第五章:最強の武器を手に入れろ!
カナンの森、北西部。この地域はカナンの森の中でも、草木がより鬱蒼としている場所として有名だ。そのため、魔物や気の荒い動植物の棲み処となっているのだが、裏を返せば、人間の気配の全くしない、静寂な地である。
こんな森の中に、ひとつの粗末な家屋があった。そのすぐ隣には小さな畑があり、熊のような男がうずくまって、何やら黙々と作業をしている。野菜の苗を植えているようだ。
「熊みてぇナリして、よくそんなチマチマとしたことしてんな。肩こらねーのか?」
「……人里離れたこの土地じゃあ、自分の食べるもんくらい自作せんと生きていけないからな」
熊のような男は背後から突然掛けられた声に少しも驚くことなく、そう答える。残りの苗を全て植え終えたところでようやく立ち上がり、後ろに立っていた者の顔をじっと見据えた。
「久しぶりだな、小僧。その締まらない顔は相変わらずだな」
「ジンダのおっさんこそ、熊レベルが上がったな。魔物がうろつく辺境で暮らしてたらそうなるのも当たり前か、ってか?」
けらけらと笑うグレイをよそに、ジンダと呼ばれた男はやれやれと溜息をついた。
「おまえさんの減らず口も相変わらずだな……。……ん?」
そのとき、ジンダはグレイの後ろで恐る恐るこちらをうかがっている金髪の少女に気が付いた。毛むくじゃらの顔に丸太のような腕を持つ、熊そっくりな大男を初めて見る者にとっては、それも当然の反応かもしれないが。
「なんだ、見ねえ顔だな。前に来たときに連れてた奴らはどうしたんだ?」
ジンダは首を傾げた。グレイには三人の仲間がいたはずだ。確か、戦士に魔法使い、それに吟遊詩人。
「……ま、あれからいろいろあってな」
頬をポリポリと掻くグレイの表情、それからグレイの腰に提げている剣を見て、ジンダは目を細めた。そして、土の上に放っていた農作業の道具を拾い集めると、ついてこいとでも言うように、顔を動かす。
「とりあえず、家の中に入れ。話はそれからだ」
*****
居間に通されたグレイとレナは、丸太で作られた腰かけに座った。
ジンダが茶の用意をしている間、レナは部屋の中をきょろきょろと見渡していた。というのも、居間の風景が普通の家とは異なっていたからだ。
──炭で真っ黒になった炉に鞴、金床。床の上には燃料である大量の石炭が無造作に置かれ、壁には様々な種類の刃物が飾られている。いかにも鍛冶職人の家、といったところだ。
「鍛冶屋の仕事場がそんなに珍しいか、嬢ちゃん」
ジンダはそう言いながら、机の上に茶を出した。レナは茶を受け取りながら、自己紹介する。
「あ……ありがとう、ジンダさん。私、魔法使いのレナです。グレイのパーティーには、最近入ったばかりで」
「そうか。一人でグレイのお守りは大変だろう」
「わっ、分かってくれます!?」
今や、レナの中でのジンダの評価は、「見るも恐ろしい熊男」ではなく、「自分の大変さを理解してくれている優しいおじさん」に格上げされていた。外見や言葉遣いは荒々しいが、中身は割と繊細な男のようだ。
「ジンダさんっていい人ねっ」
笑顔で振り返ったレナに、グレイは渋い顔で答えた。
「おまえ、今、俺に同意を求めるか……?」
「……で、俺を訪ねてきたのには理由があるんだろう。何があったのか、話してくれるな?」
ジンダはそう言うと、どすんと腰を下ろした。グレイは一呼吸置くと、話し始めた。
「前にここに来たとき、あの剣をおっさんに作ってもらったろ。あれからギーギック城に行って、魔王と戦ったんだ」
「おっ、遂にやりやがったか。どうだった? 俺の作った『勇者の剣』の切れ味は?」
