プロローグ:とある吟遊詩人の詩-前篇-
険しい山々を眼前に、おどろおどろしい様子で崖にそびえる、ひとつの城がありました……。
そうです。この城は、世を恐怖と混沌で震え上がらせた魔王が棲む、魔城ギーギックです。
ギーギック城には今、魔王と討たんとするため、四人の人間が乗り込んでいました。戦士のロイド、女魔法使いのエレ、吟遊詩人のルーガ……そして、彼らをまとめる勇者グレイ。
勇敢な四人の若者たちは、ひっそりと静まり返った回廊を抜き足で進みました。悪の根城の中だというのに、魔物の気配はひとつもしません。
結局、グレイたちは一度も魔物に遭遇せずに、魔王の間にたどり着いたのです。
その大きな広間には、ひとり王座に座っている者がいました。ついに魔王ヴァティーとの対決です。
「フフフ……。よく来たな、勇者グレイとその仲間たちよ」
王座から立ち上がった魔王は、一見すると人間の女のように見えますが、油断してはいけません。大きな耳飾りがついた耳は長く尖っており、邪悪な光を放つ指輪がはめられた指には鋭い爪が光っています。魔王ヴァティーは強力な魔力と妖しい美しさを持つ、れっきとした魔族の女なのです。
「世界中の人間が、おまえが倒れ、世の中が平和になることを望んでいる。覚悟はいいか、魔王ヴァティーよ」
そう言うと、グレイは腰に下げていた剣をすらりと抜き、魔王に向かって突き出しました。後ろの三人の仲間も、いつでも動けるように構えます。
「果たして貴様たちに、私を倒すことができるかな? 言っておくが、私は強いぞ。何しろ、すべての魔物の頂点に立つ選ばれた魔族──魔王だからな!!」
魔王がはおっていた大きなマントを翻したと同時に、おぞましいほどの魔力が勇者たちに降りかかってきました。つまり、魔王の言葉は虚言ではないということです。
それからは、激しい攻防戦が繰り広げられました……。グレイとロイドが前に立って剣を振るい、後方ではエレとルーガが魔法や演奏で援護をします。
一方、魔王ヴァティーは鋭い爪での攻撃に加え、口から巨大な火の玉を吐き、強い魔法を放ちます。魔王は今まで勇者たちが戦ってきたどんな魔物よりも邪悪で、強敵でした。
束の間の攻防の後、何かに気付いたロイドが声を震わしながら叫びました。
「やっぱりだ……! 俺の攻撃も魔王の奴に当たっているはずなのに、ちっとも傷を付けられる様子がない……。だが、グレイの剣はよく効いているみたいだ!」
「さすがは『勇者の剣』というわけね……」
エレがグレイに意味ありげな視線を送ると、呪文を唱え、目の前に迫っていた魔王の放った魔法にぶつけました。魔王の強烈な魔法を完全に相殺できたとは言えませんでしたが、魔王までの道は開けました。
「今よ、グレイ!」
「おおおおおっ!!」
グレイが剣を低く構えたまま、魔王へと向かって駆け出しました。
「これで終わりだーーーーッッッ!!」
大きく振りかぶり、勢いよく振り下ろされた剣は──魔王の背中に命中しました。
ですが、さすがは魔王。背中ではなく胸を狙ったはずのグレイの攻撃を、間一髪のところで躱したのですから。
「うぐぐ……っ」
うずくまった魔王は苦しそうに呻いています。これまで人間を際限なく苦しめてきた魔王に、とうとう最期が近づいているようです。
「観念しろ、魔王! 次こそ、楽にしてやる」
そう言って、グレイが剣の切っ先を魔王の首に当てたとき──魔王は消えました。
そう、その場からすっかり姿が消えてしまったのです。初めから存在しなかったかのように。
「き……消えた!?」
「瞬間移動魔法ね……」
「深手を負ったままじゃ、そう遠くへは行っていないはずだ! 城の中を探すんだ!」
仲間たちは魔王の間を飛び出すと、手分けして魔王を探すことになりました。グレイの言葉通り、魔王は城の中にいました。魔王の間からさほど離れていない場所にある、小さな部屋です。
扉を開け放ち、部屋の中にうずくまる魔王の姿を初めに見つけたのは──唯一、魔王にダメージを与えることのできる勇者グレイでした。
「こんな所に逃げても無駄だ、魔王。世界中の人間を──俺の両親を殺した報い……最後くらい正々堂々と受けるんだな」
グレイはいったん鞘に収めた剣の柄に手を掛けながら、部屋の中央にいる魔王へ静かに近づいていきました。魔王は相変わらずうずくまったまま、怒り狂った目で勇者を見据えているだけです。
