースは唇を噛んだ。助けてくれて感謝している。怪我をさせた負い目もある。けれど、どうしても言い返したくなってしまった。
「でも、安全のためにルールを守ってだけいたら、ジャンはどうなるの?」
答えは、一拍おいて返ってきた。
仕方ない、と。
バートはそれを、表情の消えた顔で言った。それはゾッとするほど冷たくも見える顔だった。けれど、グレースは知った後だった。彼は、自分の安全よりもグレースを助けることを優先した人間だと。来たばかりの、ほとんど話したこともないグレースのことさえ助けたのだ。
だから、仕方ない、とジャンのことを割り切ることが、どれほどバートにとっても辛いことなのか、想像できた。そして、この人にそんな割りきりをさせるのでは駄目だ、とまた強く思った。
「怪我をさせて、ごめんなさい。助けてくれて、本当にありがとう。今度はちゃんと、もっと安全な方法を考える」
バートの目がつり上がった。
「お前、まだ、懲りてねぇのか!?ここでは綺麗事なんて通用しねぇんだよ。死にたくなければ怪我しないで病気にならないで大人しくしてろよ!」
「怪我しないよ。……もう、怪我、させない」
至近距離で強い眼差しを受け止める。
そして、一度断られたリボンを、今度は問答無用でバートの額に押し付けた。彼は痛そうに顔を歪めたが、振り払いはしなかった。
その後、グレースは夜陰に紛れてジェシーの飛行能力を頼りに二度目の作戦を決行した。そして、なんとか二つ先の街で医者から薬を買うことに成功した。
ジャンは持ち直した。弟の快復を涙を流して喜んだジェシーは、その後、幾度となく皆のためにと遠くの街へ出かけるようになり、手に入れた苗や資材で、少しずつ、本当に少しずつ、修道院の環境を整えていった。
ちなみに忠告を無視された形になったバートは、その後しばらくの間グレースと口をきいてくれなかったけれど。
懐かしい夢を見た。
グレースは、真昼の光に目を細めた。
不寝番の後の眠りはいつも深いのに、今日は寝た気がしない。きっと、昨日ベンに叱られたせいだ……と思いかけて、頭を振る。違う、元を辿れば、バートに避けられているせいだ。
あの後バートは畑の手伝いにいってしまい、グレースも忙しくしている皆の中でバートを追いかけてばかりいるわけにもいかなかった。
つまり、何も解決していないままだ。
ただ、『迷惑をかけて』と謝ったことに対して、バートは的外れなことを言われたと憤慨したようだった。それに、グレースに怒ってはいない、ただムカつくとも言っていた。
そこから考えられるのは、案内役について怒っているのではなく、それを通して知り合ったマグレガー嬢とのことに口を挟まれるのが嫌だと、そういうことではないか。
バートは、グレースが不寝番を続けていれば心配してくれた。本来好きではないはずの案内役も、人手が足りなければ手伝ってくれる。
けれど、それは、グレースになにか特別な気持ちで優しいのではない。その証拠にグレースがほとんど話したこともない人間だったときだって、バートは助けてくれた。
バートは、そういう人間だった。分かっていたはずのことを思い出させるような大昔の夢。これはきっと、自分への戒めだ。
グレースは自分の両頬をパチンと叩いてから、急いで寝間着から袖を抜いた。




