第四話 早過ぎる謀反
リュディガーがメイドとして屋敷にやって来てからの一週間は、アビゲイルにとって瞬きの内に過ぎ去ったようなものだった。
見た目はムキムキの筋肉女装メイドのくせに、リュディガーときたらアビゲイルの言うことには何でも笑顔でハイと素直に頷くし、メイドの仕事はどれも丁寧かつ繊細なのだ。
もうそのギャップを脳内で処理するだけで疲れてしまう。
それでも一週間も経てば少しは慣れも出てくるもので、アビゲイルにはリュディガー特製のブレンドティーを飲みながら、その仕事ぶりを眺めるくらいの余裕が生まれていた。
(元聖騎士だけあって有能は有能なのよね。……能力の使い途を間違えている気がしないでもないけれど)
アビゲイルが片っ端から侍女とメイドをクビにしたせいで手が行き届いていなかった部屋の掃除は、リュディガーが来てから毎日隅々まで行われるようになったし、彼の手先が器用なこともあって、こちらの領地に来てからは簡単に結うことしかしていなかった自慢の豪奢な金の巻き毛も、今では華やかに結い上げられている。
まさかリュディガーが熱したコテの使い方すら習得しているとは思わなかった。
アビゲイルが純粋に驚いて聖騎士の職務に絶対必要のないスキルだろうにと口にすれば、リュディガーは当然のように「お嬢様のお世話には必須のスキルですので」とアビゲイルの髪にコテを当てながら答えた。
そうだけどそうじゃないわと思ったのは、確か二日目の朝のことだった。
さすがにまだ着替えを手伝わせるのは戸惑いが残るし、入浴の手伝いは断固として拒否しているが、誠に遺憾ながらそれらも時間の問題な気がしているあたり、既に絆されかかっている気がしないでもない。
(……でも……)
アビゲイルはカップをソーサーに戻し、長いまつ毛を伏せてほうと息を吐いた。
今までの侍女たちのように必要以上にアビゲイルの顔色を窺うこともない。
今までのメイドたちのようにアビゲイルにみっともなく怯えて手元を狂わせることもない。
全てがアビゲイルの望むように行われる生活。
(か、快適〜〜〜〜!)
リュディガーがメイドになってからの毎日はアビゲイルにとって何の過不足もなく、視界に筋肉女装メイドがチラつくことを除けば、快適過ぎるほど快適だった。
今は家具にはたきをかけているその背中は広く、はたきを持つ腕は逞しい。
どうして手に持っているのが剣でなくはたきなのかと、今日まで幾度思ったか既に知れないほどである。
簡単に言えば『筋肉の無駄遣い』に見えて仕方がないが、彼はこうしてアビゲイルが快適に過ごすために働く事を心底喜んでいる様子だった。
「あの、お嬢様。何かご用でも?」
「いいえ。見ていただけよ」
「そうでしたか。ふふ、お嬢様に見て頂いていると思うと身が引き締まりますね」
ジッと見過ぎたのか、視線に気付いたリュディガーが手を止めて振り返ったのを何でもないと返したアビゲイルは、彼の仕事がひと段落しそうなところを見計らって改めて声を掛けた。
「リュディガー。少し良いかしら」
「お嬢様に呼ばれてダメな時などありません。お茶のおかわりですか? それとも何か軽食でも?」
「どちらでもないわ。庭を散歩するからついてらっしゃい」
「かしこまりました。散歩用の靴を用意致しますね」
靴を用意すると言いながら、日傘と一緒にアビゲイルが休む時に使う敷布もさっと用意する。それがリュディガーだ。
仕事の手際が良過ぎて、彼が来てからアビゲイルは声を張り上げてメイドを叱りつけるような事が一度もない。
別のことで叫ぶことはあるが、まぁ、それはそれだ。
靴を履き替えて庭に出ると、何の花かはわからないが甘い匂いがアビゲイルの鼻先をくすぐった。
王都の侯爵邸には何十人もの庭師が毎日手入れをしなければならないほどの広い庭があったが、この屋敷はそれに比べたら狭いものだ。
小川も流れていないし、東屋だってない。見渡せば端が見える程度のささやかな庭だ。
しかし、この庭には代わりに大きな木の木陰にベンチが置いてある。
この屋敷に来た当初はどうしてそんなものを庭に置くのか理解出来なかった。
けれど今では、田舎は空気が良いから庭で風に当たるのは心地が良いことをアビゲイルは知っている。きっとこの屋敷の前の主人も同じことを思ったのだろう。
今度あの木陰のベンチで読書でもしようかしら。そんなことを考えながらアビゲイルは自分のために日傘を差し、歩調を合わせて歩くメイドをちらと見上げた。
こうして近くに立つと本当に背が高い。筋肉のせいで身体が厚く、その分大きく見える。
(顔は整っているけれど、本っ当にお仕着せが似合わないこと)
線の細い貴族令息であったら、あるいは女物のドレスを着てメイクを施したら違和感がなかったりするのかもしれない。
でもリュディガーは違う。ムッキムキの筋肉でお仕着せがパッツパツだし、身体の線からしてもう女性用にデザインされた衣装など似合わない。
