第2話
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わぁぁぁぁぁ!
最初の第一声はそれだった。いるはずのない部屋のベットの上で、夢から覚めたように飛び起きる。
私は確か、——今…
自分でも不思議なくらいに鮮明なその「記憶」は、ついさっきまで自分が街の交差点にいたことを思い出せるくらい、近くにあった。思わず手を体に抱き寄せてみる。…どこも痛くないし、どこも問題はなさそう…でも、さっきまで私は確か、交差点にいて、
…えーと、
それから…
混乱する頭の中で、部屋を出て階段を降りた。洗面台に行って顔を洗う。バシャバシャと水しぶきをあげたあとにタオルで顔を拭いたあと、鏡を見た。
「私」だ。
おかしなことを言ってるのかもしれない。でも私がそこにいる。さっきまで外を歩いていたはずの「私」が、なぜか家の中に…
「なに、どうしたん?」
後ろで妹が声をかけてきた。
「ううんなんもない」
私はそこから立ち去ろうとしたけど、どうも奇妙だった。夢にしてははっきりしていたし、家を出て学校に向かっていたはず。スマホを忘れたから家に取りに戻ろうと思って、急いで走って、その先で…
時計を見た。時刻は7時だった。
…嘘でしょ?
なんで7時なの?
母さんの声に起こされて、家を出たのは確か7時20分だった。
…そんなバカな
妹は不思議そうにチラチラこっちを見ている。いやいや…、不思議なのはこっちだよ。ぐるぐる家の中を歩き回って冷蔵庫の牛乳を飲み干し、リビングのソファに腰掛けた。
不味…。
嫌いな牛乳を飲み干すその所業が、頭を整理させるには十分すぎた。…だけど、なんにも解決してない。解決してないどころかテレビをつけたら、「クリスマスイヴ」の話題がニュースの一面に取りあげられていた。…冗談でしょ?チャンネルをどんどん変えて、現実を確かめようと努力した。が、どの番組も季節外れの話題で持ちきり。夏なのになんで冬の話をしてるんだろうこの人たちは。番組に出てくる出演者たちがこぞって「冬」の嗜みを話題に持ち上げて談笑している。
…いやいや、どう考えても冬の話を持ち込むには早すぎるでしょ…
苦笑しながらリモコンを操作していると、また妹がやって来て、
「お姉ちゃん今日お母さんがクリスマスパーティー開くっていうんだけど、何が食べたい?」
と言ってきた。
なんであんたまでボケてるの??
そう突っ込むと、何言ってんのと強い口調で逆に返された。
いやいや、なんで怒られてるのが私なの?
スマートフォンの画面を見た。
そこには、予期しない文字や記号が並んでいた。
12月24日午前7時05分。
……ハハハ。
からかうのはやめてよ。
12月?
…12月って、……はぁ?
訳がわからない。ソファに腰掛けながらひたすらリモコンを押し続けた。指が疲れてきたところで時計を見ても、間違いなく7時を回ったところで針が止まっている。そんなことって…、ある?
いやべつに、変なことを言っているつもりはない。絶対に時間を間違えることなんて…
「はいこれ、朝ごはん」
食卓からコーヒーとバナナとパン。流れるように妹が持ってきて、食べなさいと言ってきた。運ぶもの運んでお姉ちゃんがついに壊れたと言って後ろの方で談笑しながら、「外見てみなよ」って。
外?
重たい腰を上げて、パンを口に頬張り、煎れたてのコーヒーの匂いに鼻を傾けながらパタパタ歩き、閉め切ったカーテンをやさしくひらいた。
「……うわ」
そこには、一面の銀世界が広がっていた。
季節外れすぎるまっ白いフォトショットが、太陽の光線を浴びてフラッシュを焚き、混乱する頭の中をさらにかき乱した。
銀、銀、銀。まさしく白。
そういう色彩のコントラストに打ちのめされるかのように眩しい雪化粧の銀世界が、隙間もなく覆いかぶさってきた。世界の「色」が変わっている。
どうなってんの?
