They acts / concurrently
「お久しぶりです」
「現代の交渉の場には不似合いな言葉かも知れないが、こちらからも返すよ。お久しぶり」
ソシアブラを脇において、当事者同士が長年の旧交を温めあう。これ、私達要らないんじゃないかな? サツキはそのように思ったが、仕事は仕事、気を引き締めていかないといけない。
ただでさえ、今回は異例の事態なのだ。相手のクライスには情報は行っていないはずだが、心なしか彼の顔もいつもより暗い感じがする。
「それでは、アーニング・ネット・サービスとユズキ・インターネットの2社間の交渉を始めます」
今回はサツキが開始の宣言を行った。
-*-*-*-*-
「ま、お互い旧知の仲だけど、一応しっかりやっておかなくちゃね」
「そうですね」
「そういえば、最近ルチアとは会った? 俺は昨日会ったんだけど、また恋人と別れたらしくて、愚痴られちゃったよ」
「はは、あの人は相変わらずですね。私も4日前に内部ネットで会って色々話しましたけど、その時にはそんな素振りは無かったから、昨日今日の話なんでしょうね」
「ああ、そうらしい。話は変わるけど、トウキョウは今大変なんだって? 連日100度近いんだって?」
「あ、ああ、クライスのところは華氏で言うのね。確かに連日35℃超えで、私もちょっと夏バテ気味なんですよ」
「うん、注意した方がいい。特に俺たちは閉じこもって仕事をしているわけじゃないからね」
会話は進んでいく。ソシアブラの交渉の前段である「カンバス」だ。英語のconversationを略したものだと思うが、後段が「スケッチ」という用語の選び方を見ても、絵画に掛けたネーミングであるのは間違いがない。「スケッチ」に関しても「スキット」あるいは「スケッチ・コメディ」から来ているのだろうが、クライスの頭の中では以前会ったイガキ氏の真面目そうな顔とそうしたネーミングセンスがどうしてもつながらなかった。
「じゃあスケッチに移りますか」
「ええ」
そして2人のソシアブラは専用のブースの中に入っていく。これはシーダーの登場を促した人数制限型の空間だ。最大で2人しかその入口をくぐることは出来ないように、ネットの根幹のコードで規定されている。
「さて……」
入り口のロックを確認したクライスはじっと目の前の女性の様子を確認しながら言った。
「じゃあ一応カンバスをやりましょうか? 俺としては82番あたりを……」
突然、目の前の女性の姿がぶれ、消え去った。
クライスが辺りを見回すと、1人、2人……3人の屈強な男が現れる。
突如、後ろから強い力で羽交い締めにされ、クライスは顔を歪めた。
「おとなしくしていろ。命までは取らない」
中央に現れた中年の男が低い声でクライスに告げる。
「な……なるほど、これが噂の偽ソシアブラの手口と、いうわけですか……」
「ふむ、そこまで広まっているのか……やめどきを考えないといけないな」
交渉の手順ではカンバスで確証が取れない場合はスケッチに移行する。その中は密室だ。
「ここで俺を……拘束しても結局俺が『真正』を報告しない……ことには交渉は終了しませんよ」
「それには及ばないよ」
合図をすると右の男がなにやら端末を操作して、そしてクライスそっくりの姿に変身した。
「『真正』は彼が報告してくれることになっている。君はゆっくりこの中で休んでいてくれたまえ」
男たちが下品な笑い声を上げる。
「だが、俺は……覚えているぞ、お前たちのことを……いくら、外で交渉が成功と、なっても現実に戻った俺がすぐに……報告すればお前らは、終わりだ!」
だが、リーダー格の男はニヤニヤした表情を崩さずに続けた。
「もちろん記憶は消させてもらう。メモボックスも用意しているからな。ま、二度と君のもとには戻らない記憶だがな……」
つまりこういうことだ。
シーダーがある程度ボロを出さないように目的のソシアブラのふりをして交渉に臨む。
当然相手は不審に思うはずだが、スケッチにまで持ち込めば後はこうやって相手を拘束して、身代わりのTEを相手に化けさせて2人で外に出て、『真正』を報告する。後は残ったソシアブラの記憶を消して、ログアウトさせてしまえばいい。
確かに記憶が欠落していることを疑問には思うだろうが、すでに交渉が成立している以上は、自分が思い出せないだけで交渉が行われたのだと思い込む。
