第十二話 お嬢様、街へ行く
リュディガーの『お嬢様コレクション』からドレスを選んだことで、夜会の準備をするにあたってアビゲイルは想定外に時間が余ってしまった。
王都の仕立て屋にドレスを作らせても何度か仮縫いでの調整があるのに、まさか手直しが一切発生しないだなんて、あまりに予想外である。
アビゲイルは馬車に揺られながら、御者席に座るリュディガーの背中を見てぼんやりと思った。
(この男、わたくしの身体のサイズを何から何まで全て把握しているということよね……)
別に、知られて恥ずかしいことは何もない。
アビゲイルは着替えも含めて身の回りの世話のほとんどをリュディガーに任せているのだから、その程度は今更の話だ。
大体この男はアビゲイルの前に現れた時からアビゲイル好みのお茶を淹れるし、食べ物の好みも、髪型や服の好み、果ては好きな香水の種類まで熟知していた。
何ならアビゲイルの睡眠時間まで知り尽くしているので、アビゲイルについて知らないことなんてないのではないかとすら思える。
聖女候補になった時から聖騎士に護衛され、生活を把握されることに慣れきっているアビゲイルだから特に何も思わないが、普通であれば通報案件である。
(便利は便利で良いのだけど、わたくし、リュディガーにそんなに入れ込まれることをしてしまったかしら)
十四年前の豊穣祭でアビゲイルはリュディガーと出会い、彼を案内役に任命したらしい。
確かに従者を撒いて豊穣祭に行ったような記憶はある。
だが、アビゲイルはそこで会ったはずのリュディガーのことを全く覚えていないのだ。
(リュディガーはわたくしの言葉に従って聖騎士にまでなったというのに、わたくしが何も覚えていないというのはあまりに不義理かつ無責任ではなくて……?)
使用人となるべく聖騎士の称号まで捨てたリュディガーの忠義に報いるには、責任をとって侯爵家で使用人として一生面倒を見るしかない。
アビゲイルがそんなことを考えていると、御者席のリュディガーが急にもじもじしてこちらを振り返った。
「あのぅ、何か御用でしょうか?」
「いいえ。どうして?」
「背中にお嬢様の視線を感じたので……」
お嬢様に見つめて頂けて嬉しいです♡とリュディガーが頬を染めて照れ照れとはにかむので、アビゲイルは思わず口を開き、しかしどこから文句をつけたものか迷って結局小さく溜め息を吐いて終わった。
「別に、大したことじゃないわ。お前を侯爵家で一生面倒見るのに年幾らの支出になるかと思っただけ」
「一生……」
「そう。何よ、お前一生わたくしに仕えるつもりなのではないの」
「エッ、エッ、それってつまり永久就職ってことですか?」
「え? えぇ、そうね」
世俗に疎いアビゲイルは永久就職という言葉のスラング的使い方を知らず、ただ言葉通りに生涯雇用として受け止めた。
つまり、永久就職とは生涯侯爵家で雇用する、という意味である。
一方で世俗に馴染みのあるリュディガーの認識は永久就職=結婚である。
おそらくこの場に他の誰か、例えばサミュエルだとかがいればやんわりと「違いますよ」と正してくれただろうが、残念ながらここにはアビゲイルとリュディガーしかいない。
「俺、今まで以上に一生懸命お仕えしますね♡」
「えぇ、励みなさい」
こうして清々しいほどにすれ違った会話が爆誕した頃、二人が乗った馬車はちょうど目的の町へと到着したのだった。
広場で馬車が停まり、御者席から降りたリュディガーが恭しく手を差し出せば、アビゲイルは無言でその手を取って馬車を降り、ゆっくりと優雅な所作で辺りを見回す。
先日訪れた時と変わらず、王都の華やかさとはかけ離れた何の変哲もない寂れた町である。
「……本当にこの田舎町に、あの稀代の細工師と呼ばれたヴェンツェル・ゲーリングがいるの?」
「はい。王都の店を弟子に継いでからは地元に戻っていて、今はあの通りの角にある小さな工房に住んでいますよ」
「随分と詳しいのね」
「はい! 俺の聖騎士叙任の際に賜った剣の鞘はゲーリング氏の手による彫刻でして、その関係で年に数度文通を」
「ぶ、文通」
文通。アビゲイルは口の中でもう一度その言葉を繰り返した。
ムキムキメイドと気難しさで知られる稀代の細工師が文通している姿を想像しようとするが、なかなか上手くいかない。
歳もだいぶ離れているはずだが、一体どんな交流をしているのだろう。
(まぁ、わたくしには関係のないことよ)
けれどそんなことはアビゲイルには関係がない。
アビゲイルに必要なのはゲーリングの手による素晴らしい細工を施したアクセサリーだけだ。
リュディガーを急かして細工師の店へ向かおうとした時、ぐらりと大きく地面が揺れた。
「きゃっ!」
「お嬢様!」
素早くアビゲイルを庇うようにして抱き抱えたリュディガーの逞しい腕の中で、アビゲイルは軒先に吊られた看板が振り子のように揺れるのを見て、窓際に置かれた花瓶や鉢植えが落ちる音を聞いた。
この国では地震はとても珍しい。
しかもこんなに大きな地震となればアビゲイルにとっては初めてのことだ。
しばらくして揺れが完全におさまったのを確認して、アビゲイルはそっとリュディガーの名を呼ぶ。
「……もう、安全かしら……」
「地震は時間を置いて続くことがあります。お嬢様、俺から離れないでください」
わかったわ、と答えようとして、アビゲイルは自分の手がリュディガーのジャケットを強く握りしめていたことに気が付いた。
指先が白くなるほど強く握ってしまっていたジャケットは、きっと皺になってしまっただろう。
何とか指を離そうとするが、力が入り過ぎて強張った指はうまく開いてくれない。
「お嬢様。大丈夫です。俺がついていますから」
何よ。リュディガーの癖に生意気よ。
そう言おうとしたのに、うまく口が動かない。
恐怖に足から力が抜けてふらつく身体を支えるリュディガーの逞しい腕と触れた体温に、ひどく安心する自分がいる。
(別にそんなんじゃないわよ!)
