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第七十四話

今日の大工のあんちゃんは読書の時間です。とっても気難しい顔で、プラトン先生著作「ソクラテスの弁明」を熟読しております。


「うーむ、なるほどなるほど」


あんちゃんの本を読むスピードは速く、そして何度も何度も考えては、閃いたような顔で頷いています。ロボスはそんなあんちゃんに声をかけました。


「あんちゃんさん、気分転換に今日は読書かい?」

「ロボスっち、気分転換なんてとんでもない。あのリベカって赤ん坊を傷つけた、自分の至らなさを猛省するべく、ソクラテス先生の哲学を一から読み返しているんだ」

「哲学ねぇ~。あんまり気にしても仕方ないさ。人間なんて自分勝手なんだから、あんたも自分勝手に生きればいい」

「そうはいかねーよ」


真剣なまなざしのあんちゃんに対して、ロボスは興味深い表情で顎を摩っています。


「ロボスっち。確かにあんたやベトエルの言うとおり、俺が余計なことをしなければ、あの若者も刺激させなかっただろうし、リベカも傷付くことはなかったさ」

「だろ?」

「でもよ。それじゃ誰も救われないじゃねーか」

「救われない?」

「ああ。あの若者だって、本当はだれかに自分の気持ちを分かって欲しかったのかもしれないし、リベカだってベトエルだって、できればあんな目にあいたくなかっただろうに」

「そうか?事が丸く収めるためには、人間は多少我慢してでも生きていくしかないだろう」


するとあんちゃんはソクラテス先生の本を閉じ、立ちあがってロボスに問いかけました。


「それじゃ、その後はどうなるんだ?」

「その後?」

「あの若者が抱える苦しみは、誰が取り除いてくれるんだ?」

「それはあの若者次第だろ」

「それだけじゃない。理不尽な暴力に従ったベトエルが、加害者になることだって十分考えられるだろ?」


するとロボスはクイっと口元を上げて、あんちゃんに問いかけます。


「それじゃ、あんたは彼ら三人を、責任もって最後まで見届けられるのか?」

「!?」

「あんちゃんさんが、彼ら三人の心を救ってあげたい気持ちは、純粋で素晴らしいものかもしれない。だがな、あんたの考える幸せが、必ずしも他の人の幸せとは限らないんだ」

「確かにそうかもしれない。でも、それでも!俺は、俺は愛を信じたいんだ!」


あんちゃんはまた両手で拳を握り、悔しい想いを歯に噛みしめて、堪え切れない涙を少し浮かべながら俯いていました。そんな姿をじっくり見るロボスは、再びクイっと口元を上げ、一つ溜息をつきます。


「ふぅ~。あんちゃんさんの熱い心は分かったぜ」

「ロボスっち、ありがとう」

「それなら、ちょっくら付き合って欲しいところがあるんだけど、いいかい?」

「え、どこ?」

「来ればわかるさ」


ロボスはポッケに両手を入れ、口笛を吹きながら向こうへ歩き始めます。あんちゃんはソクラテス先生の本を胸に抱え、目を閉じて深呼吸し、そしてロボスの後を付いていきました。しばらく二人が歩いて行くと、ある朽ち果てた村に辿りつきました。田畑は裂け、井戸の水は枯れ、ペンペン草が多い茂っています。


「ロボスっち、此処は?」

「サマリア人達が住む村さ」


【サマリア人】


彼らは移民との混血である。ユダヤの民からは忌み嫌われ、まともな職もつけずに迫害を受けていた。


「ここだ、あんちゃんさん」


ロボスはあんちゃんをある家に案内しました。玄関の扉をあけると、そこには貧苦にあえぐ家族がいました。無気力な父親と疲れ果てた母親、そして手足がやせ細った赤ん坊一人。彼らの目は、まるで死んだ魚のような目つきです。


「彼らはずっと何も食べていないんだ」

「!?」

「父親は不景気で無職だし、母親は栄養不足で乳さえ出ない。その煽りをうけた赤ん坊は、飢えのあまり泣くことすらできなくなっているんだ」

「なんという。。。」


あんちゃんは恐縮しながら、ゆっくりと床に座りました。しかし死んだ魚の目をした夫婦は、なにも言わずにじっとあんちゃんを睨んでます。そして横にいるロボスはニコニコしてあんちゃんに再び問いかけました。