そのために新人を狙っていたのかもしれない。だが……
「だが、俺はベテランだぞ。記憶がなくなっていれば必ず違和感を報告する。なにかおかしな事が起こったのだと必ず気がついて問題にするはずだ」
「ああ、そのためにネットドラッグも用意してある。目覚めてから何時間かは意識が朦朧としているはずだ。大丈夫、後遺症はないから」
そもそも電子的ドラッグには後遺症は起こせない。禁止されているのはその依存性と使用者の社会活動への影響であって、実際に体内に薬物を入れるわけではないのだ。
「さて、そろそろ始めるか」
「クラモトさんはどうしたんですか?」
「あ……ああ、体を借りた彼女の事か……ま、お決まりのコースと言ったところだな。残念だが二度と会うことは無いと思うよ。生きた姿ではな……」
「……そうですか……」
クライスは一瞬沈んだ顔をする。だが、すぐに顔をあげるとリーダーを睨みつける。
「彼女が死んだとは残念です」
「そうだろうな」
ソシアブラは互いに親友同士と言ってもいい。そのことをこの犯罪者も理解していたのだ。だが、クライスの次の返事は予想外だった。
「そうですね。できればお会いしてこう言いたかったのですが……『はじめまして』と」
「……?」
羽交い締めにされたまま、クライスは力を込めて背後の男を前に投げ飛ばす。
男たちは、ぶつかりこそしなかったが体勢を崩され、だがすぐに武器を取り出しクライスに向けて構える。
クライスは服のシワを伸ばしながら悠然と言葉を続ける。
「大体、クラモトさんが偽物だってことぐらい、最初の会話でわかりましたよ。だって、こっちも結構仕草とか勉強したけどまだまだだってサツキさんに言われましたからね」
「なに?」
「まさか、貴様も!」
クライスは話しながら手首にしている端末を操作する。姿が変わって行くのと同時に、声も変わっていく。もともと男性にしては高い声だったので変化は大きくなかったが、紛れも無い女性の声だ。
「ま、大方のからくりは予想出来ていたんですけどね。幾つか新事実も当人から聞けたし、そろそろ頃合いだと思ったわけよ」
使い慣れたファンタジースキンに身を包んだその姿は、ミズキだった。
「偽物同士のソシアブラ交渉なんて経験させてくれてありがとう。だけど、こっちも仕事だし、あなた達は全員捕まえさせてもらうわ。それに、女性を強姦して殺すとか、あっちの世界じゃどうだか知らないけど、こっちだったら死刑よ」
確か日本は長年外国から言われて続けてしぶしぶ死刑を廃止したはずだ。その結果として警官による即時射殺が増えたのまで外国並になって笑える、とミズキは思っていた。
「ふん、4対1で何が出来るっていうんだ」
シーダーが生まれたそもそもの経緯、多人数の方が圧倒的に有利であるという法則はこの場でも生きている。女だから、ということもあって男たちは自分たちが有利だと考え、挑発の言葉を放った。
「やってみる?」
「望むところだ」
大斧を出した男が斬りかかってくる。横から一歩遅れて槍を持った男が続く。リーダーとクライスに化けた男は様子を見ている。
「えいっ」
小剣で重い斧の一撃を受け止めたミズキは、そのまま横蹴りで槍を弾き飛ばす。そのまま体を流して抵抗の無くなった斧はブースの床に落ち、男は体勢を崩す。
ミズキは反撃をしようとしたが、そこに突っ込んできたリーダー格の男の手甲に弾き飛ばされた。
「一旦引け!」
男はミズキがただならぬ相手だと一瞬で見て取って、皆に距離を取るように言う。
なるほど、さすがに只者ではないということか。TEが4体ということはそれだけで一流のシーダーであるし、ある程度ボロを出さない程度にソシアブラの動きを真似ることができるほどの能力。少なくともリーダーとクライスの姿をした男は“a”以上のはずだ。
ミズキの方は……こうして分かれて入ってきた以上は他の3人はブースに入って来れない。いくら”m”のミズキといえども苦戦は免れないように思えた。
「面倒ね。カケル? お願いするわ」
“りょうかーい”
ミズキの本体であるフユカが横たわる、トラックの中の隣のスリーパーでは、同じようにカケルがネットにダイブしていた。
ただ、彼の場合はアバターを出しているのではない。彼の役目はいわゆるハッキング。ネットを、アバターを通してではなくコードを通して見る方のスペシャリスト。
