第4話
時刻はAM8時。
瀬戸内海の大海原から吹く風は雪を散らして、真冬の冷たさを運んでくる。
世界は、いつ、冬になったのだろう?
目が覚める気配は一向になく、空はさっきよりも白い。雪は視界全体を覆うほどに舞って、砂浜の上に降り積もっていく。雪で覆われたその上にしゃがんで、しばらく波の音を聞いていようと思った。そうしたら、いつか元の世界に戻れるかもしれない。
…そう、思ったからだ。
「…あの」
人気という人気が無いこの砂浜で、人の声が聞こえた気がした。気のせいだと思い、どうせ、海のさざなみの音が人の声になって届いたのだと思った。だから、振り向かなかった。
「…聞こえてる?」
…聞こえてる?
確かに、そう聞こえた。その時思わず振り向き、声がした方を向く。
するとそこには一人の男の子がいた。
私のよく知っている、男の子だ。
「何してんの…?」
私に声をかけてきたのは木崎亮平。
昔馴染みというか、幼馴染というか、小学生の頃からの付き合いで、友達っちゃあ友達みたいな間柄だ。
「キミこそ、ここで何やってるの?」
…キミ?
なんでそんな畏まった呼び方をするんだ?何やってるって言われても、私でもよくわからないから、何も言えなかった。
「別に」
「キミの家に行ったら、どっか出かけたと言われたから、きっとここだと思ったんだ」
「私の家に来たん?」
亮平が家に来るなんて珍しい。最近は絡みなんて全くなかったのに。
「とにかく、すぐそこのファミレスに行かない?」
「はあ?」
突然後ろから声をかけてきたのには驚いたけど、急に会いに来て急にファミレスに行こうなんて、展開が早すぎてついて行けなかった。第一私は今それどころじゃないし。
「ファミレスって、朝ごはんなら食べたで」
「…ちょっと話があるんだ」
なんだよ話って。突然会いに来て「話」があるだって?喧嘩でも売りに来たのだろうか。
今のこの状況を説明できるものは何もなかったし、なんで海に来て、こうして砂浜に腰を下ろしているのかを自分でもうまく整理できてなかったから、とりあえず「ちょっと待て」と言った。話ならここで済ませてよ。そう言って、彼の返答を待った。
「いいから」
彼は私の右手を無理やり掴んで強引に立ち上がらせ、ファミレスに向かって歩き出す。
…なっ
突然の展開に混乱する私などお構いなく、海岸沿いの『オニオンズ』という全国チェーンのファミレスに直行する。いらっしゃいませ〜という店員の声と一緒にお店の一番奥まで真っ直ぐ歩き、2人だというのに6人席のテーブルに腰を下ろす。ドリンクバー付きのハンバーグセットを注文し、「はぁ〜お腹すいたぁ」とか言いながら私に「なにか食べたいものは?」と言う。
いや、いい…
さっき朝ごはん食べたって言ったでしょ。「そっか、じゃあそれだけで」と言って店員を退け、ドリンクバーに行くと言いながら席を立ち上がり、ジュースか何かを注ぎに行った。
いやいやいや、なに、急に。
ただでさえ朝から混乱してるっていうのに、突然ファミレスに連れ込んで「ハンバーグセット1つください」だぁ?コップに黒い飲料水(コーラかな?)を注いできて、私にはお冷を持ってきた。
「キミ、ほんとに何もいらないの?」
…いや、なにもいらないの?じゃないでしょ。
何なのこれは。
何も言わずにじっと彼を睨んでいると、首を傾げ気味に疑問を投げかけてきた。
「どうした?」
疑問を投げかけるのはこっちでしょうが。あんたが首を傾げてどうする。私は堪らずに聞いた。
「なんなん、急に」
「ああ、ごめん」
悪びれもなくそう言いながら、注いできた黒い飲料水にミルクとガムシロップを入れ始めた。
「ちょっ、何入れてんの?!」
「何って、ミルクとガムシロップ」
えぇ…。コーラにミルクとガムシロップ…。どんな文明や文化でもそのチョイスは絶対に無い。クソまずいだけでしょそんなもの…。
「まあ、人それぞれやし、ええんやないかな…」
「ハハッ。コーラなわけないだろ。コーヒーだよこれ」
コーヒー?あっ、ほんとだ。よく見たらシュワシュワしてない。
「コーヒー飲めるん?」
私はまさかあの亮平がコーヒー飲むなんて思わないから、黒い飲料水=コーラだと言う風に勝手に解釈していた。
「飲めるよ」
ふーん。
亮平が注いできた水を口に入れ、ミルクが馴染むようにマドラーをグルグル回している様子を見つめている。
で、話っていうのは?
