第二話 「筋肉は言語なのです」
アビゲイルは動揺していた。
起き抜けにやたら顔の良いデカい男が女物のお仕着せを着て現れて、笑顔で「新しいメイドです♡」とか言うのだから動揺するなという方が無理な話である。
とにかく視覚的な情報量が多い上に、何もかもがアビゲイルの中の常識だとか理解の範疇を超えている。
そんな中で、彼女は考えられる可能性の一つを震える声で提示した。
「お、お前、まさかわたくしに、何か危害を加えるつもりなの?」
メイドに扮して屋敷に入り込み、己の命を狙おうとでもしているのか。
青ざめるアビゲイルは、それでも強い視線で目の前の新人メイド(仮)を睨み付ける。
新人メイドはアビゲイルの言葉に心底驚いた顔で目を瞬かせ、勢いよく首を横に振った。
「えっ、俺がお嬢様に危害を? そんな、俺はお嬢様のメイドです。お嬢様のお世話をするために来たんです。ほら、ここにちゃんと紹介状と、あと侯爵閣下からのお手紙もあります」
「……お祖父様からの手紙?」
男の言葉にアビゲイルは訝しむように目を細め、彼が紹介状と共に差し出した封筒を指先で摘んで受け取る。
そこには確かにハインツェル侯爵の印章で封蝋が施されていた。本物なのは間違いない。
祖父の手紙も確認したいが、まずは紹介状だ。
メイドであれば前の職場の主人に紹介状を書いて貰っているはずである。
一体どこの痴れ者がこの者に紹介状を発行したのか確認したい。叶うなら文句も言いたい。
アビゲイルは紹介状を開いて頭から読み始め、最初の一文で早速首を傾げた。
見間違いかしらともう一度読み直してみるが、文章は変わらない。
(紹介者が聖騎士団長?)
何度読んでも紹介状の頭に『私、聖騎士団長ジークフリート・ゼーネフェルダーは、この者リュディガー・クラネルトの身元を証明する』と書いてある。
元は聖女候補であったアビゲイルは当代の聖騎士団長の名前と顔くらいは知っているし、何度か挨拶をしたこともある。
だが、それが使用人の元雇用主となると違和感が大き過ぎる。
その点だけでも、今まで目にしたことのない、斬新な使用人の紹介状だった。
アビゲイルの知る限り、使用人の紹介状とは前の屋敷から次の屋敷に移る際、その時の雇用主(多くの場合は屋敷の女主人)によって本人がその屋敷でどのように働いていたか、何が得意で何が不得意か、あるいは良いところや悪いところが書かれているものだ。
聖騎士団にも専用の使用人がいたのだろうか。
「お前、以前は聖騎士団で使用人を?」
紹介状の中身を確かめる前に思わずそう問うと、リュディガーと名乗るメイドは「いいえ」とアビゲイルの質問を否定し、はっきりと答えた。
「使用人ではなく、聖騎士団で聖騎士として働いておりました」
「は?」
「ですから、俺は、元聖騎士です」
「聖騎士」
「はい」
「お前が?」
「はい」
聖騎士団とは、擁した聖女を守り、魔物と呼ばれる特殊な害獣を討伐したり、時に災害の発生した地で人々のために働いたりする教会所属の機関である。
騎士が目指すこの国の最高峰ともいえる聖騎士は、厳しい訓練と試験をクリアした精鋭揃い。
つまり、聖騎士とはとんでもないエリートなのだ。
聖騎士になれば教会によって身元も保証されるばかりか、貴族同等の権利まで与えられ、一生食うに困らない賃金が約束される。実力さえあれば出自も問われない。
だからこの国の男児は一度は聖騎士を目指すとまで言われている。
「な……っ」
なんでそんな人間がこんなところでメイドを志願しているのよ!
アビゲイルはそう叫びたかったが、すんでのところでその叫びを飲み込んだ。
だってまだ紹介状の紹介者を確認しただけだ。
もしかしたら本人が紹介状だと思い込んでいるだけで、ここには何か他のことが書かれている可能性だってあるではないか。
己は侯爵令嬢である。そうそう取り乱してたまるものか。
ふぅ、と小さく息を吐き出して、アビゲイルは再び紹介状へと視線を落とした。
『私、聖騎士団長ジークフリート・ゼーネフェルダーは、この者リュディガー・クラネルトの身元を証明する。
クラネルト卿は齢十四歳にして聖騎士団に最年少で入団を果たし、以降は聖騎士として日夜人々のために尽くして参りました。
剣の腕前は言うまでもなく、彼は弛まぬ努力によって医療の知識も備え、その他にも炊事・洗濯・裁縫まで習得しております。
私としては次期聖騎士団長として推挙するつもりでしたが、本人がどうしてもハインツェル侯爵家の使用人になるために還俗すると言って聞かず、周りの騎士たちからの力尽くでの説得にも応じなかったどころか全員返り討ちにしてしまったので、私としても大変に悔やまれるところではありますが、致し方なく、本当に致し方なく、この者の身元を保証し、この者が有能であることをここに証明致します』
紹介状に最後まで目を通し、アビゲイルは数秒間目を閉じた。
そして大きく息を吸って、
「お前本当にどうしてこんなところにいるのよ!?」
叫んだ。
本日二回目の屋敷中に響き渡る声だった。
「聖騎士!? しかも次期団長候補ですって!? それがどうして侯爵家のメイドになるのよ! そのまま騎士団にいれば安泰だったでしょうに、気でも違ったの? 聖騎士のくせに次に志すのが使用人という時点でおかし過ぎるわよ!」
聖騎士団は教会の管轄であるので、騎士は聖職者の扱いとなる。
それがわざわざ還俗までしてすることが使用人?
