第四話『発掘』
「ふぅーっ、ふぅーっ」
「お、おい、大丈夫か?」
「大丈夫でござっ……大丈夫だっ!」
咄嗟に出かけた訛りを無理矢理抑え、かけられた心配の声に反論する。
自分の詰めの甘さを痛感したのは、これが何度目だろうか。上がり切った息を隠し切ることができない。同行するブラギ・シュルツが農夫の癖に汗の一つも流していないことが妙に悔しかった。自分のギルド監査官としての鍛錬は一体なんだったというのか。
シュツル夫妻との衝撃的な出会いから一夜。エルザは目的地――このテュールス大陸四方を囲むダンジョンが一角、『ボレアス山脈』に足を踏み入れていた。探査には長い時間がつきものだ。出来る限り早くから目的地に到達して、色々な調査を行いたかった。案内役をブラギが買って出てくれたのも大きかった。地理を知り尽くしている上にある程度戦闘力もある人物がいれば、安心感も探索速度も段違いだろうと思った。
ところが、ごつごつとした岩肌は想像以上に探索を阻んできた。足を取られ、無駄な動きを増やされ、エルザの体力は予想外のスピードで削られていく。村を出発したときには登ったころだった朝日は今や天中にあり、自分たちもまた、山の中腹には到達しているわけだが……正直、達成感よりも、まだ「その程度なのか」という絶望感の方が先に来る。
「山登りに無理は禁物だぜ。一旦休もう」
「ぐぬぬぬ……」
ブラギの提案が正論なのは疑いようもない。心境はともかくとして、受け入れざるを得なかった。
見えてきた手ごろな岩場に腰掛け、ふぅと一息をつく。
「お疲れ」
「かたじけない……」
差し出された水筒を傾ける。喉を通る冷たさが、楽園の湧水がごとくエルザの身体を潤した。喪われた精力がまるごと戻ってくるかのようだ。水の精霊の力を借りる魔術に、他者の体力を回復させる、というものがあることを思い出す。神聖魔術にも『聖水』などという言葉がある通り。水は人間の生命力と切っても切れない存在なのだろう。血潮、ともいうし。
「ブラギ殿は大丈夫なのか?」
「おん? ああ、俺はそこまで疲れてないから」
あっけらかんと言ってのけるブラギに顔をしかめる。休憩が大事だといったのはそちらではないか。慢心でなければいいのだが……とはいえ、ブラギの体力が尋常でないのは確かだ。別段エルザだって体力がないわけではないのだ。むしろ常人と比べれば圧倒的に長時間動ける方である。ギルド監査官は大変な仕事だ。最低でも、中位から上位の冒険者と同じくらいの力は持っていなければならない。
そんなエルザが音を上げるような山道を、苦も無く昇っていくブラギの体力は、やはり常識の範疇にあるものではない。決して、体力の消耗を抑えるような特別な歩法を取っているわけではなさそうだった。寧ろその動きは煩雑で、エルザの方がよっぽど『戦士』っぽい登山をしていたくらい。大森林で会ったときに感じた剣士の立ち振る舞いはどこにいったのだろう、と首を傾げたくらいだ。
必然的に――ブラギ・シュルツは、そんな小技を駆使して至れる領域に最初から立っている、そういう人物なのだと理解できる。
「まるで底なしだな、その体力」
「そうかぁ? まぁ人並よりはあるとは思うけど……その『人並み以上』の中じゃそこまででもないかな」
エルザにしては珍しい皮肉交じりの嘆息を、ブラギは明るいままで受け流す。その黒い瞳は、ここではなく、今でもない、どこか遠くを眺めているようだった。
「懐かしいなぁ。友達に飲まず食わず眠らずで何でもできる奴がいたんだよ。結局知り合ってから四年間、一度も休んでるの見なかったけど」
可笑しげに笑うブラギ。全く可笑しくはない。いや、ある意味では『おかしい』わけだが。一切の休息を必要とせずに四年を過ごすだなどと、一体どんな妖精種だというのだ。強靭な生命力を持つトロールですら、一日の終わりには睡眠をとるというのに。
「今どこでなにしてるんだろうな」
「もう人間をやめているのでは?」
「かもしんねぇな。天狗になりたいとか言ってたし」
天狗。
またキテレツな単語が出てきた。ゼーロスや東方の大陸にいるという、仙人と魔物の間のような存在だ。最上級冒険者の中に一人、そしてギルドが誇る最強戦力、選ばれた英雄たち――『ギルドナイト』の中に一人、そういう存在がいるのを知っているが……今はそんなものを目指せる人物と友達だという、この農夫の方が余程変な存在に思えた。
三十分ほども座り込んでいると、徐々に体力が回復してきた。水筒と交換で手渡された、イズ謹製のワイバーン・サンドが特に効いた。強靭な肉体を持ったストライクワイバーンの肉は、食べただけでその生命力を捕食者に分け与えるという。どうやら、真実だったようだ。
「もう大丈夫なのか?」
「ああ。そろそろ先に進もうと思う。日が暮れてしまうからな」