亮平はマドラーから手を離してこっちを見た。こっちを見ると同時に急に謝り始めた。「突然申し訳ない」って手を合わせて、話聞いてくれるか?って、真っ直ぐ私を見た。
話を聞いてくれるかって言われても…。
「別に構わんけど」
心の中では全然そんな風に思っていない。とりあえずいろんな問題が片付いていない状態だったし、急に手を引っ張られてここに連れてこられても、納得できるわけがなかった。だけど整理がついていない頭が思考回路を停止させ、一時的とはいえ、なすがままにされたことが逆に今の状況を作ってしまった。亮平の言葉を静止できるタイミングも見つからず、あっという間にオニオンズに入ってきてしまったというわけだ。急にどうしたのか。
亮平はコーヒーを口に入れながら、神妙な口ぶりを見せる。無理やり私をここに連れてきた姿勢とは裏腹に、その口ぶりは妙に重々しく、慎重だった。
「あのさ、突然こんなこと言って申し訳ないんだけど、今から僕が言うことは、全部嘘じゃないから」
『嘘じゃない』。
そう話す言葉が、私にとっては不自然極まりなかった。そもそも、亮平が嘘つきだという風に思ったことはない。昔からヤンチャなやつだなぁとは思ってたけど、嘘つきではなかった。見栄っ張りではあったけども。
「…それで?」
とにかくなんの用なのか、それだけを聞きたかった。ここが「現実の世界」じゃないにしても、私に話があって、家にまで来たと言ったんだ。それ相応の理由があるのだろう。ちゃんと聞いてあげるから用件を言いなさい。
「じつは、『未来』から来たんだよ。冗談抜きで」
…うーん。
私はその場から立ち上がって帰ろうとした。
バカバカしい。
バカの話に付き合ってる暇はない。水を飲み干してお店の出入り口に直行する。全くもって時間の無駄だ。
「おいおいちょっと待って!」
亮平は必死になって私を引き止めようとする。残念ながら私はサヨナラしたい。亮平が昔からバカなやつだってことを幼馴染の私は知ってる。だからこれ以上話してても私にメリットがあるとは思えなかった。
「離してよ…」
めんどくさい。
その素の感情は亮平にも届いたのか、ますます必死になって言葉を紡ぎ始めた。
「頼むからもう一回座って!な!頼む!」
座ったって仕方ないじゃないか。ほんとはなんの用事があるの?と、その場で尋ねた。ちゃんと答えろよ、と睨みを効かせて。
「だから、その…」
困った様子を浮かべる亮平。
…いや、困るのはこっちの方なんだけど。
「だから、なに?」
その場に俯いて何も言わない。
いや、なんか言いなさいよ。なんであんたが困った顔してるわけ?亮平はとにかく座って欲しいと言うから仕方なくまた席に戻った。戻ったのはいいけど、結局あんたは何が言いたいの。まじまじと亮平を見つめるが、さっきとは打って変わって何も言わなかった。
「用事がないなら帰るけど」
亮平のことだから、どうせ大した話じゃないことは分かっていた。亮平の口から、深い言葉が聞けるとは思えない。私は何も期待せずに、黙って座っていた。
「…なんて言えばええんかな」
なにが言いたいのかは知らないけど、そんな思い詰めることある!?目に見えて困っているのはわかるが、なにをそんなに思い悩むのかがわからなかった。
「なんかあったん?」
その言葉にハッとした顔を見せた。そうしてそのままこう言ってくる。
「未来から来たって、信じてくれないとは思うけど…」
私はまた立ち上がり、亮平を見下ろした。
いい加減にしなよ、と言いたい気もしたが、やめにした。
「あんたが真面目になってくれるなら聞くけど、ならないなら帰る」
未来から来たとかアホなことしか言えないなら、これ以上付き合っても無駄だ。すると亮平はこちらを見つめ、テーブルの上に一冊のノートを置いた。
タイトルは、「ベッケンシュタイン境界」とあった。
「…なにこれ?」
「どうせ信じないと思ったから、ノートにまとめておいた」
「なにを?」
まったく話が見えてこない。
なにをまとめる必要があるんだ?
