第六章:吟遊詩人だけは気付いていた(1)
「ここに来るのはこれで二度目か……」
ロイドは顔を上げて、そう呟いた。その視線の先には、黒い雲を携えたひとつの城……。そう、かつて魔王を倒すため勇者グレイと共に遥々やって来た魔城ギーギックだ。
ギーギック城は気味の悪い山脈を背景にして、崖の上にそそり立っている。一度目のときと違うのは、一行の要である勇者がグレイではなく、ライルだというだけだ。
そんな仲間の背中に、エレが緊張した面持ちで話しかける。
「魔城を訪れるのは、これで最後にしたいものね……」
「いやに弱気だね、エレ」
ライルがエレの肩をポンと叩いた。魔城を目前にしている状況でいつもの笑顔を絶やしていないのは、さすが勇者とでも言うべきか。仲間を安心させるには十分だった。
「いいかい? 君たちをここに来させるのは、これで最後だ。僕がそうしてあげるよ」
「ライル……」
その言葉を聞いて、エレは少し安心したように溜息をついた。散々な結果に終わった一度目の来城の記憶が薄れたようだ。
「ほんっと、頼りになる勇者だぜ! なあ、ルーガ?」
「──ええ、まあ」
それだけ答えると、ルーガもギーギック城を見上げた。普段澄ました顔のルーガでさえも、今はやや緊張した顔つきだ。それは魔王との決戦が迫っているからというよりも、吟遊詩人として後世に伝え残すため、五感を研ぎ澄まさなければいけないという使命感からかもしれないが。
「さあ、お喋りはここまでだ。行こう──」
ライルはそう促すと、仲間を引き連れてギーギック城の入り口へと近づいて行った。
巨大な門を通り抜けると、悪魔の模様が施された扉が現れた。四人が力を合わせてその大きな扉を押すと、扉はギシギシと音を立てて開いていく。
放たれた扉の向こう側に現れたのは、薄暗い広間だ。前回と同様、城の中は水を打ったように静まり返っている。
「へっ、今さら手下を差し向ける必要はないってか? 相変わらず余裕なこったな……」
「それでも油断は禁物よ、ロイド。どこかで魔物が私たちを狙ってて、突然襲いかかってくるかもしれないわ」
「エレの言う通りだ。みんな、辺りに注意しながら進もう……」
そんなことを囁き合いながら、ライル一行は広間を忍び足で突き進む。
突然、広間の向こうに明かりが浮かび上がった。魔王の間へと続く回廊が、松明で照らされているのだ。
「……フン、どうやら魔王さんは俺たちを招待してくれているようだな」
ロイドが皮肉っぽく笑う。
ライルは仲間たちに向かって頷くと、四人は再び歩き始めた。まがまがしい気が強くなる回廊の奥に向かって──。
そしてたどり着いたのが、魔王の間だ。以前はこの広間で魔王ヴァティーが勇者たちを待ち構えていたのだが、果たして今回もそうだった。
「ギーギック城へようこそ。よく来たな、勇者たちよ。人間を我が城に招くのは、貴様たちで二度目なのだぞ。性急に揃えたとはいえ、我が四天王を見事打ち破ったこと、褒めて遣わそう」
黒い輝きを放つ甲冑と大きなマントに身を包んだ妖しき魔女が、王座から立ち上がる。
──魔王ヴァティーだ。こうやって向かい合うのは二度目のロイドたちにとっては、忘れもしない顔だ。
ヴァティーの余裕綽々の態度に、ロイドが腹を据えかねたのだろう。ヴァティーに指を向けると、恐れも知らないといった調子で啖呵を切った。
「いやに自信たっぷりじゃねえか、魔王? 前回は勇者の取り違えでおまえを逃がしちまったけどなあ……今回はそうはいかないってもんだぜ! この勇者こそ、おまえを倒す人間だ!」
ヴァティーはロイドの指さした男──ライルを一瞥すると、目を細めた。ライルを品定めしているのだろう。