「了解。んじゃ行きますかね」
休憩終わり。エルザはブラギの先導に従いながら、山の中腹を更に上へと登っていく。
やがて一際大きな岩が転がる、灰色の天然広場に出た。ところどころに洞窟めいた孔が開いている。そのいくつかは恐らく、ボレアス山脈の内側に存在するという、このダンジョンの真の姿――かつて神話級ダンジョンと呼ばれた大遺跡への入り口なのだろう。
「報告書にあったのは、この辺りか……」
呟きながら、当たりを見渡す。すると不思議そうにブラギが片眉を上げた。器用だな。
「報告書? そういや探索のわりにどっか目指してんのはなんでだろうな、と思ってたけど……もともと目的地があったのか」
「ああ。別にギルド監査官も、何の情報も無しにあれこれダンジョンを探査しているわけではないからな」
もちろん、普段はそういうこともやっているのだが……今回の場合は、れっきとした目的のポイントが指定されていた。
エルザは背負っていた冒険者鞄を下ろすと、その中から一連のレポート用紙を取り出した。グリームニル市のギルドで受け取った、今回の監査に関する事前情報だ。
なんでも一か月ほど前から、この辺りを探索していた冒険者が、見慣れない魔物や魔獣と遭遇しているのだという。特にその内約として、下級竜種の名前が多く記されているのが大層気になる。
『大狂騒時代』は、別名を『龍の狂乱』というからだ。その兆候は、下級竜種の異常増加という形で現れていたとされる。攻勢生態系の頂点に立つ種族、竜。そんなシロモノが通常よりも多く繁殖する世界で、しかして生態系が崩れることなく、むしろその秩序を『守ろう』としたら?
世界そのもののホメオスタシスが、異常な形で発露したとしたら?
――決まっている。世界には竜が溢れ、それと釣り合うように、魔物と魔獣も溢れる。
それが六年前までテュールス大陸を支配していた、四年間の地獄の、現在最も有力とされるロジックだ。
「なるほどなぁ。確かに、最近ワイバーンが降りて来る確率は上がってるかもしれん」
「それは本当か?」
「おう。まぁ村まで来たのは、こないだ墜としたやつくらいで、そんなに多くはないけど」
そのワイバーンを墜とすというのは一体何をどうやったら成せるのだろうか。下級とはいえ竜は竜。特に亜飛竜は下級竜種の中では最も通常種に近い、非常に単体戦闘能力の高い種族だ。無論、ワイバーンは下級竜種の特性として群れで行動する種族である。通常種や、上位の竜……『真龍』の様に、単体で活動できるだけのパワーはない。それでも……群れる魔物としては最強だ。
そんなワイバーンを、恐らく群れからはぐれた一匹だけとはいえ撃滅、そのまま昼餉にしてしまうなど。少なくとも、冒険者であっても並みならできない。最上位冒険者やギルドナイトなら話は別だろうが。
そう、ギルドナイト。
このボレアス山脈の内部に広がるダンジョンも、そんなギルドナイトたちによって攻略され、活動を停止したと聞く。
最上位冒険者が『伝説をつくる者』なら、ギルドナイトは『生きる英雄譚』だ。多くがかつて最上位冒険者の地位にあったというギルドナイトのメンバーたちは、存在そのものが英雄譚の、伝説の証明に他ならない。悪意ある言い方をすればコレクションなのだ、彼らは。ギルドによる、冒険者の。
ブラギ・シュルツからは、そんなギルドの至宝と同等か、あるいはそれ以上の力を感じる。神話級ダンジョンの近隣には、それほどの人物が集うというのか……それとも、もっと特別な理由があるのか。
とりとめもないことを考えながら、探査を続けていたせいだろうか。
エルザは不注意にも、ヒビの入った岩に体重を預けてしまう。
「うわっ」
「だ、大丈夫か?」
駆け寄ってきたブラギに助けられながら上体を起こす。崩れてしまった岩肌には、大きな穴が開いていた。どうやら他の箇所に開いているそれと同じ洞窟らしい。先程までの探査で分かった事だが、その多くは行き止まりだった。ここも、そんなどんづまりの一角だと思ったのだが……。
「む、この空洞、かなり奥まで続いているな。遺跡の入り口か?」
内部には、地下へと下る孔が開いていたのだ。苔むしてはいたが、階段のようなものも見える。降りていくことが可能と見えて、今はもう生きてはいない、神話の跡かと思ったのだが。
「そいつはどうかな……」
――その予測は、ある意味では当たりであり、ある意味では外れであることが、そう遠くないうちに証明された。
灯りの魔術を起動させたブラギが、頬を引きつらせてこちらを見る。促されるままに地下空洞を覗き込むと。
地脈を這う、蜥蜴のような姿をした魔獣が、ざっと十数体あまり確認された。
その火山のマグマを思わす真紅の鱗を、エルザは図鑑の上でのみ見たことがあった。あまりにも異常なる邂逅に、思わず薄い叫び声をあげてしまう。
