第三章:人を殺すもの、生かすもの
ラグゼルの町を出たグレイとレナは次なる目的地、カナンの森へと向かっていた。その道中、レナは前を歩くグレイの手元をじれったそうに覗き込んでいた。
「さっきは何を買ってたのよ? 早く見せなさいよ」
老人の援助によって得た金塊をさっそく換金したグレイは、そのままラグゼルの大きな店に入ってすぐに出てきたのだが、何を買ってきたかをレナに見せてくれないのだ。
「ちょっと待てよ。今、使い方、確認してるからよ。……ふんふん、これがこうなってて……なるほどねえ、そうなってるんだな。──ほらよ、っと。おまえが装備しとけよ」
検分が終わったのだろう。グレイは突然、手に持っていた物をレナに投げた。レナがそれを受け取ると、首を傾げた。
「なにこれ、グローブ……?」
まじまじと見るが、どこからどう見ても手に身に付けるグローブにしか見えない。しかも、手袋なのに対になっているわけではなく、ひとつしかない。
「まー、そんなとこだ。おまえ、魔法使いってより武闘家の方に向いてるみたいだからな。グローブのひとつくらい装備しといた方が、パンチの威力が増すだろ?」
カラカラと笑うグレイを、レナはじろりと睨む。
「失礼ね! 私はれっきとした魔法使いよ!」
「まあまあ、とりあえず装備しとけって。一見ボロにしか見えないけど、それ、高かったんだぞ」
「高かったって……いくらしたの?」
「じいさんからもらった金塊ひとつ分だな、大体」
「はっ!?」
レナは目を剥いて叫んだ。金塊ひとつ分というと、百万ガランだ。そんな大金を、この男はボロのグローブひとつに使ったというのだ。
レナはグレイの腰に提げられた鞘を見遣った。相棒を失っていたはずの空の鞘には、今は剣が一本、収まっている。グレイが先ほどの店でこのグローブと一緒に買ったものだ。鞘と甚だ不釣り合いに見えるのは、その剣が安物だからだろう。
「あんたねえ……買う物なら他にいくらでもあるでしょ!? 防具とかアイテムとか……。あんたの武器だって、そんな安っぽいのじゃなくて、もっと良い剣が買えたじゃない! 何でこんなボロにそんな大金……」
「そう言うな。そのグローブはな、ただのグローブじゃないぞ。伝説の魔法アイテム、グレイプニルっつー紐で出来てんだ」
「グレイ……プニル?」
「そ、いわゆる『秘密兵器』だな。魔王との決戦で最後の切り札となるからな、大事に持っとけよ」
「これが? そうは見えないけど……」
レナにはまだ納得できないが、何やらグレイは自信たっぷりだ。レナは渋々、グローブを左手に装備することにした。
「これが仮に『秘密兵器』だったとしても」
グローブを装備し終わったレナが、グレイの剣を指しながら口を開く。
「その剣じゃ、魔王を倒すどころか、魔王の城に近づくことさえできないんじゃない?」
「安心しろって。俺だって、まさかこんな剣でギーギック城に乗り込もうなんて思っちゃいないから」
そこで、グレイは腰に提げた鞘をコツンと叩いた。
「コイツの相棒には、それ相応の剣がある。今は失くしちまったがな、それを手に入れるためにカナンの森に行こうってんだ」
「ふーん……そのカナンの森って所のどこかに、あんたの言う剣があるの?」
魔王に太刀打ちできる伝説の剣が、カナンの森の洞窟の中に眠っているとでも言うのだろうか。洞窟探索をしなければならないとは、魔王討伐までにはまだまだ時間がかかりそうだ──。
レナは溜息をついたが、グレイはにやりと笑った。
「いんや、作ってもらうのさ。カナンの森に住む鍛冶職人にな」
「……鍛冶職人」
「そ! この鞘に刺さってた剣はその鍛冶職人が作ったんだ。ま、少々見た目に難アリな奴なんだが、その腕は……」
グレイが得意気に説明を始めたときだ。突然、馬車の轍の残る道に、二人の行く手を遮るものが現れた。
「……魔物!」
グレイが反射的に剣を抜いた。──そう、グレイとレナの目の前に現れたのは一体の魔物だった。道路脇の茂みから飛び出してきたのだ。
その魔物はライオンに翼が生えたような姿をしていて、長い尾の先には鋭い毒針が生えていた。鋭い牙の間から涎を垂らしながら、二体の〝獲物〟に向かって唸っている。見るからに狂暴性が高そうな魔物だ。
「マンティコーアか……。ったく、俺らはおめーの餌じゃねえっての」
グレイは舌打ちをすると、背後のレナに声を掛けた。
「レナ! このくらいの魔物一匹、俺一人で楽勝だからな! 手ェ出すんじゃねーぞ!」
しかし、返事はない。不審に思って、グレイは横目でレナを見た。
「レナ……?」
レナはマンティコーアを一心に見つめながら、蒼白の顔でわなないていた。胸の前であまりにも強く杖を握りしめているので、その手から今にも血が滲み出てきそうだ。
「ぐおああああっ」
グレイのよそ見を狙って、マンティコーアが先制攻撃を仕掛けてきた。太い前脚で押さえつけようと、グレイに飛びかかってくる。
「そう簡単には餌にありつけねーぜ!」
グレイは身を翻して、マンティコーアの巨体を躱す──それと同時に、剣を構えた。マンティコーアの動きに合わせて、グレイの剣の刃がそのたてがみにめり込んでいく。
いくら大きな魔物とはいえ、喉元を掻っ切られては生きていられない。しばらくの間、マンティコーアは静止していたが、やがて自らの体の重みに耐えきれず、地面に崩れ落ちて行った。