「確か名は……ライルとか言ったな。人間の中でこれほどの力を持つ者が、グレイの他にまだ居たとはな……」
それから、視線をロイドたち一行に移した。彼らの存在にようやく気付いた、と言わんばかりの嘲笑を浮かべて。
「それはそうと、そこの三人……。見覚えのある顔だと思ったら、グレイと共に私に挑んできた仲間たちか。あいすまぬ、私は小物のことは覚えておけぬ性質でな……」
「なんっだとう……?」
ロイドの眉間がピクリと動く。そんな気の短い仲間のことを、エレが背後で心配そうに見守っている。
「先日、偶然グレイに会ったぞ」
「えっ、グレイに……!?」
魔王の口から突然グレイの話が出てきたので、エレが驚いて声を上げた。
「新しい仲間を伴って旅をしているようだったぞ。性懲りもなく私を倒すと宣言までしていたから、このギーギックで待っていると言い置いておいた。だが、あ奴らより先に、貴様たちがやって来たわけだが……。……しかし、あの男の甘さは相変わらずだったな」
くっくっと思いだし笑いをする魔王の話を、グレイの〝元〟仲間はそれぞれの思いを抱きながら訊いていた。グレイがいまだ魔王打倒を目指していると聞いて、ロイドは信じられないといった表情で、エレは嬉しそうに微笑んでいる。ルーガでさえも、表情は変わらないものの、どこか喜んでいる様子だ。
「さて……グレイの仲間だった貴様たちが何故、そのライルとかいう勇者のパーティーに加わっているのかは聞くまい。だが、その男は果たして私を倒すことができるかな? やり手のようだが、私は魔王だ……簡単にはいくまい。どうだ、今なら無傷でこの城から帰してやるのだが?」
ヴァティーはそう言うと、ライルたちの背後の扉を示した。勇者一行は一瞬、呆気にとられた様子だったが、やがてロイドが失笑した。
「はっ、何を言うのかと思いきや……。ここまで来て、おまえを倒さずに帰れるかよ! まさかライルの力にビビったのか?」
「最後の機会をくれてやったものを……」
ヴァティーは鼻で笑うと、マントを大きく広げた。と同時に、ヴァティーから放たれたまがまがしい魔力が、ライルたちの体にびりびりと襲いかかる。
「まあよい。そこまで己の命が惜しくないというのなら、このヴァティー、相手になってやる。貴様たちが勇者ライルに乗り換え、再びのこのこ魔城に来たのが間違いであったと、思い知らせてやろう!」
ヴァティーは王座から大きく跳躍すると、ライル一行の目の前に躍り出てきた。魔王の思いもよらない行動に、ロイドたちはサッと身構える。
「良いことを教えてやろう。グレイにやられた背中の傷は、忌々しいことに、まだ完治しておらぬ。……つまり、状況はそちらに分があるという訳だ」
自分に不利な情報をあえて敵に与え、さらにニヤリとさえ笑う魔王……。ライル一行を侮っているのは明らかだ。
「くっそ……さっきから言わせておけば、小物だとか乗り換えたとか────馬鹿にしやがって……!」
ロイドの剣を持つ手に力が入る。どうやらヴァティーの挑発にまんまと乗せられ、すっかり頭に血が上っている様子だ。
「そんなに死にたいってんなら、俺の剣を受けてみろ!!」
「待って、ロイド!!」
エレの制止もむなしく、ロイドが魔王の方へと飛びかかっていく。勢いよく振り下ろされた剣がヴァティーの右肩にまともにぶつかり、ヴァティーの肢体が大きく揺れる。
「どうだ、魔王? 俺だって、前の戦いからレベルアップしてるんだ! 進化した『雷鳴』の威力を思い知ったか!」
得意顔で言い放ったロイドに対して、魔王はゆっくりと顔を上げた。
「……何だ、これは?」
「な────」
声を上げる前に、ロイドは自分の体が吹き飛ばされるのを感じた。ヴァティーの手から放たれた魔法に押しのけられたのだ。
