82.聖なる光。ミーアは合わせていた小さな両手を慌てて腰の後ろに回した。
その日の夜は邪炎が襲ってくることもなく、小さな村の安らかな寝息を満天の星空が優しく見守っていた。
翌日、ロッドと俺は村内をぐるりと巡った。邪炎の襲撃から村を守り抜くために現状を知っておきたいのが半分、そして、単なる好奇心が残りの半分だった。案内役はもちろんミーアだ。朝食を済ませ視察を願い出ると、小さな胸をトンと叩いて「お任せください!」と張り切って部屋を飛び出していった。
村長の館に隣接して集落の中心に位置するのはこの村の象徴であり、この村の存在意義でもある「世界の灯」を祀る聖堂だ。尖った屋根を中心に据えた小型の教会のような白壁の建物で、深い歴史を物語る手の込んだ彫刻が施された木製のアーチ型の扉をミーアとともにくぐった。
高い天井の下に薄暗い空間が広がる。その中心に虹色を湛えたような光が静かに灯されていた。木でできた腰掛けが整然と並び、一段高い位置から降り注ぐ聖なる灯の輝きを受け、荘厳な陰影を形作っている。
「いつみても、きれい……」
ミーアは、はぁ、と息を吐き出すとともにつぶやく。聖なる光に輝くミーアの瞳は、その透明度を限りなく増してゆく。灯の輝きは決して強くはない。にもかかわらず、慈愛に満ちたその光に近づくにつれ、自と他の境界が限りなく薄れ、すべてがすべてと融合してしまいそうな、ゆらゆらと揺らぎながらもどこか満ち足りた感覚に包まれてゆく。創造主たるレガート神の分身である灯が持つ神聖性は、人間の心の大元に根ざしている宗教的な色彩を呼び覚ますのだろうか。
聖堂を出て歩くと、しばらくもしないうちに村の防壁へとたどり着いた。
「この壁の高さでは心もとないな……」
俺のつぶやきに、ミーアは申し訳なさそうな顔をした。
「この村のみんなが、この壁じゃ邪炎を防げないって知っているの。でも、何度訴えてもダメだったって……」
青髪の少女は溜め息をつきながら冷やりとした石垣にそっと手を掛けた。大人の、政治の世界の話なのだろう。聖地ではあっても辺境の地。かつ、数百年も邪炎の襲撃がないとなると世界政府のお役人たちも、なかなか腰をあげなかったとみえる。
「大丈夫。俺がいる限り、一匹たりともこの壁を越えさせないさ」
決して強がりではない。が、邪炎の陣容がまったく分からない現状では何らかの裏打ちがある発言という訳でもない。しかし、ミーアにとっては、世界を救った「大魔道士」から発せられた力強い言葉となった。
「そうですよね。アシス様、なにとぞ、なにとぞこの村をお守りください」
「おいおい俺は神様じゃないんだから、両手を合わせて拝むのは勘弁してくれ」
「あわわ、失礼しましたっ」
ミーアは合わせていた小さな両手を慌てて腰の後ろに回した。
「でも、何だかこうでもしないと気が気じゃないんです」
うつむき加減となった前髪の隙間から垣間に見える沈んだ表情は、村長の一族として、そして、聖なる村に住む一村民として、邪炎がこの村にもたらした脅威と絶望感を切実に物語っていた。