第十一話 クラネルト卿のお嬢様コレクション
アビゲイル・ハインツェルは驚愕していた。
どのくらい驚いていたかというと、初めてリュディガーと対面した時と同じくらいか、それより少し上くらいの驚きようだった。
青い瞳は大きく見開かれ、僅かに開いた薔薇色の唇がわなわなと小さく震える。
「……わ、わたくしの屋敷の中に、仕立て屋がある……」
彼女がぽつりと呟いた言葉の通り、部屋の壁一面を占める棚には手袋や帽子が季節毎に分けて飾られ、設置された何体かのトルソーは華やかなドレスを纏っていた。
傍らには布地が巻きの状態で何本も保管され、直射日光で布地を傷めないようにという配慮からか、レースカーテンで日差しが遮られつつも部屋の中は明るい。
アビゲイルはマジマジと辺りを見回しながらゆっくりとほのかに花の香りがする部屋の中に足を踏み入れた。
彼女自身、王都にいた頃はいつも屋敷に贔屓の仕立て屋が出入りしていたので、実際のところは仕立て屋という場所に行ったことはないのだが、それでもこの部屋は大通りを馬車で通る際に見かける仕立て屋そのものといった内装に思えた。
一番人気という仕立て屋の、大通りに面したショーウィンドウから覗いた店内は確かにこんな感じだった気がする。
ドアから真正面に当たる部屋の一番奥には作業用の大きなテーブルがあり、その上には作業途中らしい断ち切りの印を描き入れた布が広げられ、試行錯誤の結果なのか何枚かの型紙が重ねて置かれている。
黒くて大きな裁ち鋏。テーブルの上で蛇のようにうねるメジャー。何に使うかわからない不思議な形状の定規の数々。糸をつけたままの針が刺さる針山に、その横を慎ましく転がる銀色の指ぬき。そして……。
「あれは一体何かしら?」
テーブルと機械が一体になったような不思議な物体に目を留めて、アビゲイルははてと小さく首を傾げた。
「あぁ、それはミシンです」
「ミシン?」
「縫製用の機械、というのがわかりやすいでしょうか。手縫いより断然早いし縫い目も綺麗なので最近輸入したんです」
「輸入???」
「えぇ。我が国ではまだ生産されていないので、ちょっと奮発して取り寄せちゃいました♡」
ニコニコ顔でミシンを撫でるリュディガーの横でミシンを見つめ、アビゲイルは怪訝な顔をした。
国内で生産されておらず、しかも縫製用の専門の機械だという。そんなもの、それこそ王都で一番人気の仕立て屋にも置いてあるかわからない。
それをこんな僻地まで個人輸入するとしたら一体どれ程の費用が掛かるだろうか。
部屋の中にあるドレスや帽子などに使用されている布がそれなりに良い物であることも見て取れたし、これはもう個人の趣味とかそういう次元ではない。
王都のちょっとした仕立て屋とも十分張り合えるのではないか、というのがアビゲイルの正直な感想である。
そんな場所が、己の屋敷内に存在している。
屋敷の主人であるアビゲイルの知らぬ間に、屋敷内が改造されていた事実にアビゲイルは再び大きな衝撃を受けた。
(なんてこと……)
色々と言いたいことはあるが、ここは元は空き部屋のようだし、今は緊急事態でもあるのでその件はまた改めて確認すると決め、アビゲイルはまだ恥ずかしそうにモジモジしているリュディガーへと視線を向けた。
「ここにある物は全てお前が購入したの?」
「布や服飾用資材は全て俺の貯金や、これまで頂いた給金で賄っています」
「そうじゃなくて、あの帽子とか、このドレスだとか、王都で購入したものではないの?」
「いえ、型紙から俺が全部作ってますけど?」
「……お前、今はメイドでも元は聖騎士だったのよね? どうしてそんなことが出来るのよ」
アビゲイルが疑問を口に出せば、リュディガーは当然のような顔をして淀みなく答えた。
「お嬢様のために習得しておいた技術です」
いついかなる時もアビゲイルのために役に立てるように習得しておいたのだと言われ、アビゲイルはますます怪訝な顔になった。
以前から薄々思っていたが、それは聖騎士の職務の範疇なのか。
聖騎士が帽子やドレスの仕立てを習得するものなのだろうか。
いや、実際にこうしてアビゲイルの役に立ってはいるのだが。