「かつて国一番の名工と言われただけあるよな。仲間の攻撃は効かなかったのに、俺の攻撃はよく効いてたみたいなんだ。しっかし、ロイドは名剣『雷鳴』を装備してたんだぜ? アレだって結構な名剣なのに、魔王の奴には全くと言っていいほど効いてなかったんだよ」
レナはグレイの話を横で聞きながら、奇遇にも先日、魔王ヴァティーと出会った時のことを思い出していた。ヴァティーの背中には、温泉地で治癒に専念していなければならないほどの傷があった。魔王にそんな傷を与えた剣は、目の前にいるこの鍛冶師が作ったのだ──レナは思わず目を見張った。
(ジンダさんって、こんな辺境の地に住んでいる変わり者だけど、実はすごい鍛冶師なのね……)
ジンダは当然だと言わんばかりに、腰かけの上でふんぞり返った。
「そりゃそうだ。『勇者の剣』は幻の金属、オリハルコンで作られてるんだからな。その上、邪気を払う効果を持つラピスラズリも混ぜてやった。これで効かないってんなら、人類は滅びるしかないだろうよ」
オリハルコンにラピスラズリ──。平凡な町娘として育ってきたレナでさえ、その名前くらいは聞いたことがある。どちらも昔話に出てくるような、貴重なアイテムだ。
「ねえ、グレイ……。ラグゼルのおじいさんにもらった三百万ガランは、全て武器を作るのに使ったって言ってたけど……もしかして、その『勇者の剣』を作るのに?」
「そうさ、『勇者の剣』の材料費に充てたんだよ。だって、おっさんに『魔王を倒せるくらいの剣を作ってほしかったら、これら材料を耳をそろえて持ってこい』って言われたんだぜ? ラピスラズリならともかく、オリハルコンなんてもんはフツー、お目にかかれるもんじゃねえだろ? この毛むくじゃらのおっさん、完全にいかれてると思ったぜ」
グレイがハハハと笑う横で、ジンダがむすっとした顔で呟く。
「うるせえ。鍛冶師だって材料がなけりゃ、何も作れねえんだからな。錬金術師でもあるまいし」
「いやー、それにしても、オリハルコンを手に入れるのには特に苦労したぜ。オリハルコンを求めて世界を旅して、やっとのことで見つけたと思ったら、目ん玉が飛び出るほどの値段で取り引きされてるんだもんなあ……」
そう話すグレイの目は、どこか遠くを見ている。レナは気付いた──昔の苦労話、というよりも、かつての仲間と旅をしていた頃を懐かしんでいるのだろう、と。
そう思うと、レナは少し嫉妬に近い感情を覚えた。
(……あれ!? なんで私が、やきもち焼かなきゃいけないワケ!?)
赤い顔で首をぶんぶんと振るレナをよそに、グレイにとっては一番突かれると痛いところをジンダは訊いてきた。
「……で、決戦の結果は? 魔王は倒したのか?」
「…………」
無言のグレイを見て、ジンダは悟ったようだ。ゆっくりと息を吐きながら、姿勢を正した。
「……ま、俺はこの通り、人の噂話の届かない所に住んでいるわけだが、おまえさんがまだ魔王を倒していないことは分かっていた。このカナンの森の魔物の数が減るどころか、増えているからな。しかも、狂暴性が増している。世界に何か異変が……良くない方向に何かが動いてる……そんな気はしてた」
「あの……ジンダさん……。言いにくいんだけど、魔王を倒してないだけじゃなくて……」
そこまで言ったところで、レナは口を閉ざした。グレイが魔王を倒すどころか、あと一歩のところで魔王を見逃したなんてことを、『勇者の剣』を作ってくれたジンダに明かすことはできないと思ったのだ。しかも、グレイの悪口を言っているみたいで気が引ける。
「ん? なんだ?」
ジンダが不思議そうにレナを見つめるが、レナは口ごもるばかりで続きを言わない。そんなレナの代わりに、グレイが答えた。