それでも彼はメイドだからと毎日律儀に髪を結ってメイド用のお仕着せを纏うのだ。
「ねぇ、リュディガー」
「はい。お嬢様」
アビゲイルは思い切って口を開いた。
「お前、今からでもメイドではなく従僕におなりなさいよ。護衛騎士でもいいわ。お祖父様だって本当にメイドになれとは思っていないはず。わたくしからお祖父様に手紙を送っても良いし、それに、お前だっていつまでもそんなもの着ていたくはないでしょう?」
それは快適な生活を提供してくれているリュディガーに対する、ほんのちょっとした礼のつもりだった。
祖父の吹っ掛けた無理難題のために女装までしている彼に少しでも報いることが出来れば。
そんな風に思ってのアビゲイルの発言だったが、リュディガーの反応はアビゲイルの予想とは些か異なるものだった。
「えっ、嫌です」
アビゲイル全肯定メイド・リュディガーの口から出たシンプル過ぎる拒否。
まさか否を返されるとは思わず、アビゲイルは思わず叫んだ。
「何故!」
「俺、ずっとメイドでいたいんです!」
「だからどうしてよ!? 解雇するとは言っていないわ。それにメイドも従僕も同じ使用人じゃない。メイドにこだわる理由なんてある? 女装が気に入ったとでも言うの? このわたくしが言っているのだから大人しく従僕になりなさいよ!」
叩きつけるように言うアビゲイルに、負けじとリュディガーも声を張り上げて答えた。
「だって! 従僕だとお嬢様のために出来る仕事もお側にいられる時間もメイドに比べて激減するじゃないですか! 俺は! お嬢様の! おはようから! おやすみまで! 全部! お世話したいんです!!! だからいくらお嬢様のご命令でも聞けません!」
イヤ!とそっぽを向く筋肉メイド。
アビゲイル全肯定メイド・リュディガーのあまりにも早過ぎる謀反であった。
予想ではアビゲイルが従僕になれと言えば彼は喜んで従うと思っていた。
それ故に衝撃が大き過ぎて、アビゲイルはどうしてなのと目を見開くことしかできなかった。
「護衛騎士が欲しいのであれば、お嬢様の護衛も俺がします。なので今後はどうぞメイド兼護衛としてお使いください」
「あくまでメイドは譲らないのね」
「もちろんです」
あまりに強い意志を宿した瞳で見つめられ、アビゲイルは己の劣勢を感じて唇を噛んだ。
しかしこれで大人しく負けてやらないのが侯爵令嬢アビゲイル・ハインツェルである。
青い瞳をニヤリと細めて彼女は口の端を上げた。
「でも、メイドになるために仕立てたというそのお仕着せ、パツパツではないの。採寸を間違えたのではなくて? 良い機会だから、新しくサイズピッタリの従僕のお仕着せを仕立てたらどうかしら。ねぇ?」
「こ、これは……」
筋肉が強調されるパツパツのお仕着せを指摘されてリュディガーが初めて狼狽える。
勝った。そうアビゲイルが思った瞬間、リュディガーは何故か恥ずかしそうに頬を染めて目を伏せた。
「採寸は間違えてなかったんです。仕立てた直後はピッタリでした。でも、あの……」
「何よ」
「お嬢様のメイドになれるのが嬉しくて、ちょっとバルクアップしちゃって……♡」
「嬉しさで筋肉を増やすな!」
美しく晴れた空の下、アビゲイルの声が庭に響き渡る。アビゲイルの声量は今日も絶好調だった。
「でも侯爵閣下が用意して下さったこのお仕着せの布、最新の布地だとかで伸縮性があるので、これでも着心地はなかなか良くてですね……」
「えぇい、お黙り!」
「ぴえん」
試合に勝って勝負に負けたというか、今回はわたくしが全面的に負けたということかしら?
アビゲイルは何だかよくわからない悔しい気持ちで再び唇を噛んだ。
そしてその夜、アビゲイルはリュディガーに気付かれないよう、祖父に宛ててこっそりと一通の手紙を認めた。
『──愛するお祖父様。
お元気ですか? わたくしは元気です。
有能な使用人を送ってくださったこと、心よりお礼申し上げます。
多少毛色は変わっておりますが、新しいメイドは屋敷でわたくしのためによく働いております。
つきましては、このメイドに多少の礼をしたく思っており、以下のものを都合して頂きたくお願い申し上げます──』
王都で手紙を受け取ったハインツェル侯爵は、手紙に綴られた孫娘の要望内容に何故?と大きな疑問符を一度は頭上に浮かべたものの、すぐに新人メイドのことを思い出して深く頷いた。
侯爵の名で屋敷に鶏卵用の鶏小屋と鶏が用意されたのは、それから幾日も経たない頃の事だった。
──アビゲイルいわく『筋肉には卵が有効と聞いたから』との言である。
素直になれない侯爵令嬢の、少しわかりにくい感謝のかたちであった。
ちなみに、屋敷で必要な分以外の卵は他の使用人が持ち帰っても良いことにしたため、給金とは別に高価な卵を手に入れられるようになったリュディガー以外の使用人たちは、初めてアビゲイルに感謝したという。