聖騎士って一体何だったかしら。アビゲイルは何だか哲学書でも読んでいる気分になって、眉間を指先で揉みほぐしながら小さく唸った。
「……えぇと、つまりサミュエルが言うところの『お嬢様コレクション』というのは……」
「俺がお嬢様をイメージしてひっそり作成していたドレス他諸々の総称です」
「一応確認するけれど、ドレスの寸法はどうしたの」
「それは目視で……いえ何でもありません。愛の力で何とかしました♡」
「き……」
気持ち悪い。そう言おうとして何とか踏み止まる。
リュディガーはアビゲイルのためにこれまで色々と尽力してくれていたではないか。目測でサイズを推定したくらい何だというのだ。己は仕事の合間に趣味で縫い物をした程度を咎めるような狭量な主人ではない。
それに気持ち悪いと口にしたら、また芋虫みたいにくねくねしながら喜ぶかもしれない。それは何となくダメな気がする。
アビゲイルは深呼吸を三回繰り返し、トルソーに着せられたドレスへ視線を向けて気持ちを落ち着けようとした。
手前の一着は春用の外出着のようだった。
淡い色のドレスは上は桃色だが裾は水色で、見事なグラデーションである。凝った装飾こそないがアビゲイルの豊かな金髪がよく映えるであろう洗練されたデザインだ。
次は袖口と裾のデザインが凝っていて、まるで妖精の衣のような夏用のデイドレス。
そして冬用の厚めの生地をたっぷり使った夜会用ドレス。銀糸の織り込まれた布を使っているから、光が当たると不思議な光沢がある。
どれもそれを着て社交の場に出たら、三日とたたずに王都中の仕立て屋が同じドレスを注文されるに違いないと思える程見事なドレスであった。
「これを、リュディガーが……」
アビゲイルはトルソーに飾られたドレスの出来映えにほうと息を吐いた。
裾のフリル量やドレープの角度まで、文句をつける余地が無い。
しばらくの間そうして部屋の中を吟味し、彼女は静かな声でリュディガーに問い掛けた。
「……リュディガー。お前、わたくしのパートナーとして夜会で見劣りせず隣に立てる自信はあって?」
わたくしの美しさを損ねるパートナーなら不要だわ。
尊大に言い放ったアビゲイルに、リュディガーは恭しく頭を垂れて答えた。
「必ずやご期待に応えましょう」
その返答にアビゲイルはこくりと一度だけ深く頷き、ならばと言葉を続ける。
「ドレスはお前が選びなさい。わたくしが夜会で一番輝けるドレスを選ぶのよ」
「エッ、よろしいんですか!?」
「なぁに? 自信がないの?」
「いえ、お嬢様を誰よりも美しく飾り立てるのなら誰にも負けない自信があります」
「なら良いわね。任せたわよ、リュディガー。代わりにこの部屋の存在については目を瞑ります。それから……」
「なんでしょう?」
この部屋にあるドレスや小物はデザインも色も自分好みで、クオリティだってどれもアビゲイルを満足させるものだった。
それが何だかかえって悔しい。
この悔しさは初めてリュディガーの淹れたお茶を飲んだ時にも感じた悔しさだ。
リュディガーの癖に生意気よと鼻を鳴らしたアビゲイルは、実に悔しそうな声音で言った。
「夜会のドレスとは別に部屋着を何着か用意してちょうだい。どうせこの中にあるのでしょう」
「はいっ! 後ほどお部屋にお持ちします!」
お嬢様が俺の作ったドレスを着てくれる!と感激に目を輝かせたリュディガーには一瞥もくれず、アビゲイルは控えていたサミュエルを連れてさっさと部屋を出た。
(そういえば……)
あの部屋に入った時、何だか妙な感じがした。
あれは一体何だったのかとアビゲイルは自室に戻ってもしばらく考え込んでいたが、一向に答えを手繰り寄せることは出来なかった。
「お嬢様、部屋着をお持ちしました。念のため試着をお願い出来ますか?」
「あぁ、そうね。着替えるわ。手伝いなさい」
その後、いつものメイド姿になったリュディガーが部屋着にと持ち込んだドレスを試着したアビゲイルは、どのドレスも寸分違わず身体にジャストフィットした事に「一体どうなっているのよ!」と腹の底から思い切り叫んだので、リュディガーのお嬢様コレクション保管部屋で感じた違和感についてはそれきりすっかり忘れてしまったのだった。