「俺が魔王を逃がしたんだよ。あと一撃で魔王を倒して世界を平和に導ける……って場面でな」
「……グレイ!」
レナはジンダの方に目配せしながら、グレイの腕をつついた。言い出したのは自分だが、やはりジンダには言わない方が良かったのではないかと思ったのだ。ジンダが自分の作った剣をグレイに託したのは、無論、魔王を倒すことを願ってのことに違いないのだから。
それでも、グレイはまだ続けた。
「三人の仲間は、そんな俺を見限った。魔王が去った後のギーギック城で、ロイドにこう言われたよ──『おまえにはもう、その剣を持つ資格はない』ってな……。俺は何も言い返せなかった。ロイドに『勇者の剣』を取り上げられ、あいつらが俺の前から去っていくのを、黙って見ているしかなかった。ただ、『ああ、ロイドの言う通りだな』って、そう思ってたんだ……」
鍛冶場が静けさに包まれた。ジンダは、何を感じているのか、黙ってグレイの話を聞いている。魔王を見逃してからのことを初めて聞いて、レナも神妙な顔つきだ。
「剣も仲間も失った俺は、気付いたらアルシャンの町にいた。ギーギック城で何があったのか、町の連中はすでに知っていて、俺のことを〝戦線離脱勇者〟と呼び、白い目で見た……まあ、それも当然なんだけどな。しっかし、旅人の酒場でいつの間にか勇者登録が抹消されてるって聞いた時にゃ、路頭に迷ったね。今まで勇者業一本で食ってきたってのに、いきなりクビだもんな」
自嘲の笑みを浮かべたグレイに、ジンダは静かに訊ねる。
「……で、また魔王とやってやろうと思って、こうやって立ち上がったわけか。俺んとこに来たのは、魔王と張り合えるような剣を作り直してもらおう……そういう訳だな?」
「ああ……そうだ、ジンダのおっさん」
ジンダとグレイはしばらくの間、じっと目を合わせる。
ジンダは気難しい男だ。いくら金を積むと言っても、もう一度、剣を作ってくれるとは、簡単に言ってはくれないだろう。
ジンダの元にこうやって頼みに来たのはダメ元だ。グレイはそう考えていたからこそ、ジンダが嘆息混じりに呟いた一言には驚いた。
「……分かった」
「おっさん! 本当に新しい剣、作ってくれるのか?」
「それに答える前に、こうさせてくれ」
ジンダはおもむろに腰を上げると、レナの横を通り過ぎ、グレイの目の前にどっしりと立った。そして、鍛冶で鍛えられた隆々たる腕を振り上げ────。
「っぶおっっっ!?!?」
真横で見ていたレナは、思わず目を閉じた。強い魔物さえも一発でノックアウトしてしまいそうなジンダの拳が、グレイの顔に見事、直撃したからだ。
当然の結果、グレイは丸太の腰かけごと吹き飛ばされ、床に投げ出された。レナもグレイに殴ることはあれど、さすがにレベルが違う。
「お……おっさん、何しやがるんだよ!? 俺を殺すつもりか!?」
真っ赤に腫れ上がった頬を押さえながら、グレイはジンダに抗議した。
「や、やっぱり、ジンダさん、怒ってるのよ! だって、『勇者の剣』を作ってくれたのは、グレイなら魔王を倒してくれるって思ったからでしょ? それなのに、その約束を破ったんだもの……」
レナは慌ててグレイのもとに駆け寄ると、そう囁いた。
「おまえさんが魔王を倒せなかったことや、魔王を逃したことは、俺にとってはどうでもいい」
レナの声が聞こえていたのか、ジンダは恐ろしい形相で口を開いた。
「俺が許せないのは、『勇者の剣』を他の奴にみすみす渡しちまったことだ。あの剣の所有者はおまえさんの他にあり得ないのに、だ。『勇者の剣』はな、グレイ、おまえさんのためにこの世に生まれ出てきたんだぞ」
そこまで言って、少し気が落ち着いてきたのだろう。ジンダは、グレイとレナがぽかんとしているなか、倒れた腰かけを直し始めた。