「さぁ!ここで、あんたが信じたいことを、思いっきり聞かせてくれ」

「!?」

「見れば分かるとおり、こいつらは今日の食い物さえままならない。そんな彼らに、あんちゃんさんが信じる愛ってやつを、彼らに説き伏せて欲しいんだ」


あんちゃんは困惑していました。確かに自分が大切にしている愛。それはどんなに大切なものかは知っていました。しかし、飢えている彼らを目の前にして、なんと言えばいいのか分からなかったのです。あんちゃんの姿を見ているロボスは、そのまま鋭い視線を送り、そして挑発するように問いかけます。


「できないって言うのかい?あんたは巷で流行りの愛の伝道師だろ?」

「ま、まぁそうだけど」

「それだったら、あんたの愛ある歌とメッセージで、今までのようにこいつらを救ってくれよ」


しかし、あんちゃんは何も言い返せませんでした。それもそのはず、今までガリ・フェスやら漁師の街やらであんちゃんが人気を博していたのは、それでも生活が保障された民だったからです。ロボスは顎を摩りながら、再び問いかけました。


「あんちゃんさん、俺の胸元にはパンがあるんだ。あんたの愛と、このパン一つ。どっちが彼らを救えると思う?」

「ロボス!」

「この飢えた人々を目の前にして、パンを食うことを我慢して、愛が大切だと言えるかい?」


あれほど自分が信じていた愛というものが、飢えという重い現実に閉ざされているようでした。もはやあんちゃんには、成す術が無いことは確かです。結局何も言えないあんちゃんを尻目に、ロボスは溜息をついて、夫婦の間にパンを放り投げます。すると父親と母親はまるで獣のように、パンをめぐって奪い合いを始めたのです。


「見てみろよ、あんちゃんさん。我先にと、奪い合っているだろう?これが人間の本性ってやつさ」

「。。。」

「夫婦だろうが親子だろうが、飢えている奴らには無意味なんだ」


自分がなんて無力な存在であるかと、あんちゃんは思い知らされたのです。パンを奪い合う夫婦の横では、放り出された赤ん坊がぐずりだし、突然大泣きを始めたのです。その姿を見たあんちゃんは、堪らずその赤ん坊を抱きかかえました。


「うわあああああんん!」

「よちよちよち~♪いい子だねぇ~♪」

「うわあああああんん!」

「いないないばぁーーーー!」

「うわあああああんん!」

「だっふんだ!」


とっても明るい陽気な笑顔で、あんちゃんは一生懸命赤ん坊をあやしたのです。時にはにらめっこしたり、変な顔をしたり、おならの音を口で鳴らしたり、いっぱいいっぱい赤ん坊を楽しませてあげてます。すると、今まで大泣きしていた赤ん坊は、まるで太陽のような明るさを取り戻し、キャッキャと笑い出したのです。


「キャッキャ♪キャッキャ♪」

「さぁ、もう大丈夫でちゅよーー!」

「キャッキャ♪キャッキャ♪」

「とーっても可愛い笑顔でちゅねーー!」

「キャッキャ♪キャッキャ♪」

「さぁ!今度はパパとママが、代わりに遊んでくれまちゅからね~♪」


これには醜く争っていた夫婦も、自分達の不甲斐なさに打ちのめされました。さっきまで飢えで泣くことすらできなかった赤ん坊が、今ではあんちゃんのおかげで笑っているのです。堪らなくなった母親は赤ん坊を抱きかかえ、涙を流しながら必死に愛情を注いでいます。その姿を眺めている父親も、奪い取ったパンを投げ捨てて、二人の元を駆け寄りました。家族三人は赤ん坊の笑顔で、再び生きることを取り戻したのです。


「ロボスっち」

「なんだ?」

「たしかにあんたの言う通り生きるために食べることは必要だ」

「うん、そうだな」

「でも食べてしまえばあっという間になくなってしまう」

「なるほど」

「ソクラテス先生も『他の人々は食わんがために生きるが、己自身は生きんがために食う』と仰ってる。だから無理してでも、愛や夢をずっと口にしていれば、互いにパンを取り合うことなんか、必要無くなるんじゃないかな?」


微笑んだロボスは頷きながら目を閉じ、両肩を上げてどうやら降参の様子です。放り投げられたパンを手に取ったあんちゃんは、そっと一言を添えました。


「人はパンのみにて生きるにあらず。そんな風にありたいな」

「あんちゃんさん、いい言葉だ」

「まぁな、俺は愛の伝道師だかんな。もぐもぐ」


と、愛情あふれる家族三人の姿を眺めつつも、何気なーく、パンを食っちゃてるあんちゃんでした。


続く

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