第十話 「万死に値します」
「俺の留守中に何かあったんですか?」
存分にアビゲイルを堪能した後で、リュディガーは先程彼女が口にした「大変だった」という言葉について詳細を求めた。
リュディガーはメイドだが、護衛も兼ねていると自負している。
アビゲイルからの命令で側を離れているうちに不逞の輩でも屋敷に入り込んだとすれば見過ごせない。
リュディガーに問われ、アビゲイルはフンと鼻を鳴らしてソファに腰をおろすと、苛立ちを隠さない仕草でばさりとその豊かな金髪を払った。
「サミュエル、アレを持って来て」
「かしこまりました」
アビゲイルの言葉に、控えていたサミュエルが持ってきたのは一通の封筒だった。
金色の箔押しが施されたその封筒は、豪華と言えば聞こえは良いが、何だか見た目がゴテゴテとしていて洗練されているとは言い難いデザインである。
また王都から何か届いたのかとリュディガーは目を細めた。
「これは……」
「夜会の招待状よ。お前の留守中に街に出たら、この辺の領主の娘とやらにばったり遭遇したのよ。そうしたらその翌日にコレが届いたという訳」
「拝見しても?」
「構わないわ」
断りを入れてから封筒を開けると、ふわりと薔薇の匂いが香った。招待状に香水を振り掛けてあるらしい。
しかし量が多過ぎる。リュディガーはわずかに眉間に皺を寄せて中身を改めた。
差出人は隣の領地を治める伯爵家の娘からであり、新年のお祝いの夜会に是非ともアビゲイルを招待したいという内容だった。
身内のささやかな夜会ですから、どうぞドレスやパートナーなどはお気になさらず、気軽に遊びにいらしてください。素敵なひと時を一緒に過ごせたら、これに勝る幸せはございません。そんな言葉がつらつらと並んでいる。
「なるほどなるほど」
一通り文面を確認したリュディガーは、うんうんと頷き、そしてニッコリと笑ってアビゲイルへと視線を向けた。
「正式な紹介もされていない、たかだか田舎の伯爵家の娘ごときが俺のアビゲイルお嬢様を夜会に招待? しかも文面からお嬢様への見下しやら何やらの感情が透けて見えます。身内のささやかな夜会とか言いながら地元の有力貴族や商人を集めてお嬢様を見せ物にする気満々ですよね? 万死に値します」
処します? 良い剣があるんですよ。
リュディガーの笑顔を見て、アビゲイルは最近このパターン多いわねと溜め息を吐いた。
だが、実際のところリュディガーの見解は誤りではないし、もしもこの招待状が手渡しであったなら、アビゲイルはその場で相手の令嬢を引っ叩いていただろう。
これはもう侮辱と言ってもいい。
手袋を叩きつけられたも同然の内容にアビゲイル自身烈火の如く怒り狂ったが、最近精神的に落ち着いていたアビゲイルは冷静かつ優雅にこの怒りを己の胸のうちに収めた。なお収めただけで当然鎮火はしていない。
男性が定められたルールに則り剣で決闘するように、女性には女性の決闘がある。
貴族女性の喧嘩は社交の場で行われるものだ。
アビゲイルは身の程知らずの田舎娘を正面から全力で叩き潰してやらねば気が済まなかった。
静かに怒れるお嬢様は、レースの扇子をぱちりと閉じてリュディガーを嗜めた。
「闇討ちは地味でつまらないからダメよ。あと、誰がお前のお嬢様よ。お前がわたくしのメイドなの。まったく、メイドの分際で思い上がりも甚だしいこと」
「あれ、今俺ご褒美貰いました?」
「何もあげていないけれど!?」
急にニコニコ顔になったリュディガーを不審者を見る目で見つめていたアビゲイルが、続けてチラとサミュエルに視線を送る。
視線を受けたサミュエルは正しくアビゲイルの意図を理解したようだったが、小さく首を横に振って一言「いけませんよ」とアビゲイルに返した。
「でもサミュエル……」
「お嬢様。こういうものはご自分できちんとお伝えするべきです」
「……わ、わかったわよ……」
まだ何かあるのかと首を傾げたリュディガーに、アビゲイルは何やら決意に満ちた目を向けて、神妙な声音で言った。
「リュディガー。この招待状、田舎貴族に売られた喧嘩だというのはわかるわね」
「えぇ、それはもう」
「本来なら受け取る必要もないし、すぐさま暖炉に放り込んでしまって問題のないものよ」
「仰る通りです」
「でもね、リュディガー。ここまで侮られて何もしないでいるのは、わたくしの美学に反するわ。だからコテンパンにして、全力で潰してやりたいの」
「それでこそ俺のお嬢様です」
「お前のじゃないったら!」
そこで言葉を切り、アビゲイルは小さく深呼吸をした。
もにゅもにゅと何度か唇を噛んでから再び口を開く。
「だから、わたくし、この夜会に出席します」
「はい。お支度は俺にお任せください」
「支度も、そうなのだけど……、その、」
珍しく歯切れの悪いアビゲイルである。
リュディガーが続きの言葉を待つ間にも彼女は縋るように何度かサミュエルを見て、その度にサミュエルが「お嬢様頑張って!」とエールを飛ばしている。
「お嬢様、どうかなさいましたか」
助け舟のつもりで問い掛ければ、アビゲイルがもう耐えきれないとばかりに叫んだ。
「っ! もう! 察しが悪いわね! だから! お前、わたくしのパートナーとして夜会に同行なさい!」
「エッ」
「何よ、嫌なの?」
「いいえ! 光栄の極みです! でも、パートナー、ですか? 俺がお嬢様をエスコートするなんて許されるんですか?」
「だって他にいないんだから仕方がないじゃない! サミュエルは最近膝が痛くてダンスは不安だって言うし! もう、どうしてお前はこんな時ばかりそんな普通の格好をしているのよ! いつものメイドの格好だったらわたくしこんなに緊張なんてしなかったわ! これも全部リュディガーのせいよ!」
言われてリュディガーは自分の服装を見下ろした。
そういえばアビゲイルに会いたい気持ちが先行して、まだメイドのお仕着せに着替えていなかった。
つまり、今のリュディガーは、アビゲイルからしてみればただの青年でしかなかったのである。
既に慣れてしまったメイド服姿であれば、遠慮も緊張もなく「お前、今度の夜会に同行なさい」といつも通りに言えたはずだった。
けれども今アビゲイルの目の前にいるのは、聖騎士団の制服を纏ったやたら顔の良い青年だ。
髪型だっていつものシニヨンではなく、高い位置で結っていて凛々しさを感じる。
貴族としての社交活動の一環で男性とのダンスの経験もあるし、聖女候補として聖騎士団の騎士に護衛されていたこともある。使用人として男性を使うことにも慣れている。
だが、アビゲイルはこれまで社交活動以外で身内以外の男性と接したことがほとんどない。
今の『普通の青年』であるリュディガーは、アビゲイルにとって未知の生命体そのものであった。
(私にこんな思いをさせるなんて、リュディガーの癖に生意気よ!)