その間、ジンダは呟く。
「世俗を離れた人嫌いの俺が、おまえさんのために『勇者の剣』を作ってやったのには理由がある。それはな……剣の依頼をしてきたのが『勇者』だったからじゃない。『勇者』がおまえさんだったからだ」
むすっとしたまま、グレイたちと視線を合わすこともない。不器用な感情表現しかできないところが、ジンダらしい。
「……ジンダさん……」
レナは言葉に詰まって、それだけしか言うことができなかった。
グレイもふるふると身を震わせていたと思いきや、突然、ジンダにがばっと抱きついた。
「お……おやっさん……! 愛してるぜっ!」
「まとわりつくな!! 俺ぁ、男に抱きつかれて喜ぶ趣味はねえぞ!」
ジンダはグレイを鬱陶しそうに振り払うと、再び腰かけにどすんと座った。
「話は戻るが……結論から言うと、新しい『勇者の剣』を作ってやることはできないな」
「な、何で!?」
ジンダの思いもかけない宣告に、グレイとレナはジンダの方へと詰め寄った。
「『勇者の剣』は俺にとっての最高傑作だ。同じものを作れと言われても、作れる保証はどこにもねえ。例えあれに『似たもの』を作ったとしても、そんな代物で魔王に敵うかは甚だ疑問だな。……そもそも、だ。おまえさん、剣の材料をもう一度、手に入れることができるのか?」
「…………げ」
ジンダの問いに、グレイは苦虫を噛み潰したかのような顔になった。
グレイの答えは、もちろん「できない」だ。ラグゼルの老人に援助してもらったお金はほとんど使ってしまったし、大体、オリハルコンなんてものに出会うことはもう二度とないと言っても過言ではない。
グレイの顔が固まったのを見て、ジンダはやれやれと溜息をついた。
「『勇者の剣』は、後にも先にも、あの一本だけだ。もし魔王とやりあおうと思ってんなら、〝元〟のお仲間さんに奪われちまった『勇者の剣』を取り戻すこったな」
「そ、そんな……」
レナはへなへなと腰かけに座り込んだ。新しい剣を作ってもらって、すぐにでも魔王に挑みに行けると思っていたのに、これではいつになれば魔王を倒せるか分かったものではない。
「グレイの昔のパーティーメンバーが、どこにいるのかさえ分からないのよ? その上、素直に剣を返してもらえるなんて思えない……」
魔王打倒への道のりは遠い……。そう思いながら深々と溜息をつくレナとは対照的に、グレイは何やら自信のある顔をしている。
「……いや。絶対にあいつらから取り戻そうぜ、レナ」
「そんなこと言ったって……あんた、本当にそんなことできると思うの?」
「とりあえず、あいつらが居そうな場所は見当が付く。あいつらを見つけたら、どうにか説得して、剣を返してもらうしかない。おっさんの言う通り、魔王を倒せる剣はあの剣だけだ。コイツにも『相棒を取り返せ』って言われてる気がするしな」
そう言うと、グレイは腰に提げた鞘を叩いた。続いて、ジンダとにやりと笑い合った。
「え……ちょっと待って。昔のパーティーメンバーの居場所が分かるって言うの? どこなのよ?」
思いがけない展開に、レナは慌てて訊ねた。グレイは一呼吸入れると、口を開いた。
「ギーギック城だ」
「ギーギック城──って」
ギーギック城は無論、魔王城のことだ。魔王打倒というレナの夢を叶える、ゴール地点でもある。
「ラグゼルのじいさんの話、聞いてただろ。近頃、台頭してきた勇者ライル一行のことだよ」
「ああ、今、魔王に最も近いって言われてるらしい勇者一行のことね。……それがどうしたの?」
話が見えてこないレナに、グレイは面白くないといった表情で答えた。
「俺の昔の仲間はな、今はそのライルって奴のパーティーに入ってるんだ」