第14話 祝杯と岐路
ジュウジュウと、網の上で肉が焼ける音が響く。
立ち上る白煙と、タレが焦げる香ばしい匂い。
駅前の路地裏にある激安焼肉店『スタミナ苑』。
床は油でヌルヌルし、換気扇は悲鳴のような音を立てて回っている。
決して上品とは言えない店だが、今の俺たちには、どんな三ツ星レストランよりも輝いて見えた。
「「「お疲れ様でしたー!」」」
乾杯の音頭と共に、冷えたジョッキをぶつけ合う。
俺と権田は生ビール、水無月はウーロン茶だ。
ゴクリ、と喉を鳴らして液体を流し込む。
炭酸の刺激とホップの苦味が、乾ききった体に染み渡る。
五臓六腑が歓喜の声を上げているのが分かった。
「ぷはぁぁぁっ! うめぇぇぇ! 生き返るぅぅぅ!」
権田が涙目で絶叫し、ジョッキをドンとテーブルに置いた。
そのまま箸を伸ばし、焼けたばかりのカルビを山盛りの白飯にバウンドさせて口に運ぶ。
ハフハフと熱そうにしながらも、咀嚼する顔は至福そのものだ。
「食え食え。今日は俺の奢り……と言いたいところだが、割り勘だぞ」
「分かってるよ! でも、今は食わせてくれ! 死ぬほど腹減ってんだよ!」
権田の食欲は凄まじかった。
死の恐怖から解放された反動だろうか。
俺もつられて肉を口にする。
安い成型肉だが、噛みしめると肉汁と脂の旨味が口いっぱいに広がる。
生きている。
食事という行為が、これほどまでに「生」を実感させるものだとは知らなかった。
「……はぁ。でもなぁ、盾がなぁ……」
一通り腹を満たしたところで、権田が急に現実に引き戻されたように溜息をついた。
「まだ言ってるのか」
「当たり前だろ! あれ、『ガーディアン社』製の特注品だぞ! 36回払いのローン組んで、まだ1回も払ってねえのに! 表面が溶けちまった!」
「36回って……お前、気が長いな。でも、中身は無事だったんだろ?」
「修理費が痛いんだよ! ……まあ、安物の盾だったら貫通してたかもしれねえけどな。タンクは装備が命だ。命を守るもんに金惜しんでどうする」
権田がジョッキを揺らしながら、恨めしそうに呟く。
確かに、彼の言う通りだ。
タンクはパーティの盾だ。彼が崩れれば、後衛は全滅する。
Fランクの稼ぎでそれを維持するのは、並大抵のことではないだろう。
「……なあ、相沢」
不意に、権田が真面目な顔で俺を見た。
昼間の尊大な態度はどこへやら、今の彼はどこか憑き物が落ちたような、弱々しい顔をしている。
「助けてくれて、ありがとな。……正直、お前が割り込んでくれなきゃ、俺は死んでた」
「気にするな。俺も必死だっただけだ。お前が最初に受けてくれなきゃ、俺たちがやられてた」
「いや、礼は言わせてくれ。……俺さ、本当はビビってたんだよ」
権田がぽつりと漏らす。
「借金して装備揃えて、後戻りできなくて。だから、舐められちゃいけないって、必死で虚勢張ってた。Fランクなんて底辺、強く出なきゃ食い物にされると思ってたからな」
意外な告白だった。
あの態度は、彼なりの防衛本能だったのか。
根は悪い奴じゃないのかもしれない。
ただ、不器用で、余裕がなかっただけで。
「あのラットと目が合った時、足がすくんで動けなかった。タンク失格だよな。……それに比べて、お前はすげえよ。あんな化け物相手に、一歩も引かねえんだから」
権田が自嘲気味に笑う。
俺は苦笑して首を振った。
俺だって怖かった。足が震えていた。
ただ、逃げる場所がなかっただけだ。
「……私は、怖かったです」
それまで黙って肉を焼いていた水無月が、静かに口を開いた。
彼女のグラスには、水滴がびっしりと付いている。
「正直、甘く見ていました。覚醒者になれば、何か特別な自分になれるんじゃないかって。アニメや漫画みたいに、魔法を使って華麗に戦う自分を夢見ていました」
彼女は自嘲するように口元を歪める。
「でも、現実は違いました。痛くて、臭くて、惨めで……。私、前の会社をクビになって、もうここしか居場所がないんです。『魔力持ちは一般業務に支障が出る』って、厄介払いされて」
覚醒者への差別。
表向きは保護されているが、社会の実情は冷たい。
特に、戦闘能力の低いFランク覚醒者は、一般社会からもハンター社会からも爪弾きにされる。
「私には攻撃スキルがありません。『戦況読解』なんて、ただ見るだけのスキルです。今日みたいに、敵が目の前に来たら、私はただ震えて死を待つしかありません」
「水無月……」
「でも、相沢さんは違いました」
水無月が顔を上げ、真っ直ぐに俺を見た。