「ドミナントレプタイル……!? 馬鹿な、ボレアス山脈に生息するとはきいたことがないでござる!」
それどころか、現代に生存しているということすら今初めて知った。当然だが実物を見るのも初めてである。言ったはずだ、図鑑でのみ見たことがある、と。
「いや、生息する」
「は?」
おののくエルザの耳に届いたのは、やたらと冷静なブラギの声だった。灯りに照らされた彼の横顔は、また、あの遠くを見る瞳をしていた。
「正しくは生息した、だな。『大狂騒時代』には、この辺は竜種の聖地だったんだよ。知らないか、『龍王』」
「――ッ!」
ぞっ、と。全身が、強張るのを感じた。
ドミナントレプタイル。亜地竜の系列に連なる下級竜種だが、その役割というのは極めて特殊かつ『脅威的』だ。
彼らは、真龍……純正のドラゴンと共生し、その身の回りの世話をする、という習性を持つのだ。ドミナントレプタイルが存在するところには真の竜種が、真龍が存在する場所にはこの紅の竜蜥蜴が生息する。
かつてこの地に紅き下級竜が巣を構えていた、ということは、即ちこの山を支配する竜の王がいたということに他ならない。
そしてその王が……遍く真龍の、ひいては攻勢生態系の頂点に立つ、最強の『龍』であったことを、エルザは事実だけではあるが知っていた。
「ボレアス山脈の龍王……噂には聞いたことがある。確か『大狂騒時代』の終盤に、大規模な討伐部隊が組まれて、激戦の末に倒されたと聞くが」
「ありゃとんでもない大苦戦だったな……人死にの数も尋常じゃなかった」
懐かしむ、というよりは、思い出したくないものを脳裏に描いてしまったことを後悔する。そんな不自然な表情にエルザは、彼が『大狂騒時代』に青春時代を捧げた存在であると、今更ながらに実感した。
「ブラギ殿、貴公は一体――」
己の喉から、無意識的に険しい声が漏れるのを感じる。まさかそんな直球の問いが、自分から零れるとは考えてもいなかった。思わず驚いてしまう。
そのせいで。
反応が、遅れた。視線に気が付いた時には、エルザの前髪のすぐ傍を、地獄の炎が通り過ぎた後だった。
「ッ!?」
「ちっ、気付かれたか!」
弾かれた様に下を向けば、ドミナントレプタイルたちの瞳が全てこちらを見据えていた。あれだけともしびを掲げていれば当たり前だとも思うのだが、どうやら見つかってしまったらしい。
ざらざらと特徴的な音を立てて、蜥蜴の大軍が坑道を昇ってくる。速い! この量を蹴散らすのに最も適切なのは魔術だ。ブラギなら使えるようだったが……しかし詠唱と解放を行っている暇は恐らくない。恐らくそれは、どんな上級魔術師でも同じだ。実際、ブラギが範囲攻撃系の魔術を唱える素振りはなかった。
――やるしかない。
この場を切り抜ける技を持っているのは、今、自分だけだ。
「下がられよ! ここは私がお相手仕る!」
咆哮すると同時に、得物を背から下ろす。こういう時、紐をずらすだけで柄が手元に来る――そういう帯刀の仕方は非常に合う。正直、最初から腰に帯びればいいだけの話ではあるのだが……そうするには少々エルザのカタナは長すぎた。
祖父の故郷で造られた一級品。ぞろりと煌めく刃は、抜刀と同時に紫電を宿した。
刀専用・第三級武術、《紫風剱雷》。
「シッ……!」
カタナを振り抜くと、その刀身にまとわりついた雷電が、刃のごとく飛翔した。第二級武術《魔剱》から派生する一撃は、ドミナントレプタイルたちの赤い体を強く撃つと、バリバリと音を立ててそれを焼き焦がしていく。別の蜥蜴が仲間の元へと近づけば、紫の光は即座に伝播し、そちらの体も打ち据える。
感電する武術。
それこそが、この《紫風剱雷》の第三級武術たる由縁。扱いが難しく危険な業だが、エルザはこれを、少なくとも故郷の誰よりも使いこなしていた。それこそ、自分に剣術と武術の全てを教えてくれた、祖父よりも。
……無論、この技以外は祖父の方が圧倒的に上手なのだが。そもそもエルザには第四級武術は使えない。武術の髄に到達した祖父とは天と地ほどの差がある。
数十秒もしない内に、巣の中のレプタイルはもろとも丸焦げになっていた。肉の焼ける嫌な臭いが鼻につくが、正直慣れている。
「おぉ……」
「貴公に感心されるとどこか面はゆいものがあるな」
驚きの表情を浮かべるブラギも、もしかすれば既に慣れているのかもしれない。
そんなことを想いながら、エルザは彼に提案した。
「探索を続けよう。どうにも嫌な予感がする」
「同感だ」
ブラギが再び、灯りの魔術を行使する。音は全く発せられることはなかった。無詠唱……上位の冒険者でも難しい芸当だ。やはりこの農家、何かおかしい。もしかして先程の局面も、自分が焦っていただけで、実は彼はなんらかの範囲魔術を行使しようと準備をしている最中だったのではないか?
