中には人はいませんが……
大学進学という大義名分を手にして、夢にまでみた一人暮らしが始まった。
折角東京の大学に入学したのに、通う学部は何故か神奈川にあり憧れの東京生活の夢は脆くも崩れた。 神奈川といっても横浜、湘南ではなく川崎というイマイチ冴えない場所に下宿する事になる。
関東で一人暮らしすると友人に話をしても、「川崎? それドコ?」と言われてしまう始末で、反応も薄い。横浜と東京の間に挟まってひっそりと存在しているような感じのマイナーな都市。
吉祥寺辺りで洗練されたお洒落な一人暮らしを目指していた私は、大学が用意したとんだ罠にはまり、出鼻を挫かれ戸惑っていた。ならば大学のある所からチョット足を伸ばして代官山辺りとも考えたのだが、『家賃、大学通う交通費誰が払うと思ってるの?』という母の言葉で大学まで徒歩圏内の商店街の近くの下宿を借りる事になった結果がこの状態。
まあ、お洒落な街の近辺は家賃もかなりお高い。だからそれなりに交通の便がよく家賃も手頃であるのは悪い事ではない。とは言え、何処か野暮ったいその環境にガッカリしていた。
下宿の近所にある東栄銀座という名前の商店街はちょっとお洒落な感じのイタリアンのお店やパン屋さん雑貨屋はあるものの、昔ながらの八百屋さん駄菓子屋さん、肉屋さん、理髪店、碁会場等も混在していてパッとしない。
今まで私が住んでいた場所よりも建物も人も多く賑やかで、商店街も元気。田舎から出てきた私に馬鹿にされる謂れはないのだろうが、私は不満だらけだった。
とはいえ大学まで歩いて通えて、渋谷も横浜へのアクセスも良い事を考えると、多少周囲の環境がダサくてもガマンすべきだろう。実家とは異なり、そういった憧れの都市は手に届く範囲にあるのだからと自分に言い聞かせた。
地元サッカーチームの水色のフラッグがたなびく商店街を、お年寄り、学生、子供連れの若い母親、広い年齢層の人が行き交い買い物を楽しんでいる。
商店街のお店をチェックしながら歩いていると、商店街を横切るように流れている川にかけられた橋にたどり着く。その橋の歩道と車道の間にある腰くらいの高さの花壇の所に何とも不思議な人形が置いてあった。二本足で立っている猫。子供が落書きで描いたものを張りぼてで立体化したようなモノで、ニッカリと満面の笑みを浮かべたなんとも愛嬌のある猫さんである。茶色のトラネコで制服らしき子供服を着て、さらにランドセルのようなカバンを背負っているだけに悪ガキっぽくも見える。背後にある町内会の案内などが貼られた掲示板にその子の説明があった。
『ニコネコちゃん 東栄銀座のアイドル。
身長六〇六、六cm(東京タワーの五百分の一)、
座高六〇三.四cm(スカイツリーの千分の一)』
随分ザックリとした紹介文のデータを信用したら、恐ろしい程短足という事になる。
シゲシゲと見ていたら、背後に人の気配がし、私は振り向く。
「その子カワイイでしょ? 商店街の人の手作りなんですよ」
長髪を後ろで纏めた髭面の男性がニコニコとした笑顔で立っていて声をかけてきた。一見胡散臭そうで怖い人にも見えたが、よくよくみると目は意外にも優しく髭のある顔も愛嬌があるように見えなくもない。黒のTシャツにジーパンに、何故か緑のエプロン姿のこの男性、何処から湧いたのだろうか? こちらの戸惑いもきにせず、穏やかな感じで猫の説明を続ける。
「はい、なんとも惚けた感じが素敵ですね!」
相手が話しかけてきた意図が分からず、ドキドキしながらも笑顔を作りそう返す。
「その子は二代目で昨年から頑張ってもらっているんですよ。初代はあっち! 体が壊れてしまって――」
指差す方を見ると反対側の花壇に、ニコネコちゃんの首だけが置かれている。しかし花壇にねこの首部分だけ置かれ、周りにチューリップが咲いている光景はなんかシュールである。
「これ商店街の案内なんだけど、ここに詳しい事も書いてあるのでよかったらどうぞ!」
そう言い、私にA4三折りのこの近辺の地図とお店を紹介してある紙を渡して離れて行った。どうやら角にある花屋さんの店員さんだったようで、お店の前で訪れている常連さんらしい人と談笑を始めている。一瞬ナンパかと思って身構えた自分が恥ずかしくなった。単に気さくな人で、この人形を物珍しそうに見ていたから話しかけてきただけのようだ。
