第2話 残酷な宣告
目が覚めたとき、最初に感じたのは「白」だった。
白い天井。白いカーテン。そして、鼻をつく消毒液の鋭い匂い。
「……っ、ぐ」
体を動かそうとした瞬間、全身に電流が走ったような激痛が駆け巡った。
指先一つ動かすだけで、筋肉が悲鳴を上げる。骨の髄まで軋むような、重く鈍い痛み。
まるで、全身をハンマーで砕かれて、無理やり接着剤で繋ぎ合わされたような感覚だ。
「気がつきましたか」
不意に、横から声をかけられた。
痛みに顔を歪めながら、ゆっくりと首だけを動かす。
ベッドの脇に、一人の男が立っていた。
年齢は三十代半ばくらいだろうか。黒縁の眼鏡をかけ、パリッとしたスーツを着こなしている。手にはタブレット端末を持っていた。
医者ではない。病院の関係者にしては、雰囲気が硬すぎる。
「ここは……」
「国立ダンジョン対策医療センター。通称、管理局病院です」
男は事務的な口調で答えた。
喉が渇いていて、声がうまく出ない。男は慣れた手つきでサイドテーブルの水をストロー付きのカップで差し出してくれた。
冷たい水が喉を通ると、少しだけ意識がはっきりとしてくる。
記憶が、フラッシュバックする。
夕暮れの商店街。
空間の歪み。
緑色の小鬼。
そして、俺が振り下ろした鉄パイプと、ひしゃげた先端。
「俺は……助かったんですか」
「ええ。あなたが倒したゴブリンの死体と魔石を確認しました。あの状況で、武器もない一般人が単独でモンスターを撃破するとは。奇跡と言っていい」
男の言葉に、安堵の息が漏れる。
生きてる。
あの悪夢のような時間から、生還したんだ。
「ですが、喜んでばかりもいられません」
男が眼鏡の位置を直しながら、冷徹に告げた。
「相沢透さん。あなたは『魔圧』を受け、生存しました。それが何を意味するか、ご存知ですね?」
心臓が、ドクンと跳ねた。
知っている。
ニュースで何度も聞いた言葉だ。
ダンジョン内でモンスターを初めて殺害し、その魂のエネルギーを浴びて生き残った人間。
それは、もはやただの人間ではない。
「……覚醒者」
「その通りです」
男はタブレットを操作し、画面を俺に向けた。
そこには、俺の顔写真と、見たことのないグラフや数値が並んでいた。
「本日付けで、あなたはダンジョン管理局に『覚醒者』として登録されました。一般市民としての籍は一時凍結され、特別法に基づく管理下に置かれます」
淡々とした説明が、頭に入ってこない。
ハンター。
超人的な身体能力と、魔法のようなスキルを操り、ダンジョンに挑む選ばれし者たち。
高収入で、社会的地位も高く、子供たちの憧れの職業。
だが同時に、常に死と隣り合わせの危険な仕事でもある。
俺が?
この、痛いのも怖いのも嫌いな俺が?
