第9話 深層への誘い
地下水道の探索を開始してから、三時間が経過していた。
俺たちの歩みは、思いのほか順調だった。
「――来ます! 上方、三体!」
水無月の鋭い警告が響く。
俺は即座に反応し、ロッドを構えて上を見上げた。
暗闇の天井から、黒い影が急降下してくる。
『ジャイアントバット』だ。翼長一メートルほどの巨大なコウモリで、超音波で獲物の平衡感覚を狂わせてから吸血する厄介なモンスターだ。
「キィィィッ!」
耳障りな鳴き声と共に、先頭の個体が俺の顔面を狙って突っ込んでくる。
だが、今の俺には『見えて』いる。
水無月の『観測』情報が、俺の脳内で予測線として変換されているからだ。
(右翼の付け根!)
俺はロッドを突き出し、コウモリの突進に合わせてベクトルを干渉させる。
真正面から受け止めるのではなく、軌道をわずかに『ズラす』イメージ。
ベクトルシフト、右へ1度!
グンッ、という手応え。
わずか1度の偏向。だが、猛スピードで突っ込んでくる相手には、その僅かなズレが致命的になる。
コウモリは俺の顔面を数センチ横切り、そのまま制御を失って地面に激突した。
無防備に転がったその背中に、俺は容赦なくロッドを叩き込む。
インパクトの瞬間、ベクトルを『1センチ』奥へずらす。
『浸透勁』イメージの打撃が、毛皮の上から内部の肋骨を粉砕した。
「次、左から来ます!」
「了解!」
俺は息つく暇もなく振り返り、二匹目の襲撃に対処する。
水無月の指示は完璧だ。
彼女は敵の位置だけでなく、攻撃のタイミング、軌道、さらには敵の『癖』まで読み取っているらしい。
俺はその情報に従って、最適な位置にロッドを置くだけでいい。
まるで、優秀なナビゲーションシステムに導かれているような感覚だ。
二匹目も同様に処理し、残るは一匹。
「オラァ! 俺様の出番だ!」
そこでようやく、権田が動いた。
最後の一匹が空中で旋回し、体勢を立て直そうとしたところへ、権田が剣を振り回して突っ込んだのだ。
「死ねぇ! ……あ?」
しかし、コウモリはひらりと身を翻し、権田の剣を回避する。
空振った勢いで、権田がよろめく。
その隙だらけの背中に、コウモリが牙を剥いた。
「権田さん、後ろ!」
「うおっ!?」
権田は慌てて盾を背中に回すが、間に合わない。
コウモリの牙が、鎧の隙間である首筋を狙う。
――シッ!
俺は手近にあった石ころを拾い、全力で投擲した。
狙うは、コウモリの翼の付け根。
だが、素人の投擲で、動く標的を射抜くのは至難の業だ。
だから、指先から離れる瞬間に、スキルで補正する。
ベクトルシフト、射出角補正!
指先から放たれる瞬間、石の軌道を無理やり1度だけ修正する。
修正された軌道が、あさっての方向へ飛びそうだった石を、直撃のコースへと導く。
バシッ!
乾いた音がして、石がコウモリの翼の付け根――関節部分に直撃した。
筋力Eマイナスの俺の投擲だ。ダメージなんて期待できないし、翼を貫くことなんて不可能だ。
だが、飛行の要である関節を叩かれた衝撃は、コウモリのバランスを崩すには十分だった。
「ギッ!?」
翼膜を破られたコウモリがバランスを崩し、落下する。
そこへ、体勢を立て直した権田が、怒りに任せて剣を叩きつけた。
「このクソ鳥がぁぁぁッ!」
グシャッ。
コウモリは一刀両断され、黒い霧となって消えた。
「……ふん、雑魚が。俺様の手にかかればこんなもんだ」
権田は荒い息を吐きながら、剣についた血糊を払う仕草をした。
俺と水無月は顔を見合わせ、小さく溜息をついた。
この三時間、戦闘のパターンはずっとこれだ。
水無月が索敵し、俺が迎撃する。
権田は突っ込んで空回りするか、俺たちが弱らせた敵にトドメを刺すだけ。
タンクとしての役割を果たしているとは言い難い。
だが、本人は「俺がトドメを刺した=俺が倒した」と認識しているらしく、上機嫌だった。
「おい相沢、今の見たか? 俺の剣技。冴えてるだろ?」
「……ええ、すごい威力でしたね」
俺は適当に相槌を打った。
ここで機嫌を損ねても面倒だ。
それに、彼が前衛にいてくれるだけで、少なくとも敵の注意は分散される。
肉壁としての価値はある。