「あの時、相沢さんは私の前に立ってくれました。1センチ。たったそれだけの動きで、死の運命を変えてくれました。……私、震えました。魔法よりも、どんなスキルよりも、あの瞬間の相沢さんは……凄かったです」
彼女の言葉に、俺は顔が熱くなるのを感じた。
買い被りすぎだ。
俺はただ、生き残るために足掻いただけなのに。
その時、店内のテレビからファンファーレのような音が流れた。
ニュース速報だ。
『――繰り返します。Fランクダンジョン「地下水道」が攻略されました。攻略したのは、本日デビューした新人パーティ『暁』の皆さんです!』
画面には、きらびやかな装備に身を包んだ若い男女が映し出されていた。
リーダーらしき剣士が持っているのは、刀身が青く輝く魔法剣だ。
後ろに控える魔法使いの杖も、宝石が埋め込まれた高級品。
彼らはマイクを向けられ、自信満々に笑顔を振りまいている。
『素晴らしい活躍ですね! 大手クランからのスカウトも来ているとか?』
『ええ、まあ。僕たちなら当然の結果ですよ』
画面の向こうの輝かしい世界。
店内の他の客たちも、「すげえな」「今年の新人は豊作だ」と噂し合っている。
あちらは、選ばれし者たち。
こちらは、生き残るだけで精一杯の落ちこぼれ。
その対比が、残酷なほど鮮明だった。
同じ日に、同じダンジョンに潜りながら、彼らは栄光を掴み、俺たちは泥水をすすって逃げ帰ってきた。
「……ちっ。いい気になりやがって」
権田が舌打ちをして、ビールを煽る。
その横顔には、隠しきれない嫉妬と劣等感が滲んでいた。
俺も同じだ。
悔しくないと言えば嘘になる。
「……解散するか?」
俺はあえて、その言葉を口にした。
このパーティは、あくまで研修用の即席チームだ。
今日で終わりにして、それぞれ別の道を探すのも自由だ。
水無月なら、後衛職としてもっと安全なパーティに入れるかもしれない。
権田も、借金があるとはいえ、命あっての物種だ。
重い沈黙がテーブルを包む。
肉の焼ける音だけが、空しく響く。
だが。
「……嫌だね」
権田が、焼き網の上の肉をひっくり返しながら言った。
「俺は借金返さなきゃなんねえ。それに、今の俺を拾ってくれるパーティなんて、そうそうねえよ。盾を壊すようなドジなタンク、誰が欲しがる?」
「権田さん……」
「それに、相沢。お前のその変なスキル……いや、ユニークスキルか。あれがあれば、俺たちはもっとうまくやれる気がするんだ」
権田が俺を見る。
その目には、すがるような、でも確かな信頼の色があった。
「水無月ちゃんもだ。お前の指示がなきゃ、俺たちは最初の奇襲で全滅してた。……俺たち3人、バランスは悪くねえと思うんだよ」
俺、権田、水無月。
火力不足の軽戦士、盾のないタンク、攻撃手段のない観測手。
欠陥だらけの構成だ。
だが、互いの欠点を補い合えば、今日のように生き残ることはできる。
「……私も、お願いします」
水無月が顔を上げた。
「私一人じゃ、何もできません。でも、相沢さんと権田さんがいてくれるなら……もう少しだけ、頑張れる気がします。それに、レベルも上がりましたし!」
彼女は少しだけ明るい声で付け加えた。
そう、俺たちは成長した。
微々たる一歩だが、確実に前へ進んでいる。
「……そうだな」
俺はジョッキに残ったビールを飲み干した。
一人でFランクダンジョンを彷徨うのは自殺行為だ。
信頼できる仲間がいるなら、それに越したことはない。
たとえそれが、借金持ちのタンクと、訳ありの元OLだとしても。
「じゃあ、決まりだ。俺たちはこのままパーティを継続する」
俺が宣言すると、二人は嬉しそうに頷いた。
「リーダーは相沢、お前な。文句ねえだろ?」
「え、俺かよ」
「当然です。一番冷静でしたし、何より……あのラットを倒したのは相沢さんですから」
水無月が信頼に満ちた眼差しを向けてくる。
断る理由はなかった。
俺自身、この二人となら背中を預けられると感じていたからだ。
「分かった。引き受けるよ。……ただし、うちは『生存最優先』だ。危なくなったら即逃げる。いいな?」
「おう! 望むところだ!」
「はい、リーダー!」
俺たちは再びグラスを掲げた。
英雄にはなれないかもしれない。
華やかなスポットライトとは無縁かもしれない。
それでも、泥臭く、しぶとく生き抜いてやる。
こうして、最弱のFランクパーティが正式に結成された。
その夜の焼肉の味は、少しだけしょっぱくて、でも最高に美味かった。
俺たちは夜が更けるまで、これからのこと、借金のこと、そして明日の探索のことを語り合った。
不安は尽きない。
だが、一人で抱え込むよりは、ずっとマシな夜だった。




