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55.「バタさん、これからも付いていきますよ」。若い男は自然と胸が熱くなるのを感じた

 知っているかい。このお酒に隠されたお話を…


「時はさかのぼり」

 ペチ

「18世紀の半ばのお話」

 ペチペチ


 突然、講談師調になったバタさん。

 話の調子を取るために扇子を打ち付けるような仕草で、カウンターをペチペチ叩きだした。

 山上がさりげなく店内を見回すと、先ほどの若いカップルが後ろのテーブルに陣取っているだけで、ほかに客はいなかった。

 その若い2人は、深く、静かに自分たちの世界と向き合っているようで、賑やかになりつつあるカウンターを気にする様子はない。


 日の本の国を出て、海を渡ること数千里。

 これは、スコットランドの王位継承にまつわるお話だ。

 ペチペチ

 ……


 山上は合いの手を入れながら、勧められたラスティーネイルを丁寧に味わった。

 さらに続いて注文した2杯目のジントニックもすでに飲み干していた。

 悩むことなくジンリッキーをオーダーする。

 かなり甘ったるくなった口の中を引き締めたかったからだ。


 バタさんが、ここのマスターに惚れ込むのも良く分かる。

 まったく無駄のない仕草を経て、程なく目の前に運ばれたグラス。

 おもむろに口をつける。

 華やかなジンと鮮烈なライムの香りがストレートに飛び込んでくる。

 キリリとした冷たさと強い炭酸の泡が織り成す刺激のコラボレーション。

 くすんでいた感覚が心地よくリフレッシュされた。


 バタさんの話は興味深いものだった。

 

 言葉の調子は冒頭の講談師調から元に戻っていた。

 しかしながら、相変わらずダジャレと脱線のオンパレード。


 その冗長なお話をつまむと……



  250年位前のスコットランドの王子、エドワード。

  王位を狙って戦いを起こしたが、大敗し、一転追われる身となった。

  懸賞金まで掛けられた逆賊の王子。

  しかし、従った士族たちは決して彼を裏切らなかった。

  なんとかしてエドワードはフランスへの亡命に成功する。

  苦境の我が身を守ってくれた献身的な士族たち。

  王子はその忠誠を称え、王家秘伝の酒「ドランブイ」の製法を授けた。



 王子の逃避行のあたりから、滑舌かつぜつが怪しくなり始めていた。


「逆賊やでぇ、きみぃ~。国から犯罪者扱いされてんのにぃ、うっ、ついていったんや」


 忠誠を誓った士族、マッキノンに「秘伝」が授けられる頃には、ドランブイも5杯目に差し掛かっていた。


「ハン、ハン、ああ~ハンフリイ~ボガッドォ、ああ、なんかアボガドみたいやなっど」


 ドランブイを好んで飲んだとされるアメリカの名優の段に差し掛かった時には、もうどう突っ込んでいいのか分からない調子と成り果てていた。


「マヒュター、おひゃわりぃ~」


「バタさん、もうよした方がいいですよ。体にもよくないです」


「だいじょーぶ、山上くん。だいたい丈夫なのよ、ボクはぁ~」


 まったくもって大丈夫でないのだが…。

 マスターは肩をすくめながらも最後のラスティーネイルを差し出した。

 

  大体、君はボクを心配している場合なのかい。ねえ。

  昔、そう、ボクが君くらいのコロは、他人ひとの3倍は仕事をしたよ。

  文句を言おうものなら張り倒されていた時代だからねぇ。

  それをいまの若いもんときたら、なんだ、えぇ……


  それなのにカスミときたら、一人で旅行に行ってきます、っておい! 

  夫婦っていうのは、そんなもんじゃねえだろう。なあ……


  なんで、宇宙はこんなに淋しいんだろうねぇ。

  宇宙は生まれてから、ずっと膨らみ続けているから、

  それに耐えられないのかなぁ……


 ろれつが回らないながらも典型的な「最近の若い者は」話から、奥さん(カスミさん?)への愚痴ぐちを経て、最後は訳の分からない宇宙の領域へ。


 いま、バタさんはカウンターに突っ伏し、穏やかな顔で眠っている。


 山上は結局、最後まで酔うことができなかった。

 そして、隣で規則正しい寝息を立てている男を見て思う。


 この人は本当に、芯から「いい人」なんだな、と。

 深い知識と経験が醸し出す言葉。

 その端々に感じ取れた、人や物事への優しいまなざし。

 山上は心にあたたかさがわたってゆくのを感じた。


 ここまで酔わせてしまったのは俺の責任だ。

 年上のバタさんに対して責任というのもどうかとも考えた。

 けれども、なんだかそう考えなければ悪いような気がした。


 バタさんが、ラスティーネイル、

 いや、ドランブイを使った酒を自分に選んで飲ませてくれた理由。

 

 それを考えると、自然と胸が熱くなる。


「バタさん、これからも付いていきますよ」


 果たしてその声が届いたのだろうか?

 バタさんの目じりと口元が、少し緩んだ様に見えた。


 マスターはひとり静かに頷いていた。


 しかし…

 山上は最後に思った。

 だらしなく酔いつぶれ、不規則ないびきをたて始めた男の姿に思った。


 それでも……バタさんは、ちょっとカタイくらいが丁度いいです……


 (バタさん編「完」)

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