第13話 帰還と成果
地上に出た瞬間、むせ返るような夏の熱気が俺たちを包み込んだ。
夕暮れの空。
ヒグラシの鳴き声。
下水の腐臭ではなく、アスファルトと排気ガスの混じった都市の匂い。
「……帰ってきた」
俺はダンジョンゲート――地下鉄入り口の階段に座り込んだ。
全身の力が抜けて、指一本動かせない。
隣では水無月もへたり込み、権田に至っては「地面が固いぃぃ」と泣きながらアスファルトに頬ずりしている。
生きて帰ってきた。
その実感が、遅れて全身を駆け巡る。
肺いっぱいに吸い込む空気が、酷く美味かった。
「相沢さん、お疲れ様でした……」
「ああ、お疲れ。……死ぬかと思ったな」
「はい。本当に……」
水無月と顔を見合わせて、力なく笑う。
互いに泥だらけで、汗臭くて、装備はボロボロだ。
特に俺たちの体からは、下水道特有のドブの臭いが漂っている。
通りがかる一般人が、眉をひそめて俺たちを避けていくのが分かった。
「うわ、臭っ。なんだあの人たち」
「ダンジョン帰りじゃない? それにしても汚いな……」
遠慮のない陰口が聞こえてくる。
普段なら腹も立つだろうが、今はそれすらも「日常」の一部として愛おしく感じられた。
俺たちは、あの閉鎖された死の世界から、この騒がしくて無遠慮な生の世界に帰ってきたのだ。
「……とりあえず、管理局に行こうか。報告して、シャワー浴びて、それから……」
「肉! 肉食いましょう肉! 焼肉!」
権田がガバっと起き上がり、涎を垂らしそうな勢いで叫んだ。
その元気があれば大丈夫だろう。
◇
俺たちは重い足を引きずり、ダンジョン管理局の出張所へ向かった。
入ダン・退ダンの手続きと、ドロップ品の換金、そして報告を行うためだ。
ロビーは騒然としていた。
大型モニターにはニュース速報が流れ、多くの探索者たちが興奮気味に語り合っている。
話題はもちろん、『地下水道ダンジョン』のボス討伐についてだ。
「おい聞いたか? ボスを倒したのは新人のパーティらしいぞ」
「マジかよ。今年の新人、豊作すぎだろ」
「『剣聖』のクランがスカウトに動いてるって噂だぜ」
飛び交う景気のいい話。
英雄の誕生を祝う熱気。
その中で、ボロボロの敗残兵のような俺たちは、ひどく場違いな存在に思えた。
光と影。
同じダンジョンに潜りながら、彼らは栄光を掴み、俺たちは泥水をすすって逃げ帰ってきた。
(……比べるな。俺たちは俺たちだ)
湧き上がる劣等感を押し殺し、カウンターへ向かおうとした時だった。
「君たちか。無事で何よりだ」
報告カウンターの奥から現れたのは、見覚えのある黒縁眼鏡の男だった。
佐伯。
俺に『ハズレ枠』の宣告をした、あの査定官だ。
「佐伯さん……どうしてここに?」
「今回の新人研修の視察です。まさか、初日からボス討伐騒ぎになるとは思いませんでしたが」
佐伯は俺たちのボロボロの姿を見て、眉をひそめた。
特に、溶解してボロボロなった権田の盾と、俺のロッドの惨状に目が留まる。
彼は懐からハンカチを取り出し、俺のロッドの溶けた部分を慎重に触れた。
「……酷い有様ですね。一体、何と戦ったんですか?」
「変異種のラットです。酸を吐くやつで……」
「変異種? Fランクでですか?」
俺の説明に、佐伯の表情が険しくなる。
俺たちは遭遇した状況と、ボス討伐の余波で弱体化した隙に倒したことを報告した。
佐伯はタブレットに素早く記録を取りながら、感心したように頷いた。
「なるほど。ボスの魔力供給で活性化していた変異個体……それに遭遇して生還するとは。運が良かったですね」
「ええ、本当に。誰かがボスを倒してくれなきゃ、全滅してました」
俺が肩をすくめると、佐伯は眼鏡の位置を直しながら言った。
その瞳には、以前のような冷徹な事務的な光だけでなく、僅かながら興味の色が宿っていた。
「ですが、運だけでは生き残れません。この溶解痕……まともに浴びれば人体など容易く溶かす強力な酸です。それを防ぎきり、その変異種にトドメを刺したのは君たちだ」
佐伯は俺たちの顔を一人一人見回し、続けた。
「君たちの話が本当であれば、レベルが上がっている者がいるかもしれませんね」
「レベル、ですか」
「ええ。格上の変異種を撃破し、死線を潜り抜けた。経験値の入り方は通常の比ではないはずです。ステータスを確認してみてはどうですか?」
言われてみれば、確認していなかった。
生き残るのに必死で、それどころではなかったからだ。
俺はゴクリと喉を鳴らした。
もし、レベルが上がっていれば。
この底辺の現状が、少しは変わるかもしれない。
「……やってみます」
俺は心の中で『ステータス』と念じた。
空中に青いウィンドウが浮かび上がる。
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氏名: 相沢 透 (24)
Lv: 3
クラス: 軽戦士
ランク: F
【ステータス】
筋力: E
耐久: F
敏捷: D+
魔力: E
幸運: C+
【スキル】
身体強化(微): Lv.2
短剣術: Lv.1
短棒術: Lv.1
【ユニークスキル】
ベクトルシフト(初級): Lv.2
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「……上がってる」
俺は思わず声を上げた。
レベルが1から3へ。
ステータスも、筋力がE-からEへ、敏捷と幸運にはプラスが付いている。
そして何より。
「スキルが増えてる……『短棒術』? それに、ベクトルシフトがレベル2に……」
ロッドを使い続けたおかげか、新たなスキルが生えていた。
身体強化のレベルも上がっている。
あの極限状態での連発が、熟練度を稼いだのだろうか。
「相沢さん! 私もです!」
隣で水無月が弾んだ声を上げた。
彼女も自分のステータス画面を見つめ、目を輝かせている。
「レベルが上がっています! それに、戦況読解のレベルも2に上がりました!」
「マジか。やったな水無月」
「はいっ! これで、もう少し詳しく予測線が見えるようになるかもしれません!」
彼女の『戦況読解』は、俺たちの生命線だ。
それが強化されたのは素直に嬉しい。
「おーい、俺も見てくれよ! 耐久がDになったぞ! これでカチカチだぜ!」
権田も復活したようで、ニカっと笑って親指を立てた。
盾を失ったショックは、ステータスアップの喜びで吹き飛んだらしい。現金なやつだ。
「……ふむ。Fランクの初陣でレベル3到達は、悪くないペースです」
佐伯が俺たちの状況を確認したうえで淡々と評した。
「特に『ベクトルシフト』のレベルアップは興味深い。実戦での使用回数が多かったのでしょう。……相沢さん、少しは自分の可能性を信じる気になりましたか?」
佐伯の言葉に、俺は自分の手を見つめた。
1センチの奇跡を起こした手。
レベルが上がっても、俺はまだ最弱のままだ。
英雄になった同期たちに比べれば、亀のような歩みかもしれない。
それでも。
「……まあ、生き残るための武器くらいにはなるかもしれませんね」
俺は少しだけ強がって見せた。
佐伯は口元をわずかに緩め、「期待していますよ」と言って背を向けた。
俺たちは顔を見合わせ、小さく笑った。
何も得られなかったわけじゃない。
確かな成長と、明日を生きるための力が、ここにあった。




