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63.いきなり核心を抉るバタさんの言葉。安田部長を見ると、優しさに満たされた頷きが返ってきた。

 暖簾のれんと同じ色をした濃紺の法被はっぴのような上っ張りを着て、やたら威勢よく、こちらへどうぞっ、と「お控えなすって」の体勢のように腰を低く保ったまま右手を前方に差し出し歩む店員に導かれ、浜崎さんとともに宴席へと向かった。


 安田部長を筆頭に先輩ら4人はすでに到着していた。上座かみざにあたる一番奥の席には部長がどかっと腰を据え、空席をひとつ空け、バタさんが胡坐あぐらをかいて背中を丸めて申し訳なさそうに座っていた。部長の隣がいまだ空席なのは、紅一点の浜崎さんの特等席ということなのだろう、きっと。

 バタさんの向かいには山上さんが座っていたが、会話を交わすこともなくうつむいたまま、どうやらスマホにメールか何かの着信通知があったらしく、LEDバックライトの照り返しを受けて青白みを帯びた顔をさらしていた。


「遅いぞ、鳥島。何やってたんや。みんな、お待ちかねやで」


 蛍光灯の仕事場から白熱電球が支配する歓楽空間に移った所為せいなのだろうか。相変わらずではあるが、幾分、柔らかなトーンとなった野次ヤジが飛ぶ。村中先輩は空いている右隣の座布団をバンバンバンと手荒に叩き、ここだ、ここに座れと促した。それに素直に従い、予想していた通りの「指定席」にスゴスゴと収まったのだった。


 「じゃあ、お願いしますね」。安田部長が店員に開宴を伝えている。

 この部署では一番年下なので、本来なら幹事役という、聞こえはいいが店の予約かつ注文取次ぎかつ会計に続いて二次会探し等々一切合切取りまとめ担当が回ってくることを予想していたのだが、実際は部長がすべてを仕切ってくれていた。

 というのも恒例の春の飲み会の「舞台」は毎年のこの居酒屋と決まっていて、お一人様3500円で飲み放題という、決して高級とはいえないプランを歴代の部長が予約するというのが伝統として受け継がれてきたとのことだ。

 そんな庶民的なコースだけに、料理も揚げ物三昧で締めが焼きソバという学生飲み会の延長のような設定ではあったのだが、親睦がメインの会なので誰も文句もいわず、杯と会話と歴史を重ね続け現在に至るのだった。


 村中先輩は相変わらずグチを飛ばし続けている。


「唐揚げばっかりつついてからに。バランス悪いで。たまには野菜も食えよ」

 だから仕事の段取りも悪いねん、お前は。だいたいなあ……と、目の前のジョッキに満たされた黄金色に輝く液体に次々と生まれては消える気泡のように、滑らかに、とめどなく御指導の言葉が湧き上がる。

 野菜と言われても、ゴツゴツ褐色にテカテカ油が照る身体をうず高く積みあげた鶏の唐揚げの山脈を恨めしそうに見上げるサニーレタスが白い大皿の縁にしんなりとたたずんでいるばかり。元からしてバランス悪いんですよ、などと反論する心がむくりと起き出したが、すでに冷たさを忘れたビールとともに、ぐっと飲み干し胃の腑に収めた。


 はす向かいの浜崎さんは、部長と静かに言葉を交わしている。会話の内容までは聞き取れないが、時折、まぶしくらいの笑顔が揺れる。ああ、その笑顔をこちらの、この殺伐とした戦場いくさばにもプリーズ……とは思ったが、所詮はかなわぬ夢なのか。


 突然、背後に陣取った若い男女のグループがどっと沸いた。女子の嬌声も混じって華やかなハリのある笑い声が店内に響く。拍手とともにはやしたてられ、茶髪の尖がった男がのそりと立ち上がった。その見た目に寄らず、意外と腰が低そうだったのはご愛嬌か。


 それにつられた訳ではないだろうが、村中先輩が部長に断って席を立った。どうやら用を足すようだ。なぜかその場に置かれていたスリッパを履いて、バタバタと音を立てながら廊下の先に姿が消えた。


「おっ、バタさんみたいだね」。部長の言葉に皆が笑った。


 にわかに当事者となったバタさんが、困ったような柔和な笑顔を浮かべて静かに切り出す。


「鳥島君。村中君って口は悪いけど、本当は君のこと大事にしてるんやで」


 えっ? 前置きもなく、いきなり核心をえぐるようなバタさんの言葉を、俺の心が正確に理解する間もなく山上さんが言葉を繋げる。


「村中さんは、気に入った奴を怒る時にしか関西弁にならへんねんで。よっぽど君のことを目に掛けてるんやろうね」


 まったくもって想定外の言葉に戸惑った。まさかそんなはずはない、と思い安田部長を見ると、優しい眼差しに満たされたうなずきが返ってきた。


「そういう君も、新人のころ『何やっとんねん!』って怒られていたもんねえ」

 しみじみとした口調で部長が語り掛けると、

「でも、そのお陰で仕事を覚えられましたよ。今から思えば、いわゆる愛のムチってやつですよね」

 と山上さんが応える。そうそう、確か山上君が大月さんトコの依頼をすっぽかした時は大変だったよねえ……静かにビールを傾けるバタさんの横で、部長と山上さんの昔話が花開く。


 その会話に軽く相槌あいづちを打つ浜崎さんは、こちらの視線に気がついたのか、ふんわりした微笑みを送ってくれた。「返答」に困った俺は、あわててジョッキに視線を移して右手でグイとつかみ、残っているビールを飲み干した。しまりのない苦さが口の中に広がった。


 先ほどのバタさんたちの言葉を胸の内で反芻はんすうする。

 

 俺のことを大事にしている? 

 関西弁は愛のムチだって?


 浜崎さんの隣に座るバタさんをもう一度見やったが、その疑問には答えてくれなかった。

 本当なのだろうか、と心の中で三回ほど繰り返したころ、ようやくバタバタという足音とともに村中先輩が宴席に戻ってきた。安田部長と山上さんの昔話もすでに一巡して別の話題となっていた。


 独り静かにビールと対話しているバタさんを気遣ったのだろう、村中先輩はバタさんに話し掛け、俺にバタさんの魅力を語りはじめようとして、怪訝な顔をした。


「なんや鳥島。俺の顔をまじまじ見て。目付きが何か不自然やで。さてはトイレ行ってる間に、俺の悪口ゆうとったんやろ」


 俺は慌てて顔と両手をぶんぶん振って完全否定したが、残りの四人が笑い出したので、村中先輩は疑いの目をさらに深めた。


「浜崎、君なら正直に答えてくれるやろ」


 いきなり話を振られた浜崎さんは、戸惑った表情を一瞬見せながらも、


「どうでしょうねぇ~」


 と、その切れ長かつキリリと鋭さを感じる目元をさらに細めて、十分にジットリした視線をこちらへと向けてきた。


「はっ浜崎さん、それはないですよ~」。その視線を受けて、心から情けない声を出した俺は、続いて、冗談ですよ冗談、と村中先輩に伝える彼女の声に、耳を傾ける余裕などないに等しかった。


(続く)

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