第九話 クラネルト卿の帰還
リュディガー・クラネルト。
齢十四歳にして国内最難関と言われる試験を突破し、聖騎士団に入団を許された稀代の天才剣士である。
歴代最年少で聖騎士に名を連ねたリュディガーはその後十年に渡り活躍を続け、剣術のみならず多様な分野を学び続けて多芸を極めた。
周りからの信頼も篤く次期聖騎士団長の座は確実とまで言われたエリート聖騎士にして、王家より騎士叙勲を受け一代爵位も認められたクラネルト卿は今──。
「へ、変態だァーーーー!!」
「変態が出たぞーーー!!!」
──聖騎士団本部で不審者として聖騎士たちに追われていた。
***
「まったく、少し顔を見せなかっただけで変態扱いとは失礼な……」
本人は不当な処遇にムゥと不機嫌に唇を尖らせ、息も切らさずに勝手知ったる聖騎士団本部を颯爽と駆け抜けているが、その最中もフリルエプロンとロングスカートの裾がはためき、あまりに激しく動くものだからスカートの裾からは時折逞しく鍛えられた大腿四頭筋までがチラチラと見えている。
なおその筋肉は侯爵家も御用達という一流商人から購入した最高級シルクのストッキングに包まれているのである。
これはもう、どこからどう見ても立派に不審な女装メイドでしかなかった。
全ては侯爵家に仕えるメイドの服装基準を正しく遵守してしまったリュディガーの完璧主義が生み出した悲劇だった。
翻るスカートの奥に黒いレースのガーターベルトとシルクストッキングのコラボを見てしまった騎士の中には、うっかり新しい扉を開きかけた者まで発生し、これは最早悲劇を通り越して一部地獄であった。
「止まれ! 止まらんと武力でもって止めるぞ!」
「ハァ?」
こいつ、ただの変態ではないな。
その内に危険度を正しく認識した一人の聖騎士がリュディガーの前方に立ちはだかりついに剣を抜いたが、たかが威嚇で止まるリュディガーではない。
アビゲイルから託された蜜蝋の包みを背負った彼は加速をつけて地を蹴ると、一気に相手の間合いに入り込み、剣を持つ手首を両手で掴んでポーンと思い切りよく投げ飛ばした。
「とうっ!」
「うわぁっ!」
「丸腰相手に無様だぞ、フィリップ!」
「え、あ、あぁっ!? く、クラネルト卿!?」
「もっと体術の修練をしろ! じゃあな!」
「ちょ、『じゃあな』じゃないですよぉ!」
投げ飛ばした後輩聖騎士を置き去りにし、その後も出てくる聖騎士を次から次に鼻歌混じりに千切っては投げしてリュディガーは走り続けた。
最近は屋敷の敷地内での筋トレとアビゲイルの世話に全力を尽くしていたので、実戦でここまで思い切り身体を動かせるのは久しぶりだ。まさに気分爽快だった。
例えるなら、ケージに入っていたわんぱく猫チャンが玩具が豊富に設置された広い部屋に解き放たれた時くらいアグレッシブになっていた。
そうして久々に各種筋肉をフルスロットルで動かし、己の筋肉が少しも衰えていないことを確認した頃。
「お、いたいた」
リュディガーは遂に目的の人物を発見して、また少し走る速度を上げた。
「団長〜!」
「ん? その声は……」
呼び掛けられてついと視線を動かした聖騎士団長ジークフリート・ゼーネフェルダーは、迫り来るムキムキメイドにギョッと目を見開いた。
真昼から怪異が手を振りながら自分の名を呼んで駆け寄ってくる。
一瞬思考が飛びかけたが、しかしすぐにそれがリュディガーであると気が付いて、ジークフリートはますます困惑した顔になった。当然の反応である。
「お前、何だその格好!」
「侯爵家のお仕着せです」
「お仕着せって……。それは女性用だろうが!」
「? メイド用です」
メイドとは女性の職業ではないのか。
曇りなき眼で「何か問題でも?」と首を傾げるリュディガーを見て、ジークフリートは思わず手のひらで顔を覆って俯き嘆いた。
「……信じて送り出した部下が女装メイドになって帰ってきた……」
ひどく憔悴した声だった。無理もない。
ジークフリートはリュディガーが聖騎士団に入団した十四歳の頃から彼の面倒を見ており、息子も同然の存在だった。
使用人になるとは聞いていたがメイドになるとは聞いていない。女装するとも聞いていない。聖騎士団を辞してまでやりたかったことが『それ』だったのかと、ジークフリートは大きく深呼吸とも溜め息ともとれるような息を吐き出し、それでも努めて冷静に問い掛けた。