そんな事があり、ニコネコちゃんの事が必要以上に気になるようになった。ニコネコちゃんは毎月季節にあわせた格好をしているようで、ピカピカの新入生ルックだった四月を終えると、五月は千歳飴をもって折り紙の兜を頭に被っていて、六月は子供用の蛙柄のカッパを着て傘をさしていた。そしてこのニコネコちゃん実は地味にハイテク。下の川から水力を使って電力供給をうけていて、いつもボンヤリの光っていたようだ。夜ニコネコちゃんの横を通りすぎた時にうっすら発光しているのに気が付き驚いた。手作り感満載なのに妙に色々凝っていて作りも丁寧、張りぼてで雨風に弱そうでいて意外に平気。そこで佇むニコネコちゃんを眺めて歩くのが私の密かな楽しみになっていた。
そう感じているのは私だけではないようでニコネコちゃんは本当に人気者だったようだ。子供が嬉しそうに見上げていたり、スマフォで写真を撮っている女子大生がいたり、ニコネコちゃんの隣で井戸端会議をするお爺ちゃんお婆ちゃんがいたりと、いつも誰だかが側にいて楽しそうにしていた。チョットした近所の憩いの場である。その為私がニコニコと見ているとよく声かけられた。通っている内に作者である工務店で棟梁やっているというおじいちゃんとも会うことが出来て顔見知りになり、時々近所のカフェで珈琲を楽しむ仲にもなっていた。商店街中の人にも顔を覚えられ、ドップリとこの商店街に馴染んでいる私がいた。
そんな事をしている内に月日も流れた。大学を卒業して数年経ったが私は、まだニコネコちゃんの横にいる。以前と異なるのは、ニコネコちゃんが三代目になっている事。なんと三代目は腕を可動する事ができる。腕の上げ下げが可能になりポーズを色々とることが出来るようになった。私はニコネコちゃんの頭に野球帽子を被せプラスチックのバットをなんとか持っているように細工する。
「おっ、野球の格好か? 来月は」
商店街の人が作業している私に声をかけてくる。
「中津高校、春の甲子園出場ですから、この子にも野球姿で応援させてみました!」
隣で作業を見守っていたニコネコちゃんの産みの親である棟梁が私の代わりに誇らしげな顔をしている。
「ニコネコが応援してるんだから、アイツらも頑張ってもらわんとな!」
棟梁の言葉に私は頷く。
「ですよね! ここからネコパワーを発信するのですから!」
水力発電のボンヤリ発光のネコパワーがいかほどのモノかは謎だけど、私はそう答えておく。
「書けたから持ってきたよ!」
私の旦那様が花屋さんからでて来て『祝 中津高校春の 全国高校野球選手権大会出場!』と書かれた紙を持ってきた。掲示板に貼る為だ。三人でその紙を貼り、それに折り紙の花でめでたい感じに飾りつけた。
祝いムードタップリの掲示板の前でニコネコちゃんが、バットを手に青空の下で堂々と立っている姿が出来上がった。
なかなかイイ感じである。そのニコネコちゃんを前に、恒例の写真撮影をした。デジカメのディスプレイの中でニコネコちゃんに負けない笑顔で棟梁と旦那様が笑っていた。撮影している私も同じような顔をしているのだろう。それだけこのニコネコちゃんの笑顔は強烈に感染する。三人で交代で写真を撮り毎月のお色直し作業は無事終了した。
たかだか張りぼてのネコの人形と言うなかれ。このニコネコさんはこの商店街そのもの。洗練された存在ではないものの、愛嬌だけはタップリあり、人をなんだか暖かい気持ちにさせてくれる。イマドキの芸達者なゆるキャラのように華やかな行動は一切できないけれど、ここにいてボヤッと光っているだけで人の幸せを照らす。
中には人は入っておりませんが、人の愛と優しさははタップリ詰まっている。
※ ※ ※
ニコネコちゃん
東栄銀座商店街のマスコット。
商店街の高橋工務店の棟梁が趣味で作成した猫のハリボテの人形。
身長六〇六、六cm(東京タワーの五百分の一)、座高六〇三.四cm(スカイツリーの千分の一)とされていますが、足がもう少し長い。
チャームポイントはハジけんばかりの笑顔。
今回は若干今までと、方向性の違う物語になってしまいました。
ウチの近所にあるマスコットがモデルになっています。