樹の枝
散りばめられたイチョウの葉が、アスファルトに咲いていた。また冬が訪れようとしている。冷え性を持つ〇にとって、渋い季節の到来である。去年の靴下や厚手の手袋について、〇は脳の片っぽで吟味した。その様子が桃乃の癇に障ることは、言うべきことではない。ごく当たり前な光景なのである。
潰れた銀杏の匂いに、登下校の生徒たちは鼻を曲げた。校門の前である。「クセッ」と悪態つくものもおり、〇もそう言いたかったが、桃乃の前であったため顔をしかめただけに収めた。
校門を入った所で桃乃と別れた〇は、鉄棒や走り幅跳びのレーン沿いに進み、この学校で一番大きな樹の麓に向かった。
「来ると思ってた」
景元洋次郎。彼に会うためである。
「月曜日は恒例だしな」
見上げたまま、〇は笑った。
「この樹に乗らないと、学校に来た感じがしない」
「まぁそういう習慣もあるよ」
風が強く吹いた。校庭に散らばった砂埃が舞う。反対側を歩く、校舎に向かう生徒たちは
顔を埋めていたり、手で顔を隠したりしていた。
「漣は歌わない。太陽は鳴かない。でも、女性は夢を呼ぶ」
「それ誰の詩?」
「クリハ・ロンバッキャア」
「へー また仕入れたなー」
景元は時々、突拍子もなくお洒落だと思うワードを呟く。本人に悪気はない。それが関わりを難題にし、苦手だと意識する者も少なからずいた。だが、景元は女性に対しては紳士であった。
「行こう。チャイムが鳴り終わる前に」
景元は枝から飛び降りた。その時の着地によって起こった風が、イチョウの葉をふわりと舞わせてみせた。
〜もしも一歩目で空高く舞い上がってしまったら〜
Take2
「行こう。チャイムが鳴り終わる前に」
景元は枝から飛び降りた。
「今日、授業ないってさ」
〇は背を向け、校舎に歩き出していた。
「銀杏匂うな〜」
景元が付いてきていると思ったからだ。
「ヤベッ。踏んだ、ティッシュ持ってる?」
足を上げた靴底には、ぐっちゃりと銀杏がへばりついていた。〇は後ろを振り向いたが、そこに景元はいなかった。どこに行ったのだろうか。〇は疑問に思った。
「あれ、おーい」
ふと思い出したかのように、〇は樹の枝を見上げた。制服が風に吹かれている。そこにいた。まるで鳥にでも生まれ変わったのかのように、手を左右に掲げ、景元は、宙に浮いていた。
「天使と社交ダンスでもしてくるよ」
「ちょっと待ってって。で!? 飛んでるけど!?」
「ハーモニーが聴こえる。天使のオーケストラの」
「じゃなくて。浮いてる!」
「徳の積み重ねが、この景元洋太郎を、人から鳥へと進化させた」
「それって進化なのか!?」
「天使の招待状だ」
「ただの風だって! 嘘だろ。上昇してる」
「女性の誘いは断らない」
「これは、夢……人が宙に浮くなんて。マジックだ、そうだ。飛ぶわけがない」
「残念ながら、チャイムは鳴り終わってしまった」
高揚した2人を包む、季節外れの風は無情にも時間を忘れさせた。〇はまだ、気づいていない。担任の鯖江が教室に足を踏みいれようとしていることに。朝の学活が迫っていた。遅刻まで、そう時間はかからなかった。