第5話 孤独な訓練
翌日。俺はダンジョン管理局が運営する『第3訓練場』にいた。
ここはFランクからDランクまでの下級ハンター向けに開放されている施設だ。
コンクリート打ちっぱなしの広い空間には、サンドバッグや的当て用のマシンが並び、そこかしこで爆音と怒号が飛び交っている。
熱気と汗の匂い。そして、焦げ臭い魔力の匂いが充満している。
「オラァ! 『ファイアボール』!」
「『シールドバッシュ』!」
派手な魔法の光。
空気を切り裂く剣撃の音。
周囲を見渡せば、同年代くらいの若者たちが、それぞれのスキルを磨いている。
彼らの体からは、目に見えるほどの魔力が湯気のように立ち上っていた。
『身体強化』だ。
ハンターの基本にして奥義。魔力を全身に循環させ、筋力や反応速度を数倍に跳ね上げる技術。
彼らの動きは、常人の目では追えないほど速い。
サンドバッグが破裂しそうな音を立てて揺れている。
俺は、部屋の隅にある不人気なスペース――投擲練習用のレーンに立っていた。
手には、昨日買ったばかりの『戦術ロッド』。
周りの連中が巨大な剣や槍を振り回す中、俺の装備はあまりにも地味だった。警備員の訓練にしか見えないだろう。
「……あいつ、何やってんだ?」
「棒振り? 盆踊りかよ」
「魔力も全然感じないし、一般人が迷い込んだんじゃねえの?」
クスクスという嘲笑が聞こえてくる。
彼らに悪気はないのかもしれない。ただ、異質なものを見て笑っているだけだ。
だが、その無邪気な悪意が、今の俺には突き刺さる。
無視だ。
彼らとは目指す場所が違う。
俺は最強を目指しているわけじゃない。ただ、明日死なないためにここにいるんだ。
「……やるか」
俺は目の前のピッチングマシンに向き直った。
設定速度は時速80キロ。
プロ野球選手なら鼻で笑う速度だが、動体視力も反射神経も一般人並みの俺には、これでも十分に速い。
コインを入れると、マシンのアームが動き出す。
来る。
俺はロッドを構え、飛来するボールを待ち構えた。
使用するのは、ハンター訓練用の特殊硬質ボールだ。
見た目はただのゴムボールだが、中には鉛が仕込まれており、重さは1キロ近くある。
ゴブリンの投石を想定した、凶悪な代物だ。
狙いは、ボールを打ち返すことではない。
スキル『ベクトルシフト』の発動タイミングを掴むことだ。
ブォン、と重い風切り音。
白い球体が迫る。
(今だ!)
俺はボールがロッドに触れる瞬間を狙って、スキルを発動しようとした。
だが。
「ぐっ!?」
鈍い衝撃が手に走り、ロッドを取り落としそうになる。
ボールはロッドに当たって弾かれたが、俺の手首はジンジンと痺れていた。
「……ダメだ、遅すぎる」
失敗の原因は明白だ。
俺のスキルは、発動した瞬間に『身体強化』が強制解除される。
つまり、ボールが当たる瞬間に、俺はただの貧弱な一般人に戻ってしまうのだ。
時速80キロのボールを、身体強化なしで受け止めれば、当然痛い。
もしこれがモンスターの爪や牙だったら、受け止めた腕ごと持っていかれるだろう。
その後も、俺は何度も失敗を繰り返した。
早すぎて空振りしたり、遅すぎて直撃したり。
その度に、手首や腕に青あざが増えていく。
「タイミングを合わせるだけじゃダメだ。受け止めちゃいけない」
真正面から衝突しては、質量と速度で負ける。
俺に必要なのは『防御』じゃない。
『回避』とも少し違う。
もっと、力を受け流すような……。
そう、合気道や柔道のように、相手の力を利用して流すイメージだ。
俺はもう一度、ロッドを握り直した。
思い出すのは、あのゴブリン戦だ。
あの時、俺は棍棒を弾き返したわけじゃない。
ただ、軌道をわずかにズラして、俺の横を通り過ぎさせただけだ。
――1センチ。1度。
そのわずかなズレを、意図的に作り出す。
再びマシンが唸る。
ボールが放たれる。
俺はロッドを軽く突き出した。
振るのではない。ボールの軌道上に、滑り込ませるように。
接触の瞬間。
イメージするのは『反射』ではなく『誘導』。
川の流れを変えるように。
風の向きを変えるように。
(ベクトルシフト……右へ1度!)