「冗談……ですよね? 俺はただ、逃げようとしただけで……」
「事実は変わりません。あなたの体内には既に『魔力回路』が形成されています。もう、一般人の体には戻れないのです」
男の言葉は、死刑宣告のように響いた。
戻れない。
あの平穏で、退屈で、愛おしい日常には、もう二度と。
「……それで、私の能力は?」
俺は震える声で尋ねた。
ハンターになった以上、避けては通れない問題だ。
もし。
もしも、強力な能力に目覚めていれば、希望はあるかもしれない。
トップランカーになれば、億単位の年収を稼げると聞く。危険な前線に出なくても、企業のアドバイザーや護衛として安全に暮らす道もあるはずだ。
あの時。
ゴブリンの棍棒が、ありえない軌道で逸れた。
あれが俺の能力だとしたら。
物理法則を無視するような、強力な力だとしたら。
男――管理局の査定官である佐伯と名乗った彼は、少しだけ表情を曇らせた。
その反応に、嫌な予感が走る。
「……まずは、ご自身の目で確認してください。心の中で『ステータス』と念じれば、視界に表示されます」
言われた通りに念じる。
すると、空中に半透明の青いウィンドウが浮かび上がった。
AR(拡張現実)のような、不思議な感覚だ。
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氏名: 相沢 透 (24)
Lv: 1
クラス: 軽戦士
ランク: F
【ステータス】
筋力: E-
耐久: F
敏捷: D
魔力: E
幸運: C
【スキル】
身体強化(微): Lv.1
短剣術: Lv.1
【ユニークスキル】
ベクトルシフト(初級): Lv.1
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「……これって」
素人目に見ても、パッとしない数値だった。
オールEとかFばかり。唯一、敏捷がDあるくらいか。
だが、俺の目は一番下の一行に釘付けになった。
「ユニークスキル……『ベクトルシフト』?」
ユニークスキル。
数万人に一人しか発現しないと言われる、固有能力。
通常の魔法や剣技とは違う、その人だけの特別な力。
『相手のスキルを奪う』ようなチート能力か、あるいは『時間を止める』ような最強能力か。
期待に胸が高鳴る。
これがあれば、俺でもやっていけるかもしれない。
「佐伯さん! これ、ユニークスキルですよね!? どんな能力なんですか?」
興奮して問いかける俺に、佐伯は残酷なほど冷静に答えた。
「ええ、ユニークです。希少性だけは高い。……ですが、性能は解析済みです。実際に試してみましょう」
佐伯はサイドテーブルの上にあったプラスチックのコップを指差した。中には水が半分ほど入っている。
「そのコップに触れて、スキルを発動してみてください。『右に動け』と念じながら」
「わ、わかりました」
俺は震える手を伸ばし、コップに触れた。
右へ。
動け。
吹き飛べ!
「……っ!」
体内の奥底にある『何か』がごっそりと持っていかれる感覚。
全身の力が抜け、視界が明滅するような脱力感。
それと引き換えに、コップが動いた。
ズズッ。
テーブルの上を、コップが滑る。
わずかに。
ほんの、わずかに。
「……え?」
俺は目を疑った。
コップは倒れもしなければ、吹き飛びもしなかった。
ただ、一センチほど右にズレただけ。
「これが、あなたの能力の限界です」
佐伯が淡々と告げる。
「干渉できる範囲は、極めて限定的。現在のレベルでは、角度変更は1度。移動距離は1cm。それが全てです」
「……はい?」
耳を疑った。
1度? 1センチ?
「あ、あの、桁が間違ってませんか? 1メートルとかじゃなくて?」
「1センチです。それも、対象に直接触れていなければ発動しません」
1センチ。
指先ほどの距離。
そんなもの、誤差だ。
戦闘中に敵の剣を1センチずらしたところで、何になる?
いや、プロローグの時はそれで助かったが、あれは奇跡的なタイミングだったからだ。
毎回あんな芸当ができるわけがない。
「しかも、今の脱力感で気づいたでしょう。このスキルには致命的な欠陥があります」
佐伯がさらに追い打ちをかける。
「スキル発動時、あなたの体内の魔力回路は、ベクトルの演算処理に全リソースを割かれます。その結果――身体強化(魔力纏い)が強制的に解除されます」
その意味を理解した瞬間、血の気が引いた。
ハンターがモンスターと戦えるのは、魔力で肉体を強化しているからだ。