「……一丁上がり!」
グレイは剣に付いた血を振るい落とすと、剣を鞘に戻した。
マンティコーアは並の旅人にとって手ごわい敵だ。もしレナ一人の時に遭遇していたら、確実にレナはマンティコーアの餌食となっていただろう。
「つ、強い……のね」
レナはぽかんと口を開けたまま、グレイと息絶えたマンティコーアを交互に見た。グレイの顔にはいつもの締まらない笑みが浮かんでいるが、強敵マンティコーアを一人で──しかも、一撃で倒したのは、正真正銘、この男なのだ。
「……意外だわ、あんたがこんなに強いだなんて……」
「おまえなあ……馬鹿にしてるのか? 俺ぁな、これでも魔王と戦ったことのある勇者グレイ様だぞ!」
「だ、だって、今までのあんたを見てたら、フツー思わないわよ! 性格は最低だし、昼間から呑んだくれてるわ、人ん家のツボは勝手に漁るわ……」
「……ん? それもそうか!」
何気にけなされているのだが、強いと褒められて悪い気はしないのだろう。呑気にも、グレイはハハハと笑っている。
「それはそうと」
グレイははたと思い出したように、レナに訊ねた。
「さっきは、どうしたんだよ? マンティコーアを見て、固まってたじゃねえか。初めて魔物に出くわしたってわけでもねえだろうに……」
その言葉に、レナは肩をびくりとさせた。表情も固まる。
「でもあの時のおまえ、ビビってたというより……なんというか、怒ってるような感じに見えたけどな、俺には」
グレイは素直に感じたことを言っただけなのだが、図星だったようだ。レナはふっと息を漏らすと、口元に笑みを浮かべた。
「……そうよ、あんたの言う通りね。この魔物を見た瞬間、一気に頭に血が上っちゃった」
地面に転がるマンティコーアの死体を睨みながら、レナは呟くように話し始める。
「まだ言ってなかったわよね。どうして私が無謀にも魔王を倒したい、って願っているのか。その理由はカンタン……魔王に復讐したいからよ、可愛い弟のためにね」
「弟? おまえ、弟がいたのか?」
「まだいるわよ! 勝手に殺さないでよ!」
レナはぎろりとグレイを睨むと、ふうと溜息をついた。あの辛い光景を思い出すと、胸が痛む。
「私はね、八歳の弟と二人でアンティーナっていう町で暮らしてたの。両親は病気で死んじゃっていなかったけど、町の人が良くしてくれたから平和に暮らしていたわ……三か月前までは。……あの日、奴らがやって来て、全てが変わった。あんたも昔、経験したなら分かるでしょ。私の町にもね、魔王が手下の魔物を引き連れてやって来たの。その魔物っていうのが、マンティコーアの群れだった……。魔王の指示で、マンティコーアたちが一斉に町を襲ったわ。その光景はまるで、腹を空かせた犬に餌を与えにやって来た飼い主のようだった……」
その日のことを思い出しているのだろう。レナは歯を食いしばる。
「幸いアンティーナには、昔戦士や魔法使いで腕を鳴らした人たちがいたおかげで、全滅は免れたわ。案外抵抗を見せた私たちに興味を失ったのかは分からないけど……、魔王もそれ以上は襲ってこなかった。──でも、町は半壊状態。多くの人が殺されたわ。私の弟も、マンティコーアの毒にやられたの。神官さまに解毒してもらって、何とか命は助かったんだけど……」
「良かったじゃねーか。マンティコーアの毒は強烈だからなぁ」
「……良くないわ。毒の後遺症で歩けなくなったんだもの」
──……お姉ちゃん。ぼくの足、どうして動かないの?
弟にそう尋ねられたとき、レナは何も答えることができなかった。ただ一緒に泣いて、抱きしめてやることしか。
──お姉ちゃんが絶対、仇を取ってあげるからね。可愛い弟にこんな辛い目に遭わせた魔王を、必ず倒してやるの──
グレイの視線に気づいて、レナははっと我に返った。
「……もちろん、魔王を倒したからといって弟の体が元に戻るわけじゃないことは分かってる。実際に弟を傷つけたのもマンティコーアだけど……。……でも私、じっとなんかしていられなかったから」
幼く、しかも体の不自由な弟を置いて復讐の旅に出ることは、レナだって躊躇わなかったはずがない。旅に出る間の弟の世話を町の人に頼んだ時も、彼らに止められたものだ──『そんな無謀なことはやめなさい』『返り討ちにあうだけだ』と。
(でも……私は……)
その時、レナの気持ちが見えているかのように、グレイが口を開く。
「何かしてないと、気が狂いそうだった……そうだろ?」
レナは驚いてグレイの目を見上げた。グレイはどうして自分の心が分かったのかと言わんばかりに。
「俺もそうだったかんな。全滅した村や殺された親を見て、魔王の奴をぜってー倒すって思ったものさ。そうでも思わなきゃ、生きる気力もなくて、俺ぁあそこで野垂れ時にしてたろうよ」
ハハハと笑うグレイを見て、レナは肩の力が抜けるのを感じた。
「……あんたはすごいわ。私の弟と同じ年の時に、一人で生き延びてきたんだもの。しかも、一度は魔王と戦ってる……」
「そうだそうだ、勇者グレイ様をもっと褒め称えなさい!」
「…………。……これでお調子者でなければねえ」
鼻高々に言い放つグレイを見て、レナは呆れたように溜息をつく。
(でも……グレイ。私、あんたを信じてるから。あんたが魔王を倒す勇者なんだって)
再び道を歩き始めたグレイの後ろ姿を見ながら、レナがそう思ったことは誰にも秘密だ。