「……それで? リュディガー、お前はここに何をしに来たんだ」
その問い掛けにリュディガーはパッと表情を明るくすると、背負っていた包みをジークフリートへと差し出した。
「お嬢様が新年祭のために自らお作りになった蜜蝋です。団長、祭礼部に顔がききますよね?」
「それ、は……つまり……」
「はい! 新年祭の聖女認定の儀式に是非ともこちらをお使い頂きたく、こうして直接お持ちした次第です。俺のアビゲイルお嬢様が新たな聖女のために心を込めてお作りになりましたので! しかも直筆の手紙付きですよ! 俺ですらまだ手紙は貰った事ないのに! 悔しい!」
「お前の情緒が騒がしくて要件がちっとも伝わらん!」
そう言いながらもリュディガーから渡された包みを開き、確かに儀式でも使える規定に沿った蜜蝋であることを確認したジークフリートは、ふわりと鼻先を掠めた香りに目を瞬かせた。
「この蜜蝋、まさか」
「あっ、お気付きになりました? ローズマリーの香り付けをした蜜蝋です」
「ローズマリー? あの、アビゲイル・ハインツェル侯爵令嬢が?」
「えぇ、俺のアビゲイル・ハインツェル侯爵令嬢が、です」
困惑を深めるジークフリートに、リュディガーはただニコニコと笑っている。
この困惑こそアビゲイルの求めるものである。
皆、アビゲイルがこのタイミングでローズマリーを使った祭礼用蜜蝋を送ってきた意図を無駄に深読みして、勝手に疲弊してしまえとリュディガーも笑顔の裏で舌を出していた。
「わかった。受け取ろう。だがひとつ条件がある」
「条件?」
「……着替えなさい」
「えっ、嫌ですけど」
「着・替・え・な・さ・い」
これ以上不審者姿のままうろうろされては困るとの理由から、リュディガーは渋々ながら久しぶりに聖騎士の制服に袖を通す事になったのだった。
制服のシャツとトラウザーズは基本的に支給品であるので、サイズさえあればいつでも用意が出来るものだ。
予備の制服を渡されて、通されたジークフリートの執務室の衝立の陰で手早く着替えを済ませる。
慣れ親しんだはずのそれらが妙に落ち着かないのはメイド服に慣れてしまったからだろうか。
そんなことを考えながら、これまた支給品の剣帯を装着して戻ったところでジークフリートが意外そうな顔をしたので、リュディガーはなんですかと視線で問うた。
「剣はまだ持っているのだな」
「えぇ、まぁ」
それが腰に吊った剣についてであったので、リュディガーはほんの少しだけ気まずく思った。
聖騎士となり、騎士叙勲を受け、そして初めて賜った戦友ともいえる剣は退団の際に置いていった。
今リュディガーが提げているのはいわゆる『間に合わせ』である。
王都を出たとはいえアビゲイルを良く思わない貴族は少なからず存在する。その為に急いで用意したものだった。
「しかし一体どこに隠し持っていたんだ」
「スカートの中です」
「なんて?」
「スカートの中ですってば」
「……聞かなかったことにしよう」
再び溜め息を吐いているジークフリートは必死に記憶を消去しようとしているようだった。
彼はきっと己を聖騎士団に戻したいのだろう。
けれどその申し出にリュディガーが頷くことはないと理解しているから何も言わないのだ。
そういう人間であると知っているくらいには、リュディガーはジークフリートと長年を共にしていた。
「……リュディガー。ハインツェル侯爵令嬢は本当にお前がそこまでして仕える価値のある人間か」
彼女の傲慢ぶりは王都では誰もが知っている。
そしてその結果が例の事件による王都からの追放である。
使用人などより、聖騎士として民の為に尽くすことの方が余程尊いのではないか。
ジークフリートの目はそう語っていた。
だからリュディガーも目を逸らさずにはっきりと答えた。
「確かに今のお嬢様は聖女候補でもありませんし、田舎の領地に追いやられてまともな社交活動も出来ておりません。それでも俺はお嬢様にお仕えすることが出来て幸せです」
「そうか……」
「あの、俺、世の中には二種類の人間がいると思っていて……」
「二種類。貴族と平民か」
「いえ、お嬢様かそれ以外かです」
「なんて???」
「お嬢様か、それ以外かです」
「あぁあ聞き間違いじゃなかった。聞き間違いであってほしかった……!」