彼の前には20枚に及ぶコードを表示した画面と、そしてキーボードが8枚。キーボードの前には彼の、”8対の“両手が置かれ操作を担当していた。コードを見る、やはり”8対の”両目がめまぐるしく動き、カケルの脳内に現在のミズキの周囲の状態をコードとして把握していた。
Multiple Manipulator略して「ミューマ」技術は、ある意味ではシード技術以上に人間離れしているといえる。「なんで俺の手は2つしか無いんだ」と嘆いたある天才技術者が自分のためにだけ作り上げたそれは、実はシード技術より以前に広まって、多くの技術者に使われていた。
特にネットの法則の微妙なラグを利用して超常現象に見える現象を起こすには、手が2つでは圧倒的に足りない。それより多くの操作を微妙なタイミングで行う事が出来て初めてそれが可能になる。
現在、ミューマーとしての最高のランクは“M8”、まさにカケルが今行っている8対の手と視覚を駆使する人間離れした技だ。
「うちは人数は少ないけど人材は揃ってるのよねえ」
レイノの感想は事実に基づいたものだった。しかもフユカにしてもカケルにしてもまだ若く、成長の余地があると思われた。
めまぐるしく状態を変えるネット上の物理空間。各々のサーバーはもちろんおかしなことが起きないように自分の管轄している領域を監視しているのだが、どうしても1台のサーバーで全てを賄うわけではないので極小のタイミングでほころびが生じる。その一瞬のほころびを捉えて、カケルはミズキの元に一つの成果物、即興で組んだスクリプトを送り込む。
「水よ!」
ミズキの一声で大量の水が頭上から敵に降り注ぐ。残念ながら木造の帆船の甲板上とかではないので、それだけで敵を無力化するには至らないが、それでも体勢を崩し、衣服をまとわりつかせて動きを制限することは出来た。
「いくよ!」
声を上げて、それを聞く仲間たちが今は居ないことに気づき、ミズキは密かに赤面した。だが、その剣筋に乱れはない。
たちまち槍をへし折り、斧の男に一撃を与えて無力化する。やりが折れてまごまごしている男も返す刀で倒す。
残りは2人、ただし厄介な2人だ。
「てめえ、よくも!」
クライスの姿をした男が斬りかかってくる。彼の武器はオーソドックスな長剣だった。小剣で受ける。
しかし、同時にリーダー格の男が手甲で殴りかかってきた。金属で補強されたそれは、十分な威力があると見て取れる。素早い身のこなしを妨げないそれはこの場で一番の脅威といえる。
ミズキもそれをわかっている。
素早くしゃがむとクライスの姿の男はミズキを見失う。
元の身長ならともかく目立った長身のアバターを使用していて、いつもと勝手が違うのだ。
そこにリーダーの蹴りが襲いかかる。
ミズキは……蹴り込む敵の足に自分の足を引っ掛け、そのまま蹴りの勢いを利用して飛び去る。
と、目の前が壁だ。
ミズキはちょっとあわてたが、体を180度反転させて足から壁に着地し、そのまま床に降りる。
「なるほどな」
敵のリーダーが両の拳を中段に構えながら口にする。
「おまえ……”m”ランクだな」
ミズキは肯定も否定もしない。
「もっとゆっくりなら同じ動き方が出来るやつもいるだろうが、俺の蹴りを利用するなんぞ他に考えられない。ま、“m”同士の戦いっていうのも初めて体験するが……2対1だからな……」
リーダー格が”m”、ということはもう一人は”a“だろう。”m”2人というシーダーがいるという話は噂にも登ったことが無い。
たしかに不利だ。数の利は引き続き敵の方にある。雑魚が2人いなくなったところで、”m”なら足手まといがいなくなって、かえって動きやすくなるぐらいだろう。
それでも……
「それでも、私が勝つ」
ミズキのそれは、事実の確認だったか、それとも決意だったのか、あるいは自分を鼓舞する言葉だったのかわからないが、奇妙に力を持った一言だった。
「行くぞ!」
偽クライスが再び突っ込んでくる。ちょうどリーダー格の男とミズキの間に割り込む位置だ。
「これで、目隠しのつもりか!」
ミズキは叫び、今度は低い体勢から飛び上がった。
再びミズキを見失った偽クライスの頭上で、ミズキは天地逆になって……天井を足場にした。
いた。
リーダー格の男を視覚に収めながら、ミズキは判断する。