身体強化がなければ、ハンターといえどただの人間。
ゴブリンの一撃で骨が砕け、爪で肉が裂かれる。
「つまり……能力を使うためには、敵に触れなきゃいけない。でも、能力を使う瞬間は、防御力がゼロの生身になる……ってことですか?」
「その通りです。敵の攻撃を至近距離で受け流そうとして、もしタイミングを誤れば即死。あるいは、能力が発動しても、余波だけで重傷を負うでしょう」
佐伯は眼鏡の奥の瞳で、憐れむように俺を見た。
「攻撃力なし。防御力なし。射程距離ゼロ。……残念ながら、管理局のデータベース史上、最も実用性の低い『ハズレ枠』と言わざるを得ません」
ハズレ枠。
その言葉が、重くのしかかる。
ユニークスキル持ちと聞いて天国に登った気分だったのが、一瞬で地獄に叩き落とされた。
なんだよ、それ。
命がけでゴブリンを倒して、痛みに耐えて覚醒して、手に入れたのがこれかよ。
1センチしか動かせない、自殺志願者専用のゴミスキル。
「……なんとかならないんですか。他のスキルを覚えるとか」
「もちろん、レベルを上げればステータスは伸びますし、『軽戦士』特有のスキルも覚えるでしょう。ですが、それはあくまで平凡な成長に過ぎません」
佐伯は冷水を浴びせるように続けた。
「あなたのクラスはありふれた『軽戦士』です。強力な補正もなければ、特殊な派生も期待できない。それに、魔法などの汎用スキルを覚えようにも、あなたの魔力適性はEです。初級魔法一つ覚えるのに数年はかかるでしょう。その間、どうやって食べていきますか?」
食べていく。
そうだ、生活がある。
「あの、会社は……」
「覚醒者登録と同時に、労働基準法の特例により、一般企業への就労は制限されます。現在の勤務先では、既に退職の手続きが進められています」
「クビ、ですか」
「法的な措置です。覚醒者は魔力の影響で精神が不安定になりやすく、また犯罪組織やモンスターの標的になるリスクもあります。一般企業での雇用継続は、企業側の負担が大きすぎるのです」
仕事も失った。
体はボロボロ。
能力はゴミ。
「……俺、どうすればいいんですか」
情けない声が出た。
涙が滲んでくる。
なんで俺なんだ。
真面目に生きてきたのに。
ただ、家に帰りたかっただけなのに。
佐伯はタブレットを閉じ、淡々と言った。
「選択肢は二つです。一つは、ハンターとして生きる道。Fランクからのスタートですが、地道に素材採取などをすれば、生活費くらいは稼げます。もっとも、あなたの能力では採取任務ですら命がけでしょうが」
「もう一つは?」
「ハンター免許を返納し、一般人として生きる道です。ただし、一度覚醒した魔力回路は消えません。定期的な魔力検査と、カウンセリングが義務付けられます。また、再就職のハードルも極めて高いのが現実です」
究極の二択。
死ぬ確率の高い労働か、社会の隅で息を潜めて生きるか。
「……少し、考えさせてください」
「いいでしょう。退院まであと一週間。それまでに決めてください」
佐伯は一礼すると、病室を出て行った。
◇
その日の夜。
俺は痛む体を引きずって、病院の屋上に来ていた。
七月の夜風が、入院着の裾を揺らす。
眼下には、街の明かりが広がっていた。
車のヘッドライト。ビルの窓明かり。
昨日まで俺がいた世界。
平和で、退屈で、安全な世界。
フェンス越しに手を伸ばす。
届かない。
透明な壁があるみたいに、俺とあの世界は隔絶されてしまった。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
飼い殺しか。
ハンターを辞めて、監視付きの生活保護みたいな暮らしをして、使い物にならない覚醒者として生きる。
それは、安全かもしれない。
でも、それは生きていると言えるのか?
俺は自分の手を見た。
包帯が巻かれた、震える手。
この手で、あのゴブリンを殺した。
その感触が、まだ残っている。
骨が砕ける感触。
命を奪う感触。
怖かった。
死ぬほど怖かった。
でも。
(……俺は、生きたかった)
あの瞬間、俺は確かに生きていた。
ただ流されるだけのモブキャラじゃなく、自分の意志で、自分の命を掴み取った。
1センチ。
たった1センチの奇跡。
それがゴミスキルだとしても、俺を救ってくれた力だ。
「……やるしか、ないのか」
戻れないなら、進むしかない。
最弱でも、ハズレ枠でも。
這いつくばってでも、生き延びてやる。
俺はフェンスを強く握りしめた。
夜空に浮かぶ月が、冷ややかに俺を見下ろしていた。




