77.邪炎の禍々しい触手が少女に襲い掛かろうとしている。倒したはずの邪炎が……
少女の全身を覆うのは澄み切った赤い光。
その光は瞬く間に収束し、凝縮され、宵闇の迫る草原を荘厳に照らし出す深紅のレーザー光線と化した。
紅の閃光ほとばしる魔法の一撃が、少女の手から邪炎に向けて放たれた。
かなり威力はありそうだが……ああ、スピードが致命的に足りない。
邪炎はこともなげに回避し、再び触手を蠢かせ少女に迫り寄る。
少女は迎え撃つように、右手をぐっと突き出した。
邪炎は先ほどの一撃を警戒しているのだろうか、一定の距離を保って近づかない。
結局、少女の手から魔法は放たれなかった。
だが、俺が接近するまでの時間を稼ぐには十分な牽制となった。
「おいっ!」
怒りに満ちた声で、邪炎に呼びかける。
紅黒く渦巻き、立ち上る炎の姿。
ヤツラに眼や鼻があるのかどうかすら定かではないが、何となく振り返ったような気がする。
見るからにおぞましき魔の異形がこちらを睨む。いや、きっと睨んでいるのだろう。
突如として腹の底から沸き起こる嫌悪感。条件反射的に全身に鳥肌が立つ。
「うえっ……何度見ても慣れねえな、お前らはっ!」
悪態をつきながらも、瞬時にロッドに魔力を込める。
再びロッドからまばゆい水色の光が解き放たれる。
キシャアアアアアァァァァァァッッッッ
聖なる光を浴びた邪炎は悪魔そのままの咆哮を辺りに響かせる。
紅蓮の炎は一段とどす黒さを増し、周囲の草を焼き尽くす。
ロッドにさらなる魔力を流し込むと、邪炎が身をよじるかのように歪んだ。
そのスキを見逃す俺ではない。
一気に踏み込み間合いを詰め、邪炎にロッドを叩きつける。
およそ音と表現できないような、おぞましい断末魔をあげて邪炎が霧散した。
「よしっ!」
魔法を放出するのではなく、ロッドに魔力を纏わせての打撃。消費した魔力は、どうやら最低限で済んだようだ。
かくいう俺は呪われた身。
それは遠い昔。
人の世の頂点に君臨した強大な魔力を頼みに、俺はこの世のカミに徒なした。
しかし、蟻が巨象を倒すのはおとぎ話の世界だけだったようだ。
無謀なる挑戦は、もはや戦いにすらならず一方的な蹂躙劇に終わった。
創造神の逆鱗に触れ、我が存在すら掻き消されてもおかしくなかったはずが、カミの気まぐれか。
死を回避する代償として、この身に罰を背負わされた。
俺は魔力を使うと、同時に「呪い」が発動してしまう。
その呪いとは……
「キャアッ!」
突然、目の前の少女が叫んだ。
邪炎の禍々しい触手が少女に襲い掛かろうとしている。邪炎は倒したはず……いや違う。
さきほど散ったヤツとは別の魔物のようだ。
油断していたといえばそれまでだが、俺は気づけなかった。
邪炎は身体を二つに割った。裂け目の底には深淵なる闇が渦巻く。
大口を開けて捕食するかのように、少女を其の身の中に捕らえ込もうとしていた。
このままでは間に合わない。
ためらわず、膨大な魔力をロッドに込める。
「邪なる炎を破せん! ウォーター・アロー!!」
ロッドから透き通った水色の光の矢が迸る。
それは空間に咲く、清き水流の華。
直撃を受けた邪炎は最期の声をあげることすらかなわず、砕け散った。
どうやら、今回襲撃して来た邪炎は2体だけだったようだ。
しばしの静寂が訪れる。
少女は呆然と立ち尽くしている。
すでに宵闇に包まれつつある村はずれの草原に、生ぬるい風が吹いた。
少女の水色の髪が、高潮した頬にそっと掛かる。
その静寂を破ったのは、甲高く、冷たいロッドの声だった。
「ああ、アシス。クワードの姫との思い出が失われたようだぜ」