「ぐあっ!」
「ロイド! 大丈夫!?」
仲間の近くに倒れ込んだロイドに、エレが駆け寄る。ロイドの状態を確認すると、幸いなことに体のどこも千切れてはいない。だが、体を強く打ちつけたためか、ロイドは床の上で激しく咳き込んでいる。
「ルーガ、ロイドに回復魔法をお願い! その間、私が魔王の足どめを!」
ルーガがロイドに走り寄るのを見届けると、エレは杖を構えてヴァティーの方に向き直った。ヴァティーは不敵な笑みを浮かべながら、一歩一歩、勇者一行に近づいてきている。
「フン、他のいかなる攻撃も話にならぬな。私に傷を付けることができるのは『勇者の剣』のみ……。さあ、勇者よ。『勇者の剣』を持っているのであれば、いざ尋常に勝負しろ!」
そう言う間にも、ヴァティーが魔法で攻撃してくる。それに対し、エレが魔法防御魔法を張るが、魔王の強大な魔力のせいで完全には防ぎ切ることができない。魔王の攻撃魔法がエレの防御魔法を突き抜けて、一行を苦しめる。
「ライル、このままでは私たちが不利になる! ロイドの背中に『勇者の剣』があるわ! それで魔王に攻撃を!!」
思い余ったエレが、隣で突っ立っているだけのライルに声を掛けた。確かに、防戦一方では埒が明かない。
だが、ライルは剣を取って戦うどころか、返事さえしない。ただ無情に、仲間の死闘を傍観しているだけだ。
「……ライル!?」
ライルに何か異変が起こっているのを感じたエレだが、自分たちのリーダーが何を考えているのかを確認する余裕は微塵もない。何しろ、目の前には魔王が迫っているのだから。
その時、ロイドの手当てを済ませたルーガがエレの隣にやって来た。
「ロイドの回復は済んだが、立ち上がるのにしばらく時間がかかりそうだ。私もエレの補佐役に回ろう」
そう言うと、ルーガは──傍らのライルを横目で見ながら──、リュートの弦を弾き始めた。
リュートの奏でる旋律が、仲間たちに勇気と力を与えていく──。吟遊詩人の呪曲は呪文のように即効性はないが、複雑に組み合わされた旋律が聞く者に対して、やがて内から影響を与える効果があるのだ。
現に、リュートの調べによって、魔法の連発で疲れを感じていたエレが活気を取り戻し始めたようだ。背後で倒れ込んでいたロイドも気力を取り戻したのか、ゆっくりと立ち上がった。ルーガの演奏で仲間に効果がないのは、今も棒立ちのままの男──ライルだけだ。
彼もまたライルの異変を感じていたのだろう、ロイドがライルの肩を引っ張った。
「どうしたっていうんだよ、ライル!? 魔王を目の前にしてビビっちまったのか? おまえらしくもない! ほらよ、『勇者の剣』だ。ヴァティーを斬れば恐怖心なんてどっか行っちまうさ!」
ロイドは肩から『勇者の剣』を下ろすと、ライルに押し付ける。
だが、ライルはそれを払いのけた。──『勇者の剣』が床に落ち、ガランガランという鈍い音が仲間たちの耳に響き渡る。
ロイドは──いや、エレもルーガも──驚愕の表情でリーダーの顔を見つめた。三人はライルの顔を見て、さらに動揺した。というのも、その顔が冷酷な笑みで醜く歪んでいたからだ。
これまで誰も、勇者ライルのそのような表情など見たことがない。そう、相手が苦しんでいるのを見るのが生きがいとでもいうような表情は──。その人間離れした表情は、まるで「人間にあらざる者」──つまり、魔族のものに近かった。
「ら、ライル……?」
妙な胸騒ぎを覚えたロイドが、恐る恐る口を開いた。
「そんなモノ、僕に近づけてくれるなよ。ロイド」
ライル──と思しき男はそう言い放つと、自分の剣を鞘からすらりと抜き──何の躊躇もなく、ロイドの胸に一太刀を浴びせた。