行けるか?……いや。
下方からの攻撃を予想していたらしい敵のリーダーだが、天井からだと距離がありすぎるし、この相手なら対処するだろう。
ならば……
ミズキはとりあえずリーダーの攻撃を警戒しながら、天井を蹴り、偽クライスの頭上に一撃を叩き込む。
「ぐわっ」
願わくば、この一撃で敵のシーダーがショックを受けて強制ログアウトとかにならないかな。ミズキはそんなことを思ったが、実際には期待薄だ。
TEが意識を失っても、他のTEにはそれほど影響が無い。そういうことも含めて、このシード技術はうまく出来ているのだ。
「ハッ」
右正拳を打ち込んでくる敵リーダー。
予測はしていたものの、重い一撃にミズキは剣を落としそうになる。
「トウゥ」
「しまった!」
引く拳の動きを回転力にして、左足の蹴り。ただそれを今まで拳があった位置に。
どういう体の構造をしているんだ? ミズキには蹴りが迫ってくるのが見えなかった。回し蹴りではなく、距離を悟らせないまっすぐな蹴り。それをこの体勢で、このタイミングで、放つというのは予想外だった。
蹴りに今度こそ剣を弾き飛ばされたミズキは、そのままバック転をして距離を取る。
だが……
「甘い!」
「うぐっ」
逆立ち状態のミズキの背中に、今度は右の回し蹴りが追い打ちをかける。
――そんな、追いつける速さじゃ……
突き刺さる痛みに一瞬止まった息を整えながら、ミズキは起き上がり、構える。ダメージを負ったが、とりあえず致命傷は免れている。
ミズキはどちらかと言うと、アクロバティックな方向の動きを得意にしている。さっきの壁や天井など、人間のレベルを超えた動きは、今後のことも考えても有効だと思うし、変えるつもりは無い。
それに対して、この男の動きは拳法の達人のそれに近い。長年の修練を積んで可能になる細かい身体制御と強靭な体。今のミズキでは不利だ。
なるほど、カラテ・マスターというわけか。”m”というランク記号はまさしく「マスター」の意味から来たとミズキは聞いたことがあった。その意味ではこの相手こそが正道、対するミズキは邪道というわけだ。
だが、ミズキの方にも事情がある。
今後仲間と共に動くならば、そしていわゆるネット・ガードの仕事をやっていくのであれば、絡め手に長けている方がいい。正面はホムラが対処できる。ツムジやミサと一緒に戦えば、たとえマスターランクの相手といえども打ち勝つ自信はある。そう、例えばこの相手のような……
あいにく、今は1対1。ミズキは1人でこの難敵を相手にしなくてはならない。しょうがないことだが、今は手にあるものを使って何とかしなくてはいけない。
とはいえ……
――何にも無いのよね……
泣いて喚いてなんとかなるならそうするが、今はそういう場合ではない。ただ、息を整えることに専念しながらミズキは使える手を必死に探していた。
武器はあと短剣しか無い。せいぜい護身用の刃渡りも20㎝無い頼りないものだ。今までのミズキのポジション的にはそれで問題なかった。本格的に“m”の能力を使うために、なにか長物を1本用意しなくてはいけないと考えていたが、この1周間以上、ミズキはサツキにつきっきりでクライスの仕草を真似ることに全精力をつぎ込んでいた。
結局サツキの合格は出なかったのだが、それでもソシアブラ以外を相手にしたら100%本人と区別がつかない、という慰めのような評価はもらっていた。
――いい子だったな
一週間の付き合いだが、サツキは細かいことに気がつくし、至って謙虚ないい子だと思う。ミズキ自身の本体であるフユカにとっては、恋のライバルになりそうな火種ではあったが、個人的には好意を持っていた。
――ちゃんと私が捕まえてカケルから引き離してあげたんだから感謝してよね、フユカ
そんなふうに思考が要らぬところに飛んでしまう。ミズキはそれに気づいて気を引き締める。現実逃避していては勝てる戦いも勝てない。勝てる可能性が小さい今ならなおさらだ。
――行くか
倒さなくては全ての計画が水の泡になる。外では敵シーダーのアクセス元を辿ってもらっているはずだが、それだって国内では無いだろう。北極からアクセスしていたって驚くには値しない。有能な犯罪者は用意周到なものだ。
だから、この場でミズキガ相手を取り押さえる事が必要だ。
考えるよりも体を動かすことにした。
だが……
“待って!”