亮平はそのノートを開いてみせた。
「僕が未来から来たっていう証拠がここにある」
…ほんとにコイツ。
ふざけるのもいい加減にしろと思ったが、ふざけるにしては目が笑ってない。それに、ノートをよく見ると不可解な文字がぎっしり埋まっている。
「2014年1月1日 大杉勉さん 死去 62歳
2014年1月1日 近藤真彦さん 死去 88歳
2014年1月2日 早川玲於奈さん 死去 24歳 …」
なに…これ。
亮平は困惑する私を静止するかのように、「これは…その」と言ってページをめくり始めた。
「ここに書かれてるのは、これから起こることの総まとめみたいなやつ。うまく説明できないけど、今日は12月24日でしょ?この1月1日っていうのは、来年の1日から、この地元の須磨で亡くなる人の一覧を載せてる」
なに不謹慎なことを言ってるんだ、コイツは。
1日に亡くなる?って?
誰が?
「だから、ここに書かれてる人が」
…マジか。
ふざけるにしても度が過ぎる。幼馴染だから話を聞いていたが、いよいよアホらしくなってきた。
「帰る」
オニオンズから出た私を追うように亮平は走って私の手を掴んできた。
「…なんや」
ほんとにいい加減にしてほしい。久しぶりに会ったと思ったら、未来から来ただの誰かが死ぬだの、訳の分からないことばかり。私はそれどころじゃないってのに。
「ハンバーグセットは?食べに戻った方がええんちゃうの?」
息切れしながら私を追ってきて、「もう勘定してきた」と言った。
「頼む!少しだけでいいから真面目に聞いてほしい!」
「真面目に聞いて」とは。まずはあんたがマジメになれよ。まったく呆れる。いつまで経ってもバカなことしかやってこなかったあんたが、突然目の前に現れて「未来からやって来た」だって?
いっそ、本当に未来から来てた方がいいんじゃないか?
中学の頃のあんたがちゃんと真面目に勉強するように。
今からでも遅くないから、「過去」のあんたに説教でもして来なさいよ。
そう言いたい気もしたが、亮平の方は血相を変えて私の前に立ちはだかった。ここは通さないとばかりに。
「どいてよ」
「どかない」
絶対に動かないと手を広げて壁を作っている。
バカに付き合うのも気力がいるな、これは。
全然どきそうもないから、無理にでも進んでいこうとした。
すると今度は、私の肩を掴んで「一生のお願いだから」と言ってくる。
「ちょっと…、マジでなんなの!?」
亮平はその場にしゃがんで、急に頭を下げてきた。それこそ、すごい勢いで。ふざけてるにしては、やけに必死過ぎる。いきなり頭を下げるなんてどうしたんだ。
「頼む!この通りだ!」
「…」
なんでそんなに必死なの?
私は尋ねた。
だってあまりにも不自然だったから。
冗談を言っているにしては切迫感がすごい。
それに冷静に考えたらわざわざ家に来て、公共の場だというのに人目も憚らず土下座してまで、「話を聞いて欲しい」だなんて。
「とりあえず頭上げなって」
状況が状況だけに、まるで私が頭下げろと言ってるみたいで恥ずかしい。一旦落ち着いて欲しい。
「話聞いてくれるのか?」
聞かないってことはないけど…。
その気持ちを削いでるのはあんたでしょーが。
「キミが理解できないのは分かる。だから、嘘だと思っていいから、今日一日だけ付き合ってくれないか?」
その言葉にどう返答すればいいのか…。
まあ、別に問題があるわけではないが、とにかく今は自分の身に起きた出来事が何なのかを整理することの方が、優先順位が高かった。だけど、整理しようにもどうすればいいかわからないし、海まで歩いて来て、何かが変わるかもしれないと期待したけど、なにも変わらない。
手を合わせて「頼む!」と懇願する亮平を見ながら、まあ、いっか、という気持ちになれたのは、自分がまだ夢を見ているかもしれないという気持ちを持っていたためだった。
「未来から来た」という言葉や、幼馴染の奇怪な行動。
そういうものが全部霞んで見えるくらいに、自分の身の回りの世界が丸ごと変わっているという今。
謎すぎる発言を連発する亮平を見ながら、ファミレスに戻ろうよと促した。
ハンバーグセット食べてないんでしょ?
ついでに私にもなんか奢ってよ。
久しぶりに会った亮平との会話は、「会話」と呼ぶにはあまりにも変な内容だったが、どこか、ホッとする気分にもなれた気がした。
亮平は中学を出て、高校にも行かず仕事についていたということを知り合いから聞いていたから、今頃どうしているんだろうと心配してたんだ。
とにかく、元気そうで何よりだよ。
私たちは砂浜でUターンし、冷たい海風から逃げるようにオニオンズの中へ戻った。
そこで、私たちは昔の頃のように話をすることになった。




