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64.進むべきか、自重すべきか。スリープモードに突入していた俺の大脳が、急速運転を始めた。

 家電の組み立て工場のベルトコンベアに流れるパーツのように、おひとり様3500円のコース料理は着実に、かつ淡々と宴席に運ばれ、オトナである6人の参加者たちは、案外それらを箸繁くつつき、大きなお椀をひっくり返して成型したのであろう典型的な円墳状の頂上に紅生姜が数本乗っかっている締めの炒飯がやってきて、締まらぬ会話を続けたまま、閉宴の時を迎えた。


「え~っ、酒へんに甘いと書きまして、たけなわ、と読みます。

 今宵も楽しき杯と言葉を交わし、酒も話題も甘さ増す時間を迎えました。

 この会は、これにてお開きにさせていただきます。

 それでは締めのお言葉、安田部長、よろしくお願いいたします」


 村中先輩が歌舞伎の襲名披露公演の口上を述べるように抑揚をつけた口ぶりで、場を取り仕切る。ちなみに漢字で書くと「たけなわ」は「酣」となる。「酒へんに甘いと書きまして~」という先程の言い回しは、毎回宴会のラストになると誰かが発声するのが数十年来の伝統となっていると後に聞いた。


 部長の、これまたお決まりの、部下の尽力へのねぎらいと激励をミックスした挨拶が終わるとともに皆が自然と立ち上がり、これまた恒例の一本締めで、よ~~おっっパンッ、と名実ともの〆の響きをもってして、春の親睦会はお開きとなった。


 山上さんとバタさんは、宴会の後半から何やらパンの話題で盛り上がっていて、意気投合しているようだった。元々メロンパンっていうのはな、などと耳をそばだてたくなるような言葉を発しながら、珍しくバタさんが先導して二人してどこかの店に向かおうとしている。


 残る安田部長をはじめとするカルテットは居酒屋の前で、それぞれベクトルを失ったままの状態となった。……俺は正直言って、もう家に帰りたかったのだが、その負の心を口に出さずにいたことが奇跡を呼んだのかもしれない。


「その店のママ、すごいんですよ。でね、部長に会いたいってましたよ」


 村中先輩が、部長を行き付けとおぼしきスナックに、しきりに誘っている。半ば強引に連行しようとする勢いなので、こりゃ浜崎さんともども先輩の攻勢に巻き込まれて、二次会はスナックコースに決定かと観念していたのだが、何だかうやむやのうちに村中先輩と部長の姿が歓楽街の喧騒に消えてしまったのだった。


 はからずも、浜崎さんと二人っきりになってしまった。


 ビールジョッキにしてすでに5杯を数え、半ばスリープモードに突入していた俺の大脳が、急速運転を始める。進むべきか、自重すべきか。案の定、背中に神々しい翼を広げた白い俺と禍々しく尖ったな槍と尻尾を持った黒い俺が現れた。


「ここは紳士然として、お別れするべきですよ」

「あほか、千載一遇のチャンスやで。ここで押さないつ押すねん」

「いや、ただの偶然ですし。それに、お酒も入っていますので」

「偶然? はあぁ? 人生、全部偶然みたいなもんちゃうんかいな。

 それを活かせるかどうかが、常に問われてるんやろ。ちゃうか?」

「しかし、うまくいくかどうか分からないですし……」


 なにゆうとんねん、いやモノには順序というものが……白と黒が、くんずほつれつ頭の中で大乱闘を繰り広げ始めた。


「……くん、とりしま君!」


 幾分、語気が強まった浜崎さんの声と、雑踏に呆然と突っ立ったままの俺の横をすり抜けようとした女性のショッキングピンクのバックが脇腹わきばらにコツンと当たったのは、ほぼ同時だった。俺は我に返った。


「大丈夫? そんなに飲んでないみたいだけど」


 はい大丈夫です、と、もし本当に大丈夫ならば決して発することのない台詞せりふ咄嗟とっさに返してしまったことに、急に恥ずかしさが込み上げる。


「やっぱり、何だかつらそうだよ」


 俺のチキンハートな舞台で繰り広げられる葛藤バトルが、苦しげな顔つきを生み出していたようだ。これは決してお酒のせいではなくてですね、浜崎さんをめぐる黒いヤツと白いヤツの闘いの結果なのでして、などと当然言える訳もない。


 ふと、鼻先をコーヒーの香りがかすめた。何気なく振り返ると、蔦の絡まった外壁に立てかけられた「淹れたて珈琲」とクセのある文字で書かれた看板が目に入った。午後九時過ぎの歓楽街には似つかわしくない、優しい光が木製の扉にはめ込まれたガラスから漏れでていた。

 俺の視線を追った浜崎さんが、浅くうなづいてから指差して、あそこの喫茶店に入りましょうと告げるとともに歩きだしたので、俺はそれに従った。白黒つけられず逡巡した結果、ちょっと前進、「灰色」な展開となったことに若干がっかりしたが、それでも前進、二人きりで話すのは初めてだったので、気を取り直し、古めかしい重厚なドアに手を伸ばした。


 お洒落なオトナなバーのカウンターで二人語り合って……などという甘い展開は淡くも消え去った訳だが、まさに同時刻、山上&田畠ことバタさんのおっさんツーショットが、そんな理想のシチュエーションで親交を深めていたことなど、俺は知る由もなかった。


(続く)


あと2話で終わるはずが…本当に申し訳ありません。「パン」まで、しばしのご辛抱を。

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