「水無月も、まあまあ役に立ってるじゃねえか。最初はどうなるかと思ったがよ」
「……ありがとうございます」
水無月はフードを目深に被り直した。
権田の言葉には棘があるが、彼女は気にしていない様子だ。
それどころか、俺との連携が上手くいっていることに、確かな手応えを感じているようだった。
「相沢さん、今の動き……すごく良かったです。私の予測より、コンマ一秒速かった」
「君の指示のおかげだよ。……これなら、もっと奥まで行けるかもしれない」
俺たちは、地下水道の『第1層』と呼ばれるエリアを探索していた。
Fランクダンジョンは通常、3〜5層構造になっている。
下に行けば行くほど敵は強くなるが、実入りも良くなる。
今のペースなら、第2層への入り口まで行けるかもしれない。
「おい、何コソコソ話してんだ。行くぞ、次はもっとデカい獲物だ!」
権田が先を急かす。
彼の欲求は、承認欲求と金銭欲だ。
今のところドロップ品はショボい魔石ばかりで、彼は不満を募らせている。
一発逆転のレアアイテムを求めて、彼はどんどん奥へと進んでいく。
俺たちは、地下水道のさらに深い場所へと足を踏み入れた。
◇
異変に気づいたのは、それから三十分ほど経った頃だった。
風景が変わった。
それまでの無機質なコンクリートのトンネルから、赤煉瓦で組まれた古めかしい水路へと変化したのだ。
壁面は黒ずみ、所々が崩れかけている。
足元の水流も深さを増し、ドブ川のような強烈な腐臭が鼻をつく。
近代的な下水道から、忘れ去られた旧時代の遺構へと迷い込んだようだ。
「おっ、雰囲気変わったな。ここからが本番か?」
権田がキョロキョロと辺りを見回す。
だが、俺が気になったのは、景色の変化ではなかった。
静かすぎる。
さっきまで聞こえていた、ネズミの足音やコウモリの羽音が、一切しない。
水の流れる音さえも、どこか遠くに感じる。
まるで、防音室に入ったかのような、不自然な静寂。
「……ねえ、なんか変じゃないか?」
俺は足を止めた。
背筋に、冷たいものが走る。
生物としての本能が、ここから先へ進むなと警告している。
「あぁ? 何がだよ。敵がいなくてラッキーじゃねえか」
「いや、いなさすぎるんだ。モンスターの気配が全くない」
ダンジョンは、モンスターの巣窟だ。
一定の密度で遭遇するのが普通だ。
それなのに、ここには『生体反応』がない。
「水無月、どう思う? 何か見えるか?」
俺は後ろを振り返った。
水無月は、青ざめた顔で立ち尽くしていた。
その瞳は、一点を見つめたまま小刻みに震えている。
「……見えません」
「え?」
「何も……見えないんです。未来も、気配も。……真っ白で」
彼女の声が震えていた。
『戦況読解』が効かない?
そんなことがあるのか。
「……引き返しましょう」
水無月が、絞り出すような声で言った。
「ここは、ダメです。嫌な予感がします。私のスキルが、拒絶反応を起こしてる……」
「おいおい、何ビビってんだよ。ここからがお宝の山だろ?」
権田は聞く耳を持たない。
彼は通路の奥に見える、大きな扉のようなものを指差した。
「見ろよ、あそこ。なんか広くなってねえか? ボス部屋かもしれねえぞ。あるいは宝物庫か? 行ってみようぜ」
「待てよ権田! 水無月が危険だと言ってるんだ。一度戻って、態勢を立て直すべきだ」
俺は権田の肩を掴んで止めようとした。
だが、彼は乱暴に俺の手を振り払った。
「うっせえな! お前らだけで帰れよ! 俺は一人でも行くぞ!」
「権田!」
権田はズカズカと歩き出した。
その背中は、功名心と欲に憑りつかれているように見えた。
あるいは、彼もまた、無意識の恐怖に追われているのかもしれない。
立ち止まったら、自分の弱さと向き合わなければならないから。
「……くそっ、放っておけないだろ!」
俺は舌打ちをして、水無月を見た。
「ごめん、水無月。少しだけ付き合ってくれ。無理そうなら、俺が権田を殴ってでも連れ戻す」
「……はい。相沢さんが行くなら」
水無月は怯えながらも、杖を握りしめて頷いてくれた。
俺たちは、権田の後を追って、静寂の回廊を進んだ。
青白い光が揺らめく通路の奥へと、俺たちの姿は飲み込まれていった。




