5、泣き虫と掌
5、
泣きながら、高級住宅街を歩く女。
あまりにもシュールな図に、自分でも笑えてくるが、今は泣きたい気持ちが強い。
優都さんの、お仕事だったのだ。
私に優しいのも、全部、お仕事の範囲だった。
そんなのは、知っていたはずだった。でも、心のどこかでは、期待していた。
だって、本当にあの人は優しすぎた。
だから、逃げてからも期待していた。きっと見つけてくれるって。
いつだって、あの人の一番は自分だって。
そんな風に思っていたから、私は左手の薬指を見たときに、とてつもないショックを受けたんだ。
諦めるって、優都さんの幸せを願うっていいながらも、私のことを気に留めていて欲しいってずっと思っていた。
好きになってもらえなくとも、優都さんの優先順位の一番に居続けたかった。
いつだって、帰る場所は優都さんの隣が良いと思っていた。
子どものわがまま以外のなにものでもない本音は情けなすぎて、また涙がでてくる。
公園やお店らしいものが、中々見つからず途方にくれた。
どこかに座って、ゆっくりと泣きたいというのに。泣きながら歩くのって、まるで迷子じゃないか。
迷子と考えて、また戻ってきてしまったと思った。
両親が死んで、帰る場所を失くして、道を迷い歩く。何処にもいけない悲しさ、苦しさ。
あぁ、もう、いやだよ。どこかに、帰りたい。
とりあえずは、このまま鳳の寮へ帰ってしまおうと考えた。
女子寮は男子禁制であるし、鳳という、しっかりしたところならば、優都さんや柏木の家の者も手出しできないだろう。
優都さんがくれると言ってくれたあの家には、申し訳ないが、戻りたくはない。もしかしたら、もう二度と行かないかもしれないとも思う。
だって、あまりにも衝撃的な思い出を、たった今つくってきてしまった家だ。
二度と、あのリビングのソファーには座りたくない。あそこは、私の帰る場所ではない。帰りたくない。
ぜったいに、帰らないぞ。
「亜姫子さま?」
さぁ、寮に帰ろうと意気込んでいると、後ろから誰かに呼ばれた。
こんなところで一体誰が?と振り向くと、スーツを着た男性が車の中から驚いたようにこちらを見ていた。
「か、か、か、和馬さん!?」
「やはり、亜姫子さまですね。御久しぶりでございます 」
眩しいほどの笑顔で私を見ているのは、おじいちゃんの第一秘書の瀬戸和馬さんだ。
一見すると優都さんと同じ年に見えるが、私と大して変わりない年齢。
だけど、さりげない気遣いのできる大人であり、私の憧れる人でもある。
「ど、ど、どうして、ここに? 」
「柏木の御屋敷から用事に行くところです 」
そう言うと、車から降りてきた和馬さんは、あらためて深々とお辞儀をして、車の後部座席へのドアを開けてくれた。いや、別に乗る気ないんですけど・・・。
「久しぶりにお会いしましたし、亜姫子さまはどちらかに行かれるご予定ですか? 」
「いえ、そういうわけでは・・・。帰るところ、でした 」
「でしたら、お送りいたします 」
にっこりと、優しい笑みを向けられれば嫌ですなんて言えるはずもなく、愛想笑いをしながらしぶしぶと車に乗り込んだ。車が動き出せば、窓の景色は流れていく。
「一ヶ月ぶりでございますね 」
「そうですね、前回はおじいちゃんへの報告でしょうか 」
私の現保護者であるおじいちゃんへの報告は、一人で暮らすための大切な義務である。優都さんに気づかれず大学受験をすることができたのも、おじいちゃんのおかげだ。
「そういえば、優都さんに見つかってしまったようですね 」
さらり、と私が今もっとも考えたくないところをつく和馬さん。表情は見えないけれど、明らかに楽しんでいる様子だ。
く、くそぅ。そうか、だから、何故私が此処に居るのかを最初に聞かなかったのか。