カケルだ。
“あと1発出来そうなんで、3……いや20秒時間をくれ”
と言われてもミズキはすでに走りだしている。
この相手と格闘を20秒か……飛ぶか? ミズキはその考えを否定した。すでに一度壁へも天井へも移動したのを見られている。この相手だったらすでに対策を立てているはずだ。隙を見せる動きは避けるべきだ。
「ならば!」
真正面から打ちあう。右手の短剣を突き刺し、それを横薙ぎにし、相手の拳を避け、腕を絡め、足を責め、目を狙う。
何回も打撃を受けてそのたびに息が詰まる。ネットの物理法則はご丁寧に鈍い痛みをミズキに伝えてくる。手甲がかすった耳から血が流れ落ちるのがわかり、そして……
”間に合え!“
カケルの声を耳にして、ミズキは右手に力が集まるのを感じた。だが、その時ミズキはこんな事を考えていた。
――ああ、愛しい人よ。あなたの声はいつも私に救いをくれる。秘めたこの想いよ、壊れる事なくこの先もずっと続きますように……
そう、織姫と彦星のように。
たとえ一方通行だとしても、限られた時間しか逢えないとしても。
私の想いは、それだけは永遠に……
ミズキにとって、右手の短剣が伸び、光をまとって敵を貫いたことは単なる結果に過ぎなかった。
倒れる敵を見て、膝を付いたミズキは、結局大の字になってその場に仰向けになった。
――いっそ、フユカに宣戦布告でもしようかしら……
などと不穏なことを考えながら……
-*-*-*-*-
「それでは、互いに『真正』が確認されましたので、これから両者間で実際の交渉を行ってもらいます」
サツキは宣言をしながら、ミズキさんはうまくいったのかな? と思った。本当は向こうをモニタしてアドバイスするという予定だったのだが、ちょうど同じ時間に別の交渉が入ってしまったのだ。
最初は、彼女にクライスの真似をさせるというのにはサツキは反対だった。ソシアブラでないものにソシアブラの真似は出来ない。ましてやミズキはTEであって、人間ではないのだ。
だが、実際に始めてみると彼女はとんでもなく優秀だった。“m”ランクというのはここまでなのかと驚いた程だ。最終的には、サツキを含めてソシアブラの過半数には見破られるものの、それ以外だったら騙しきるだろうというレベルには達していたのだ。
――一応、会長の言うように低めに評価を伝えておいたけど……
会長が危惧したことはサツキも同様に感じていた。TEが、たとえ”m”ランクの優秀な者とはいえ、ソシアブラをほぼ完璧に真似できるのであれば、ソシアブラとしての基盤を揺るがすことになりかねない。今回の犯人がやろうとしたこととは違うのだろうが、もしミズキが犯罪者だったら、ソシアブラというシステムは崩壊してしまうレベルの損害を受ける可能性もある。
その意味で危険な存在として今後も要監視だと会長は言っていたが……
――あんないい人達が犯罪者になるはずない、と私は思うんだけどなあ……
そうこうしているうちに、お互いの交渉がまとまったようだ。交渉者同士が旧知の間柄だったこともあって、こっちがブースに入っている間も条件面の下交渉を始めていたらしく、驚くぐらい短時間で終わった。
「はい、じゃあ私はこれで……」
手元の操作でログアウトするサツキは、ふとこんなことが頭に浮かんだ。
――でも、本当にミズキさんってただの”m”なのかなあ? それだったら他の”m”もソシアブラの代わりが出来るのかな?
自分の仕事の安定性を揺るがしそうなその考えは、スリーパーで目覚めた後もしばらくサツキの脳内を漂っていたのだった。