カッ、と乾いた音がした。
手に衝撃はほとんどない。
ボールはロッドの表面を滑るようにして軌道を変え、俺の右耳の横を風切り音と共に通過していった。
後ろの壁に、ドスッという重い音が響く。
「……できた」
心臓が高鳴る。
これだ。
真正面からぶつかる必要はない。
相手の力に逆らわず、ほんの少しだけ方向を変えてやる。
1度ズレれば、手元では数センチでも、1メートル先では大きな隙になる。
これなら、筋力E-の俺でも、格上の攻撃を無効化できるかもしれない。
それから数時間。
俺はひたすらボールを「ズラす」練習を繰り返した。
失敗して体にボールが当たることもあったが、コツを掴むにつれて、成功率は上がっていった。
右へ、左へ、上へ。
触れた瞬間にベクトルを操作し、力を逃がす。
その感覚が、徐々に脳と体に馴染んでいく。
まるで、ロッドが体の一部になったような感覚。
休憩を挟み、俺は次のステップに移ることにした。
防御(受け流し)はなんとなく見えた。
次は攻撃だ。
俺はサンドバッグの前に立った。
まずは普通に叩いてみる。
バシッ。
軽い音が響く。
サンドバッグは少し揺れただけだ。
身体強化を使っても、筋力E-の打撃なんてこんなものだ。
これでは、ゴブリン一匹倒すのにも何十発も殴らなければならない。
周りのハンターたちが、一撃でサンドバッグをくの字に曲げているのを見ると、情けなくなる。
「……攻撃にも、応用できるはずだ」
佐伯は言っていた。
『方向と力をわずかに操作できます』と。
移動距離は1センチ。
だが、もしその1センチを、打撃の瞬間に「押し込む」方向に使ったら?
俺はロッドを振りかぶった。
狙うのはサンドバッグの中央。
インパクトの瞬間、ロッドの運動ベクトルを、さらに前方へ加速させるイメージ。
ゼロ距離からの、1センチの加速。
中国拳法で言う『浸透勁』のような、内部への衝撃。
「……ふっ!」
ロッドがサンドバッグにめり込む瞬間、スキルを発動する。
ズンッ。
重く、鈍い音が響いた。
いつもの乾いた音とは違う。中身が詰まった砂袋の芯を叩いたような、腹に響く感触。
サンドバッグの揺れは、普通に叩いた時より少し大きい程度だ。
だが、打撃の瞬間の手応えは、明らかに異質だった。
表面ではなく、内部に衝撃が伝わったような感触。
「……っ」
手首に伝わる反動が、予想以上に鋭い。
俺はロッドを握り直して、首を傾げた。
「……なんだ、今の」
理屈はよく分からない。
インパクトの瞬間に、打撃点を無理やり1センチ奥にズラしたせいだろうか?
それとも、単に力が逃げるのを防げただけなのか。
物理法則がバグったような、奇妙な感覚。
確かなのは、普通に殴るよりも手応えがあったということだ。
俺の貧弱な筋力と、微々たる身体強化で殴るよりは、よっぽど威力が出るかもしれない。
だが、問題もある。
この攻撃を放つ瞬間、俺の防御力はゼロになる。
もし打ち損じたり、カウンターを合わせられたりしたら、即死だ。
普通なら、身体強化を維持したまま殴り合う方が安全に決まっている。
まさに、諸刃の剣。
「……いや、贅沢は言ってられないか」
今の俺の攻撃力じゃ、そもそも敵の防御を抜けない可能性が高い。
リスクがあろうと、通じる攻撃手段があるだけマシだ。
それから、俺はひたすらサンドバッグを叩き続けた。
タイミングを体に叩き込む。
防御がゼロになる一瞬の恐怖を、反復練習でねじ伏せる。
何度も、何度も。
「はぁ……はぁ……」
ロッドを振る手が鉛のように重くなった頃、急激な疲労感が襲ってきた。
魔力切れだ。
時計を見れば、あれから一時間も経っていない。
魔力適性Eの悲しさか。
周りのハンターたちは、まだ涼しい顔で訓練を続けている。
才能の差は歴然だ。
俺はベンチに座り込み、スポーツドリンクを流し込んだ。
喉を焼くような冷たさが、乾いた体に染み渡る。
だけど。
俺は自分の手を見つめた。
マメができかけの、赤い掌。
そこには確かな感触が残っていた。
「……戦える」
確信があった。
最強にはなれない。
派手な魔法も使えない。
だけど、この「1センチ」を極めれば、生き残ることはできるかもしれない。
俺はロッドを握りしめ、ニヤリと笑った。
ハズレ枠? ゴミスキル?
上等だ。
そのゴミスキルで、生き延びてやる。
俺のハンターとしての第一歩は、こうして地味に、しかし確実に始まったのだった。