「見つかったというか、偶然見つけられてしまいました。それで、あのう、おじいちゃんには・・・ 」
「はい、しっかりご報告いたしました 」
「鬼・・・ 」
あぁ、もう駄目だ。私の一人暮らしは終わった。
優都さんに見つからないという条件で、私は一人で生活することを許されていたのだ。
見つかってしまった今、私の生活は終ってしまうのだろう。
「優都さんから、お住まいの話をお聞きしましたか? 」
「え?あぁ、あの黒くて大きい家ですね。
あんな立派なもの・・・ちょっとやりすぎじゃないですか 」
ドデカイ家を思い出しながらため息をついた。
おじいちゃんは、一体いつからあんなものを用意していたのだろうか。恐ろしい人だ。
それに、あんなものの紹介までを優都さんの仕事にしないでほしかった。そうすれば、衝撃的な思い出を、あの家で作らずにすんだものを。
「そうですか?優都さんも気に入っておられましたよ 」
いや、別に優都さんが気に入る必要はないんじゃ。それよりも、自分の家のことを考えなきゃ駄目でしょう、優都さん。
そういえば、優都さんは今もあのマンションに住んでいるのだろうか。
「優都さんとは、ご一緒ではないのですか? 」
「いや、その、色々とありまして・・・ 」
曖昧に笑えば、先ほどのやり取りが思い出される。あ、ヤバイ、また視界が歪んできちゃった。
どうしよう、止まらない、みたいだ。そういえば此処、落ち着いて座れる場所だし。
「どうされました!? 」
いきなり泣き出した私に慌てる和馬さん。困らせてしまうとわかっているのに、涙は止まってくれない。
それどころか、安心して泣ける場所を見つけてしまって、さっきよりも酷くなる一方だ。
車を道の脇に止めて、和馬さんが運転席から後部座席に移ってくる。
直ぐにハンカチを出すあたり、さすがと言わざるを得ない。
「優都さんと、何かありましたか 」
何か、と言われても答えようがない。そもそも、私たちには何も無かった。
「ゆう、と、さんは、どうし、て、ゆびわを、して 」
それでも、優都さんのことが気になってしまう私は、バカだと思う。
だって、気になってしまうのだから仕方がない。
「え?あれは、マリッジリングだと仰っていましたよ 」
あぁ、やっぱり。やっぱり、そうだったのか。決定的な一撃を、ありがとう和馬さん。
決定的な一撃により、一層酷くなる私の涙。それにより和馬さんは黙ってしまった。
これじゃ、駄目だ。早くどうにかしないと。
「あ、あの 」
「はい、なんでしょうか。なんでも言ってください 」
優しい返事に、思わず心のうちにあった願望を言ってしまった。
「手を、握っていて、下さい 」
「・・・わかりました。これで、貴女が泣き止むのならば 」
そっと、暖かい感触で手を包まれる。優都さんの感触とは全然違った。
その違いを認めたくなくて涙はどんどん溢れてくる。諦めなくては、ならないのに。
誰かにすがらなくては、泣き止むことすらできない自分に腹が立った。
一人で生きるなんて言いながら、結局いつも誰かに頼っている。
「一人だなんて、思わないで下さいね 」
ポンポンと優しく頭を撫でられる。
こうして甘やかされてしまっては、頼ってしまうじゃないか。
「甘えても、良いのですよ。私も、貴女の祖父である柏木顧問も、そして優都さんも、貴女を甘やかすためにいるのですから 」
「でも、でも、私は 」
甘えすぎてしまいませんか。
帰る場所の無い私が居ては迷惑でしょう。
どこにも行けない私は、そこに居ついてしまいます。
「大丈夫です。貴女の、帰る場所は 」
いいえ、私の帰る場所は、もう、無いです。
どこにも、無くなってしまいました。
突然開いた後部座席のドア。
「何、しているんですか 」
涙で歪む視界には、今一番会いたくなくて
だけど一番手を握っていて欲しい人が立っていた。