次期聖騎士団長候補であった男が目の前で女装してニコニコしている現実があまりにも残酷過ぎる。
高熱の時に見る悪夢より酷い。
アビゲイルは前言を軽く撤回して取り乱していた。
「全く、お祖父様は何故雇用を許可したのかしら」
「団長に書かせた紹介状を持って侯爵閣下の前で『ここで働かせて下さい!』と根気よくお願いしたらお許し頂けました」
「嘘おっしゃい。今の口ぶりでは絶対に何らかの脅迫が入っていたじゃないの。大体ねぇ、どうしてメイドなのよ。男なのだから従僕でいいじゃない」
「それは閣下からのご命令で……」
「はぁ?」
祖父がこの男に女装を強要したとでもいうのか。
ぴくりと片眉を上げたアビゲイルに、リュディガーは視線で侯爵からの手紙を示した。
まだ朝なのに何だか既に疲れている。
アビゲイルはげんなりとした表情で祖父からの手紙を開いた。
『愛する孫娘、アビゲイルへ。
そなたが王都を去って二ヶ月。領での暮らしは王都と比べて不便も多いと思うが、そなたが息災であるよう願っている。
例のあの件については、私も全ての責任がそなたにあるとは思わん。田舎でゆっくりと心の傷を癒すが良かろう。
だが、領地に入りたった二ヶ月足らずで四十人以上のメイドと侍女を解雇するのは、正直どうかと思う。
そなたがあんまりにもひょいひょい解雇するせいで、給金を釣り上げても侯爵家の、特にお前付きの使用人になるものがおらぬ。
そんな中で、クラネルト卿が、わざわざそなたの世話をしたいと名乗り出てくれた。私はこれに賭けようと思う』
そこまで読んで、アビゲイルは祖父にしてはあまりに決定が早いのではないかと首を傾げたが、続きを読んで納得した。
このリュディガーという男、聖騎士団の次期団長候補に挙がるくらいの人物であるので、当代の聖騎士団長から侯爵に向けて、使用人になるのを諦めさせて聖騎士団に戻るよう説得してほしいと秘密裏に協力依頼があったらしい。
もちろん侯爵もこれに賛成した。
しかしリュディガーが侯爵に取次を願ってやってきたのを門前払いしてみたら、彼は翌日から雨の日も風の日も二週間ずっと門の前に立ち続けた。
怖くなった侯爵が話だけならと聞いてみたら『侯爵家の使用人として働かせてください!』と繰り返すばかり。
こんなにデカくて筋肉の圧が強い男に元気よく迫られて、侯爵はさぞ怖かったことだろう。
更には『アビゲイル様のために自分の能力を使いたい』と主張するのだ。
侯爵家の使用人になりたいというのは、すなわちアビゲイルの使用人になりたいという意味だと気付いた侯爵は、ここでちょっと意地悪をした。
「アビゲイルのために探しているのは従僕でなくメイドだ」と言ったのである。
必要なのはメイドだと言えばさすがに怯むだろうと思ったのだが、リュディガーは何の躊躇もなく「ならばメイドになります!」と答えた。
この時点で色々おかしい。
「メイドだぞ? 侯爵家のメイドは、専用のお仕着せの着用が義務付けられているのだ。そなたには……」
「着ます!!!!」
「嘘ォ……」
メイドを呼んでお仕着せの実物を見せ、これを着るのだぞと脅してみても笑顔で問題ありませんと答える始末。
問題ありまくりだわと侯爵も思い、最後の一手として「自分のお仕着せ全てを二週間で自ら揃える事が出来ればクラネルト卿の希望をかなえよう」と言ってみた。
侯爵家のメイド用のお仕着せは午前用と午後用の二種類があり、それぞれ春夏物と秋冬物のデザインがある。それに加えてメイドキャップとエプロンがつく。
どんなに針の早い仕立て屋に任せたとしても、二か月はゆうにかかるものだ。
堂々と無理難題を出して一度リュディガーを帰宅させ、これでもう一安心と胸を撫で下ろした侯爵だったが、話はそこで終わらなかった。
なんとリュディガーは十日で全てを揃えてきたのだ。
しかも仕立て屋に任せたのではなく、徹夜で全て自ら縫い上げたという。
侯爵はこの時「性別を理由にさっさと断っておけば良かった」と心から思ったが、最早後の祭りである。
ここまでされては断れぬと、侯爵はリュディガーをアビゲイル付きのメイドとして認めたという事らしい。
「お祖父様……」
アビゲイルは何とも言えない表情を浮かべて呟いた。
そしてリュディガーに視線を移し、怪訝な顔で言った。
「つまり、お前はわたくしの使用人になりたくて聖騎士団を退団して? お仕着せを手縫いしてお祖父様からメイドになる許可を得たと?」
「そうなりますね」
「馬鹿なの!!!???」
「健気と言ってください」
キリッとした顔(顔が良い)で言われても、パツパツのメイドのお仕着せが全てを台無しにしている。
「はぁ、どうやって聖騎士団長を説き伏せたのやら……」
軽い頭痛を覚えたアビゲイルがぼやけば、リュディガーは輝く笑顔で答えた。
「全ては筋肉で語りました! 筋肉は言語なのです」
あまりにもキラキラとした笑顔だったが、アビゲイルは隠す事なく眉間に皺を寄せた。
なんだか今、副音声で『普通に全力で叩きのめしました! 俺の邪魔をしたので!』と聞こえたような気がしたのだ。
(気のせい、よね……)
問いただそうにも、既にそんな元気は残っていない。
アビゲイルは考えて考えて考えて、そうして小さな声でリュディガーに命じた。
「……洗顔用の水を用意なさい」
リュディガーのように語れる筋肉を持たないアビゲイルには、悲しいかな、もうそれ以外に思い付く言葉がなかったのである。




