90.モムルは意識が戻るなり他人のことを問われ、あからさまにムッとした
突然ポケットから放たれた紫色の光。きらめき、透き通るような光は見る者の心をそっと抱き締めるかのような温かさをも備えていた。
ミーアは恐る恐る、ポケットに手を入れた。探るように差し入れらた指先が、ふわりとした柔らかな温もりに触れた。同時にミーアは一段と輝きを増した紫色の光に全身を包まれた。
「あっ、これはアシス様と一緒に摘んだコットンボールだわ!」
柔らかな光の海の中でポケットから手を出した。そして、そっと開くと小さな白い綿の塊が姿を現した。
「でも、なぜこんなに輝いているのかしら?」
小さな指先で純白の綿花のボールをつまむ。そう、昨日のお昼にアシス様とお話しながら、一つだけ摘み取ったんだっけ。なぜだか見ているだけで安らぎを与えてくれる綿花の輝きは、ミーアの胸中に残されたちょっぴり恥ずかしい想い出をも照らし出した。
「イラードの綿花は真っ白なことで有名なんですよ」
昨日の昼下がり。そんな風に説明しながらアシスの目の前に揺れる綿花に手を伸ばしたミーア。秋の日差しを優しく受けとめる白い綿毛の塊に向けて必死に背伸びしたが、あと少しというところでバランスを崩してしまった。よろめくミーアの身体をそっと抱き支えるアシス。突然のできごとに戸惑いながらも綿花を掴もうとする彼女の指とアシスの指が仲良く重なった。
「あっ、えっ、ええっと……」
しどろもどろになった少女の鼓動は一気に高まる。動転したミーアは何を思ったか炎の魔法を指先に込めてしまった。聖なる光がアシスの指先と綿花を包み込む。綿花は燃え出しはしなかったが、ミーアの頬は燃えるように真っ赤になった。恥ずかしさのあまり、手にした綿花をそのままポケットにしまい込んだのだった。
アシスとの思い出の甘酸っぱさを残し、綿花のボールの輝きはついに消え去った。ミーアはもう少しだけその気持ちに浸っていたかったのだが、すぐに異変に気が付いてしまった。
「確か邪炎と戦っていたのだけれど……けれど、アシス様? アシス様は今どこに?」
モムル兄さんとともに邪炎と戦ったことは覚えている。それに、ひときわ大きな邪炎が突然襲ってきたことも。そして……ううっ! それ以上思い出そうとしても、何かが記憶を探ることを阻んでいるかのように強制的に思考が途切れてしまう。唯一思い出せるのは……あの綿花を一緒に摘んだ昼下がりの光景だけ。あの光景だけが鮮明に、何度も何度も胸の内で繰り返されるのだった。
そうしている内に気を失っていたモムルもむくりと身を起こした。眉間にしわを寄せて、大脳の芯に漂っている靄を振り払うかのように頭を二、三度ぶんぶんと振っている。
「お兄様、アシス様があの邪炎を倒してくれたんだって。ねえ覚えてる? 覚えてるよね?」
モムルは意識が戻るなり他人のことを問われてあからさまにムッとした表情になったが、それも一瞬で、ミーアに黒い瞳をまっすぐに向けた。続いて、ゆっくりと首を傾げるモムル。
「アシス……アシス様? あの水の魔道士のアシス様のことか? 彼がなぜここに?」
内心あってほしくないと考えていたことではあったが、いやな予感ほどよく当たる。どうやら、モムルはアシスのことをまったく覚えていないようだった。