……ええい、そんなことを考えていても、過ぎたものは過ぎたものだ。エルザは内心でぶんぶん頭を振って、その疑念をどこかへ飛ばす。
孔の中には、随分と広いもう一つの空洞が広がっていた。丸焦げになったトカゲたちがひっくり返っていて、どこか不気味だ。これを成したのが自分なのだ、という責任感も、今更ながらに襲ってくる。
空洞から派生した道や、別の部屋……といったモノは見当たらない。ドミナントレプタイルの巣はアリのそれに近い、という話を信じるのであれば、まださほど拡張されていない巣だったと思われる。
「これは……巣そのものは浅いか?」
「定着したのはごく最近っぽいな。ったく、どこから流れついて来やがったのか」
ブラギが悪態をつく。ドミナントレプタイルは龍の王が到着する前に、新たな巣となる『玉座』を用意する傾向がある、と図鑑にはあった。その巨巣は現在の所見当たらない。と、なれば、まだそこまで案ずる段階ではなかった、ということだろうか……?
十分もたたないうちに、一通り空洞内を観察し終える。
エルザは腰を下ろすと、リュックの中から報告書を取り出した。万年筆を手に取り、その表面にさらさらと今日の監査結果を記していく。兆候はあり、しかしかなり最近のものと見られ、十年前の記録から察するに、対策をとる時間は十分にあると思われ――。
「ブラギ殿、今日のところはここまでに――」
立ち上がるべく、壁に手を置く。
直後、その部分がぼろりと脆く崩れ去り、エルザの身体は『隣の部屋』へと転がりかけた。
「うわっ」
「エルザ!」
咄嗟に伸ばされたブラギの手が、エルザの腕を掴む。びん、とはられた力に支えられて背後を振り向けば、そこはどこまでも続く空洞だった。落下していたかもしれない、と思うと、とてもではないが生きた心地がしなかった。
「大丈夫か?」
「か、かたじけない」
つい先ほども同じような失敗をしたことを思い出す。急に恥ずかしくなってきた。
空洞はまた、地下へと続いているようだった。どんどん探索区域が下へと降りていくでござるな……などと独り言ちてしまう。
「ここは……? 今度こそ遺跡だろうか」
「いや……どうやら、また違う意味での当たりらしいぜ」
くるりと当たりを見渡すと、今しがたと同じように、ブラギが奥の闇をするりと指差す。
よくよく目を凝らしてみれば。
そこには、おびただしい数の、白い楕円球が置かれていた。
表面には赤い血管のようなモノがはびこり、どくん、どくんと時折脈打っている。
知っていた。これもまた、かつて図鑑で読んだ。
「ドミナントレプタイルの卵……それもこんなにたくさん……!?」
「気を付けてくれ。この数……あいつら、巣渡りの最中だったんだ。多分『割れる』ぞ」
低いブラギの声にはっ、となる。ドミナントレプタイルの卵は、割れた瞬間に内部から幼体を出すことを思い出したからだ。
巣渡り、という言葉も、エルザの記憶領域にひっかかる。レプタイルたちは基本的に、王に先行して玉座をつくるが、まれに王の方が先に別の定着場所を選んでしまうという。そうしたとき、この紅の使用人(使用蜥蜴?)たちは、すぐさま王の居城を整備できるだけの数まで増殖した後、大規模な『移動』を敢行する、と。
その途上で、近隣の村が巻き込まれるかもしれない、とも、聞いた。
「ふ化まではそう長くなさそうだな。下手をすれば今夜か……」
「今から冒険者に依頼を出してる時間は……」
ぱきり、と。
白い卵の表層に、赤い亀裂が走ったのを見て、判断する。
「……なさそうでござるな」
「ああ」