第百三十四話
嘘だろ?
「ウーヌス!」
こんな事が自分の身に起きるなんて。
「ドゥオ!」
まただ。奴が泣き始めている。
「トレース!」
再び襲い掛かる牙と共に。一体、何度すれば気が済むんだ?
「クァットゥオル!」
だが、ラテン語の四回目は、俺に甘えを許してくれない。これでも俺は痛みに耐えてきた方なんだ。奇妙な出産をした母への愚弄に耐え、無知なる者達の偏見に耐え、妬む者達の嫉妬に耐えてきたんだ。
「クィーンクェ!」
ラテン語の五回目が、今度は俺の脇腹へと食い込んできた。鋭利な骨先が、あっという間に皮を剥ぎ取る。精神の痛みは、肉体の傷みに勝るものだと思っていたのに。
「セクス!」
だが、ラテン語六回目の攻撃は、苦痛を背骨までねじ込んでくる。それがさも、逃避を許さぬ獅子の牙の様に。執拗に痛みを食い込ませていく。
「セプテム!」
苦痛に愛情を伝わらせる事など、所詮戯言でしかないんだ。それは、左肩から腰まで俺を引き裂いた、ラテン語の七回目が教えてくれた。
「オクトー!」
贅沢な俺は、他人から背負わされた期待が、時として苦痛にも感じていた。なんて不自由なんだろうかと。なんと窮屈なのだろうと。だが、ラテン語の八回目は、それ以上に不自由で窮屈だった。
「ノウェム!」
理想と現実。愛情と憎しみ。真実と偽り。金持ちと貧乏。名誉と堕落。多くのものに挟まれたこの世は、まるで天国でも地獄でもない煉獄という痛み。だが、ラテン語の九回目はここが現実である事を、槍の先で何度も刺された傷みで知らせてくる。
「デケム!」
なんとしぶとい奴なんだ。俺の事じゃない。杯のような肉体の事だ。まだ生きていたいと叫ぶように、歯茎を剥き出したラテン語の十回目が、辺りを血眼に彷徨ってる。
「どうだ?カッシウス。息をしているか?」
「はい、ロンギヌス隊長。そして反抗的な目で、我々を睨んでおります!」
「では容赦はするな。続けろ!」
「ウーンデキム!」
どうやらローマ帝国の連中には、慈悲も情けもないようだ。ラテン語の十一回目が、左肩に食い込んでは肉片を辺りに散らした。甘く切ないあいつらとの時間は、忘却の彼方へと吸い込まれてしまったのか?
「ドゥオデキム!」
何が兄弟だ!何が師匠だ!何が弟子だ?!いざとなれば助けに来るのではなかったのか?!ラテン語の十二回目だけしか、迎えに来ないじゃないか!
「トレデキム!」
クソ!ラテン語の十三回目が、俺の左側の視線を奪っていった!いや、奪ったのは俺の目蓋だ。何故?何故、美しく死なせてくれないんだ?!
「クァットゥオルデキム!」
クッソォオ!
「クィーンデキム!」
素早いラテン語の十四回目と十五回目が、交互に俺の両耳に錨を落としていった。熱い!焼けるように熱い!
「セーデキム!」
血生臭い!何処も至る所で雫が滴り落ちる。あの屍だったラザロの手を握った時よりも、ラテン語の十六回目は俺の死臭をばら撒いている。
「セプテンデキム!」
忌々しいと十七回目が、俺の胸に十字を描いて、皮を剥ぎ取って微笑んでやがる!これはなんだ?蛆虫か?いや違う!めくれ上がった俺の皮膚だ!
「ドゥオデーウィーギンティー!」
赤子との頬擦りとは程遠い世界で、俺は孤独という痛みにも耐えてきたんだ!なのに、なのに、貴様らの薄情さは、ラテン語の十八回目と何ら変わりはない。
「ウーンデーウィーギンティー!」
貴様らは耐えたことがあるのか?!人の為だけに生き、己の欲望を抑え、他人からの嘲笑という鞭にも、平然と笑顔を浮かべた事が!ラテン語の十九回目に愛された方がマシだ!
「ウィーギンティー!」
「どうだ、カッシウス?まだ、反抗的な目を見せているか?」
「いえ、ロンギヌス隊長。さすがに気を失ったようです」
「そうか」
気を失ったんじゃない。もはや睨む気も失せたんだ。何が民衆の為だ?俺がいつそんな事を言った?何と人とは日和目なのだろうか?己の保身の為ならば、偽りの言葉で偽りの色を塗り始める。俺の一番弟子と名乗ったクズ野郎、ケファー(ペテロ)のように。
「よし、カッシウス。トゲハマナツメの枝をとって来い」
「トゲハマナツメの枝ですか?あんな棘だらけの枝を、一体何に使われるのです?」
「自らを王と名乗った、こいつに相応しい王冠を作ってやるのさ」
ふざけるな。ユダヤの王などと名乗った事なども無い!
続く