「それ以上、近づくな……。近づけば、貴様もただでは済まぬぞ……」
「はっ、今さら何を言ってるんだ……か──」
その時、グレイの目にあるものが映りました。それは魔王の背中に隠れるようにして、こちらを見ています。
「かかさま……」
目を潤ませ、震えながらそう呟いたのは、魔族の子供でした。大きな瞳に涙を浮かべ、恐怖を感じているその姿は、人間の子供となんら変わりはありません。
グレイはしばらくの間、その場で固まっていました。何を感じ、考えていたのでしょうか。それは彼にしか分かりません。
「ルーガ! 魔王はそこにいるの!?」
エレの声が部屋の前で響きました。そのすぐ後に、ロイドもやってきたようです。二人の仲間が部屋に入ってくると、はっと息を呑む音が聞こえてきました。グレイと対峙する魔王の姿を見つけたようです。
「魔王の奴め、そんな所にいたのか……。それにしても、なんだ? 魔王の後ろにいる、あのちっこいのは……」
「頭に二本の角……。どう見ても、人間の子供ではないわね」
「フン、やられそうになったから自分の子供のもとに慌てて駆けつけたってわけか? 人間を虫ケラのように殺してきた魔王にも、慈愛の心があったんだな」
ロイドとエレがそんな会話をしている間にも、グレイの体はピクリとも動こうとしません。そんなグレイの様子を不審に思ったのでしょう、ロイドがグレイの背中に向かって声を張り上げました。
「おい、グレイ! 何をためらってるんだよ。さっさと魔王の奴にとどめをさすんだ! 今が絶好のチャンスじゃないか!」
しかし、グレイの体は一向に動きません。とうとうしびれを切らしたロイドが、自分の剣を抜きながら部屋の中に入っていきます。
「魔王に子供がいるのが分かったからって、おまえは甘すぎなんだよ! できないっていうなら、俺が手本を見せてやる! そこをどけ、グレイ!!」
ロイドは魔王に狙いを定めると、剣を大きく振りかぶりました。
──ロイドの雄叫び、やがて刃と刃がぶつかり合う音が、部屋中に響き渡ります。
「……なっ!?」
ロイドは目の前の光景に目を丸くしました。
ロイドだけではありません。エレも、そして魔王までもが、驚いたようにその光景を見つめているのです。
皆が驚いた光景とは──そう、グレイがロイドの剣を受け止めていたのです。本来なら、使うべき相手が魔王のはずの『勇者の剣』で。
「どうしちゃったの、グレイ!?」
思わずエレは、剣を交わしたままの二人の仲間のもとに駆け寄ります。
そのとき、グレイがロイドの剣を打ち払うと、三人の仲間に向かって剣を構えなおしました。──まるで魔王を庇うかのように。
それを見て、ロイドはますます困惑した様子です。
「グレイ……まさか、魔王に操られてるのかよ!?」
しかし、グレイの様子からすると、魔王に操られているという雰囲気ではありません。グレイはさっと後ろを振り返ると、戸惑った様子の魔王に怒鳴りつけました。
「馬鹿野郎、何ボーっとしてんだ! 今の内に、早く逃げろよっ!!」
「…………!?」
グレイのまさかの言葉に、魔王と同じくらい、仲間たちも仰天しています。
「イカれちまったのか、グレイ!! ……いや、勇者が腑抜けになっても、まだ俺ら最強のパーティーがいる! エレ! ルーガ! 俺たちで何とか魔王にとどめを!」
ロイドはそう呼びかけましたが、魔王はこの隙を逃しはしませんでした。我が子を抱きかかえると、即座に部屋の奥へと走り出します。
向かった先に出口はありません──が、放った魔法で一瞬で壁を壊すと、その向こうに雷鳴とどろく空と山脈が現れました。この城の隣は崖なのです。魔王は子供と共に、その壁に空いた穴に飛び込みました。
宙に身を投げた瞬間、魔王のマントが広がり、まるで鳥のように空を飛んでゆきました。
つまり、まんまと魔王に逃げられてしまったわけです。あと一歩で、魔王を倒すことができたという状況の中で。
ただ魔王に逃げられてしまったのではなく、逃がすように仕向けた……。それも、魔王を倒すべく旅を続けてきた勇者本人が。
この時から、勇者グレイは“戦線離脱勇者”と呼ばれるようになったのです。
~吟遊詩人ルーガの語り~