ますますわけがわからない。
時間感覚がおかしいとか、そんなレベルじゃない。
…夢でも見てる?
…まさか、そんなわけないよね。
呆然と立ちすくんでいる後ろで、ありふれたクリスマスのBGMがテレビから聞こえてきた。…いやいや、だからおかしいでしょ?まだセミが鳴いている時期だよ?夏休みが明けたばっかりなのに、いくらなんでも気が早すぎる。
なんで部屋に暖房がついてんの?
なんで、厚手のセーターを妹は羽織ってるの?
暑苦しいからそれ脱いでよと迫ってみたけど、
「それなんの嫌がらせ?」
とキョトンとされておしまい。
はい、そうですか……。
もういい。私の降参!私の負け!どうせなにかのイタズラでしょと騒ぎ立てても音沙汰無し。誰も何も言ってくれない。チクタクチクタクと時計の針が何事もなく私の横を通り過ぎるだけ通り過ぎ、まるで私がおかしいみたいに冷ややかな視線を送られた。
ひどくない?
リビングのガラス戸は外気との温度差で結露し、冷たい水滴を垂らして寒がっていた。エアコンは轟音を立てながら、一生懸命家を温めていた。設定温度28度。どう考えても場違いな設定温度にビビり、慌ててリモコンのスイッチを押す。
ここまでくるともういてもたってもいられなくなった。リビングを出て靴を履き、玄関のドアを思いっきりこじ開けた。それと同時に、外の冷え切った冷気が一斉に家の中へと流れ込んできた。
冷たく、凍える空気。
「冬」だ。
それに間違いない。
私の稚拙な頭でも、その「空気の正体」が、冬の季節の物だというのがわかる。
街の交差点に降り積もる雪。
信号機の上にかぶさる雪。
薄暗い空の下のビルの色。
雪をかき分けて削れた道路の地面のタイヤ痕。
曇天の空の下で紙吹雪のように舞う白の結晶。
ドアを開けると、まごうこと無き銀世界の情景が、頭の奥へいっぺんになだれ込んできた。いくら考えたって追いつかない非現実的な映像が、一直線に意識の中に割り込んできて、多少の疑問などねじ伏せるかのように世界の「全て」を変えていた。暑苦しく注がれていた昨日までの夏の日差しは消え、ぶ厚い雲に空が覆われている。手のひらにこぼれる雪。ひとひらの雪。
12月?
ハッ。
スマホを開いて電話をかけた。ばかみたいじゃないか。一人焦って外に出て、わけもわからず空から落ちるひとひらの雪をキャッチし、ブラックアウト寸前の頭を必死に整理しようと努めてみるけど、これじゃあ私がおかしいみたいじゃないですか。
ふざけないでよそんなわけないでしょ。
プルルルルルrr…
かけた連絡先は、高校の友達だ。今日、一緒に花火大会を見に行く友達。友達というより、親友に近い。名前はキーちゃんって言う。桐崎千冬。通称『キーちゃん』。
(あれ…、出ないな)
電話を切ってしゃがみ込む。地面は雪で覆われていた。10センチは積もっているかも知れない。場所によってはもっとか…。夜中から降っていないと、こうはならない。というか、雪が降っているということ自体が、どう考えてもあり得ない。
なんなんだ、…この空は。
風はびゅうびゅう吹いてるし、口からは湯気が漏れている。
「おお、さぶ」
家に戻ってエアコンを付け直し、梨紗(妹のこと)にセーターを貸せと促した。梨紗はもちろん嫌だと言ってきて、代わりに一枚の毛布を渡してくれた。毛布に身をくるんで寒気のする体を慰めながら、季節外れのクリスマスイヴの歌を聞いた。
ジングルベルジングルベル
聞き慣れたこの歌のリズムは、なぜか、心の中を落ち着かせてくれた。落ち着くって言うより、どちらかと言えば「ああ、冬だな」って感じることかな。今が冬なんてことは絶対あり得ないはずなのに。