誰にともなく胸の中で言い訳をしてアビゲイルは深く息を吸った。吸って吐いてを数度繰り返せば次第に手足の感覚が戻ってくる。
「……リュディガー。もう離れなさい」
リュディガーの腕を押し返し、アビゲイルはばさりと髪をかきあげた。
己はアビゲイル・ハインツェルなのだ。いつまでもみっともなく怯えてはいられない。
ピンと背筋を伸ばし、アビゲイルは辺りを見回して言った。
「工房に被害が出ていないといいのだけれど」
「そうですね。今日は注文は難しいかもしれませんが、様子だけでも見て行きましょうか」
「えぇ、そうするわ。仕方ないものね」
周りの人々も安全を確かめてから少しずつ動き出し始めている。
二人もそれに倣って工房へ向かって歩き出すと、近くで子供の泣き叫ぶ声が聞こえた。
ギョッとしてアビゲイルが足を止め、何事かと辺りを見回す。
泣き声は二人が歩いていた道のすぐ近くの路地裏からするようだった。
「一体何なの?」
アビゲイルが路地を覗き込めば、そこには子供が数人集まっている。
どうやら子供のうちの一人が転んで泣いているらしい。
しかし、アビゲイルは泣いている子供の膝から擦りむいたにしては大量の血が流れているのを見つけて、喉の奥で悲鳴を上げた。
「け、怪我してるわ。……助けてあげないと……」
震える声と共に一歩踏み出したアビゲイルをリュディガーが引き留める。
何故止めるのかと無言でリュディガーを見上げれば、彼はゆるりと首を横に振り、お召し物が汚れますと静かに答えた。
声と同じく静かで読めない表情は初めて見るもので、アビゲイルは思わず息を呑んだ。
「俺にお任せください。これでも医療の知識も備えていますから」
そしてリュディガーはアビゲイルに路地の入り口で待つようにと言って、一人で子供達の方へ駆けて行ってしまったのである。
「お前たち、どうしたんだ」
「あっ、メイドのにーちゃん! 助けて! ダニーが転んで、膝切ったんだ!」
「血がいっぱい出てるよぉ!」
「オレがこっちの方が近道って言ったから……、う、うえぇえん」
「痛いよー!」
リュディガーと子供たちには面識があるらしい。
彼は怪我をした子供の様子を確かめ、ひょいと怪我をした子供を抱き上げた。
「お嬢様、傷口の洗浄が必要なので広場の井戸まで行ってまいります!」
アビゲイルがそれに答える前にリュディガーはとんでもない速さで駆け出し、アビゲイルは残された子供と顔を見合わせたのだった。
「おねーちゃん、メイドのにーちゃんの知り合い?」
「わたくしはアビゲイル・ハインツェル。リュディガーの主人よ。ところで井戸というのはどこにあるの。案内しなさい」
「なんだよ、ねーちゃん偉そうだな」
「わたくし、実際に偉いのだもの。お前たちも友達が気になるでしょう」
「そうだ! オレ、じーちゃんにダニーのこと伝えてくる!」
「ねーちゃん、井戸こっち!」
「ちょっと、ドレスを引っ張るのはおよしなさい!」
子供たちと共にアビゲイルたちが賑やかに井戸へ向かった頃には、リュディガーの手によって既に処置が行われており、ダニーと呼ばれた少年の膝には白い布が巻かれていた。
「リュディガー、怪我の具合はどうなの」
「お嬢様! はい、出血は多く見えましたが、傷自体は浅く、縫合の必要もありませんでした。傷口を洗浄して応急処置をしたところです」
「よろしい。薬などは必要ではないの」
「そうですね。植木鉢の破片で切ったようなので、念のために化膿止めの軟膏などあればよろしいかと」
「すぐに用意出来て?」
「えぇ、屋敷に調合したものがあります」
「明日にでも届けておあげなさい」
「かしこまりました」
リュディガーとアビゲイルのそんな会話に、密かに聞き耳を立てていた周りの大人たちが驚いた顔をする。
この辺りには医者が少なく、薬自体も高価である。
貴族が使用する薬などとても手が届かないのに、そんな薬など与えられても代金を支払えるかもわからない。
そんな動揺を肌で感じとり、アビゲイルはふんと鼻を鳴らして言った。
「リュディガー、その子供はお前の友人ね? わたくしのメイドが日頃世話になっている相手に、主人のわたくしが礼をするのは当然のこと。そうよね?」
「はいっ、仰る通りですぅ♡ はぁあ、さすが俺のお嬢様……♡ なんと慈悲深い……」
「悶えていないでさっさとその子供を家に送り届けてきなさい!」
「はぁい♡」
ひょいと子供を抱え、リュディガーはふと思いついたようにまだスンスンと泣いている子供に問うた。
「ダニー、今日じいちゃん工房にいるのか?」
「うん、多分また何か作ってるよ」
そしてリュディガーはアビゲイルを振り返ってニコ!と笑った。
「ダニーはゲーリング氏の孫なんです。通り道なのでそのまま工房に向かいましょう」
「そっ、そういうことは最初におっしゃい!」
「アッ、お嬢様の冷たい視線が刺さる……♡」
アビゲイルとリュディガーのいつもの遣り取りの横で、リュディガーの腕の中にちょこんとおさまったダニー少年が「早く行こうよぉ」とか細い声を上げた。