アビゲイルは小さく鼻を鳴らして唇を尖らせた。
淑女が自ら夜会に男性を誘うだなんて、そんなはしたないことを自分がすることになるだなんて。
じわじわと熱くなる頬を隠すように扇子を開き、アビゲイルはツンと顎を上げて続けた。
何故かリュディガーの顔も赤く見えたが、それには気付かないフリをして。
「今からではドレスの仕立ては間に合わないし、仕方がないから手持ちのドレスを詰めてサイズを合わせるわ。リュディガー、お前、お仕着せを自分で仕立てられるのだしそのくらい出来るわよね?」
「ドレスのデザインにもよりますが、多分可能です」
「そう。なら任せるわ。リュディガーも聖騎士だったのなら夜会にも出ていたはずよね。夜会服は用意出来るかしら」
「はい。あ、騎士の礼装でも良ければ、こちらに持ってきているものがあります」
「騎士……」
騎士の礼装。
その言葉を聞いてアビゲイルは猫チャンのフレーメン反応のような顔になった。
数秒の沈黙があって、アビゲイルとサミュエルはマジマジとリュディガーを見つめた。
「そうだったわ。そう、お前、騎士なのよね」
「クラネルトさんは聖騎士団に所属しておられたのですよね」
「えぇ、実はそうなんです……」
再びの沈黙がその場を満たした。
元聖騎士であると認識はしているのに、普段のムキムキメイドの姿が強烈過ぎて騎士という存在が霞んでいる。
アビゲイルは自分の中の常識が、リュディガーを中心として若干どころではない歪みを見せている事実に気付いて大きな溜め息を吐いた。
「とにかく、騎士の礼装があるのならそれで良いわ。夜会の日程は招待状にあるから、それまでにわたくしのドレスを見繕って直しておいてちょうだい」
「かしこまりました」
メイド姿ではないからなのか、リュディガーは無意識のうちにアビゲイルの言葉に騎士の作法で頭を下げた。
次期聖騎士団長と言われていただけあって、彼の礼は堂に入っており、とても美しい所作だった。
今、背景に聖騎士団本部の白亜の建物が見えた気がする。
思わずパチリと瞬きをしたアビゲイルの後ろで、控えていたサミュエルがそういえばと胸の前でポムと手を叩いた。
「お手持ちのドレスを直すのでしたら、せっかくですからクラネルトさんの『お嬢様コレクション』から新しいドレスを選んではいかがですか?」
「何ですって?」
お嬢様コレクション???
聞こえた言葉の意味を掴みあぐねてサミュエルを振り返る。
サミュエルはただニコニコと、屋敷近くの小川で鴨の親子を見掛けた時と同じ顔でのんびりと答えた。
「ですから、クラネルトさんの『お嬢様コレクション』……」
「わ、わー! 困りますっ! 困ります、ルヴォアさん! それはお嬢様には秘密だって言ったじゃないですかぁ!」
きゃー!と声を上げてサミュエルの言葉を遮ったデカい男が、赤くなった顔を両手で覆って隠している。
恥じてモジモジと身を捩るリュディガーからは、先程までの凛々しさは既に微塵も感じられなかった。
これはアビゲイルのよく知る、いつものリュディガーである。
なのでアビゲイルはようやっといつも通りにふふんと高飛車に笑い、美しく弧を描いた唇で言った。
「そのコレクションとやら、わたくしにお見せなさい」
有無を言わさぬその言葉に、リュディガーはへにょんと眉尻を下げ、藤色の瞳を潤ませて蚊の鳴くような声で「ふぇえ」と微かな抗議をした。
したのだが、アビゲイルが少し思案顔になった後でリュディガーに向かって心底嫌そうな顔で「さっさとしなさいよ、この愚図」と重ねて告げると、彼は途端に床に崩れ落ちてプルプルと震えながら「ありがとうございましゅ……♡」と感謝の言葉を呟きながらアビゲイルの言葉に従う意思を見せた。
床で蠢くリュディガーを見て、アビゲイルは何とも言えない顔で「あんな言葉を言うハメになるなんて、試合に勝って勝負に負けた気分だわ」と複雑な心境を語ったのだった。




