109.焼けたてパンに走る衝撃。瑞々しさは時としてアダとなるのか?
のっけから話の腰が折れるのですが、少し気になっている表現があります。
焼きたてパン
これはパンを焼いている人からの目線となっています。
私が(主語)、パンを焼く。焼きたてのパン。
けれども次のような表現もまた成り立ちます。
焼けたてパン
これはパン自身が主語となっています。
パン(主語)が、焼けたて。焼けたてのパン。
でもこの表現、あまり見かけないですね。街中の店先で「焼けたてパン! おいしいよ」とか宣伝されていると「何だかパンが焼かれて、まぁかわいそう」などと眉をおひそめになられるマダムたちがおられそうでございますね。
「……。そんなん、どっちでもいいんちゃうの?」
しばしの沈黙から発せられた家人の優しく厳しい一言をもってして、この論争を終えたいと思います。まる。
さて、パンが焼きあがりました。台所を中心にして家中を香ばしさが満たしています。
さあ、オーブンからパンを取り出して、熱いうちにどうぞ召し上がれ! ……でも焼きたてホカホカのパンを食べた経験のある方は多くはないと思われます。
一度ホカホカのパンを食べてみたい!
ふーふー、はふはふしながら、もふもふ、はむはむしたいのだ!
幼きころからずっとそのような夢を抱き続けていました。だって、あのフワフワのパン。さらに焼けたてだとすれば……じゅるり。
数年前、やっとその思いを実現させました。
いつも通りのレシピで大型丸パンを混ぜ、捏ね、寝かし、焼きました。オーブンから焼けたてパンを取り出します。そして時間を置かずにざっくり切り分け、食べてみました。
パン切り包丁で切り始めたのですが……パンの腰が据わっていなくて、なかなかうまく切れません。当時のパン切り包丁が百均で購入した一振り(大げさ)であるのも一因なのでしょうが、それにしてもドウが柔らかすぎる! 刃を立ててもぐにゃリと歪んで切れないし、パンをしっかり固定しようにも熱くて熱くて持てないし、思い切り掴むとパンが変形して気持ちが凹んでゆきます。
しばしの悪戦苦闘の末、かなり形を崩しながらも切り分けました。表面はボロボロになってしまいましたが、きっと味に影響はないはず。ではいただきまーす。
アチチチと言いながら、手にしたパンを2つに分けました。
いきなり、もわっ! うわっ!
当方、関西人なので文章表現なのに擬音が多くなってしまうのですが、もわっ、よりは、むわっ、が正解かも知れません。焼けたてパンの身の内側に籠もっていた水蒸気が一気に顔面に襲い掛かって来ました。いい香り、という訳ではなくほんのりパンの香りが付いた湯気といった風合いです。
生地自体はフワリもちもちとしていましたが、肝心の味わいは水分が多くてしまりのなさが目立ちました。ああ……幼きころからの焼けたてパンの夢が、はかなく霧散してゆきます。
焼けたてパンはある程度時間を置いてから食べるのがベストです。経験的には、深夜に焼き上げてから台所のテーブルに載せたまま翌日の朝に食べるといい感じなので、4時間くらい空けるとよいでしょうか。
さて、パンの工程の紹介本などでは、オーブンから取り出した直後にパンにショックを与えるよう記されています。具体的にはパンが入った焼き型をテーブルの上にトントンと叩きつける、床に布巾などを敷いて数十センチの高さから落とす、などです。意外と強い衝撃を与えることになります。
焼けたてパンの中心部には、相当の水蒸気が籠もっています。一方で表面、つまり皮の部分は熱源に近い分、固く乾燥した状態となっています。極端な表現をすれば中心部はベチャベチャ、表面はカリカリです。
焼けたてのパンをそのまま放置していると中心部の水分が徐々に表面へと染みわたり、皮が余計な水分を含んでしまいます。結果として皮の強度が落ち、パン自身の重みに耐えられなくなってパンがひしゃげてしまいます(まったくもって余談ですが「ひしゃげる」。当方は「へしゃげる」が標準語だと思っていました。少し凹みました)。
caving=ケービング。caveは洞窟を指す英語で、陥没や凹みの意味を持っています。cavingという言葉は異世界ファンタジーでよく描かれる「さあダンジョンに潜りますか」のような洞窟探検を指しているのですが、パンの世界では「腰折れ」と訳されています。焼きあがったパンの側面や上面が凹んだり、へたれたりした状態のことを指します。
腰折れ、というと腰痛モチのパン大好きとしては何だか生々しいので敢えて言い替えて、ケービングを防止するために、先ほど述べた「釜出しショック」を行います。パンの中心部にたまった水蒸気を、ショックを与えることで一気に外部に逃がし、皮のへたりを抑えるのが目的とされています。
でも、ショックを与えると本当に水蒸気が早く外に出るのでしょうか? 何もしないよりはマシなような気はしますが……これは試してみるしかないですね。実験してみましょう。