聞き返すジークフリートにしっかりはっきり答えてリュディガーは続けた。
「つまり俺の世界はどうしたってお嬢様を中心に回っているので、お嬢様が何処にいて何をするかは何にも問題じゃないんです。その側に俺がいられるかどうかが問題で、それが全てなんです。お嬢様に出会ったあの日から、俺の聖女はアビゲイル・ハインツェルただ一人です」
藤色の瞳をキラキラさせてそんなことをいうものだから、ジークフリートはついに何も言えなくなってしまった。
予想以上にアビゲイルに心酔している。心酔というか執着というか偏愛というか、ちょっと良くないものも混ざっているような気もしないでもないが、野放しにされているということは実害は出ていないのだろう。
それでも、とジークフリートは思った。
リュディガーは聖騎士団に入団した当初から何でも卒なくこなす天才だった。
周りの人間ともうまくやっていたようだったが、その時だってどこか冷めたような、一人だけ俯瞰でものを見ているようなところがあった。
それが今はどうだ。これ以上もなく生き生きとして楽しそうな今のリュディガーを見れば、その言葉に嘘がないことは明白だ。
根負けだな、と思いながらジークフリートは肩を竦めて苦笑した。
「リュディガー。この蜜蝋は私が責任をもって確かに祭礼部に届ける。お前は帰る時はきちんと守衛に叱られてから帰るように」
「はーい」
「返事を伸ばすな。それから、お前の私物がまだ残っていた。帰る時に一緒に持っていきなさい」
「私物? そんなはずは……」
全て持ち出したはずだと訝しむリュディガーに、ジークフリートは部屋の棚から箱を取り出して執務机の上に置く。
緻密な細工の施されたやけに細長い箱である。
その箱を見て、リュディガーはハッと目を見開いた。
「これは」
「お前の剣だ。剣士が剣を置いていくなど、うっかりにも程があるぞ」
「いえ、この剣は、聖騎士として賜った──、」
「この剣は」
言い掛けたリュディガーを遮ってジークフリートが箱の蓋を開ける。
そこに鎮座するのはリュディガーが初めて賜り、以来ずっと苦楽を共にしてきた剣である。
小さな傷ひとつにも思い出がある品であるが、聖騎士として賜った剣であるが故に退団の際に持ち出すことは憚られて、そのまま置いていったものだった。
それを知っているはずのジークフリートなのに、何故この剣を出してきたのか。
今度はリュディガーが困惑する番だった。
「この剣は聖騎士に与えられたものではなく、リュディガー・クラネルト卿個人に与えられたものだ。卿が持つのに他に何の理由がいる」
「それ、は、さすがに俺にとって虫が良すぎる話では」
「ならば言い方を変える。お前の剣は扱いづら過ぎて他の者の手に余る。しかもそれは美術品ではなく実用品だ。お前が責任持って管理しろ」
持ち帰るまで忘れ物箱に入れておくからな。
そう冗談めかして言われてリュディガーは思わず笑ってしまった。
小さく息を吐き、指先で箱に収められた剣をなぞる。
実用的でありながら蔓薔薇のように美しい曲線を描くヒルト、リュディガーの手に合わせて作られたグリップ、純白の鞘に施されたマグノリアの彫刻。両手で捧げ持てば、ずしりと手に馴染むその重さ。
全てが記憶の通りだった。
「手入れ、して下さっていたんですね」
「なに、暇潰し程度だ」
剣を抱いたリュディガーはジークフリートに深く頭を下げ、心からの謝意を示した。
ジークフリートは何も言わなかったが、軽く伏せた目が全てを語っていた。
その後、言い付け通り守衛に不法侵入についてみっちり説教をされ、聖騎士たちからは戻ってこないんですかと質問責めに遭ったリュディガーは、一刻も早くアビゲイルが待つ領地へ戻らねばと寝る間も惜しんで馬を走らせたのだった。
──そして。
「お嬢様ぁー! リュディガー・クラネルト、ただいま帰還致しました♡」
屋敷に戻ったリュディガーは、お遣い完遂に対する褒め言葉を期待して聖騎士団支給制服のままアビゲイルの元へ駆け付けたのだが。
「遅いじゃない、リュディガー! 一体何をしていたの! こっちは大変だったのよ!」
「あっ、冷たいっ。でもそこが良い……ッ。お嬢様、一度で良いので虫を見る目で『この愚図』って言って頂けませんか」
「言う訳ないでしょう。思い上がるんじゃなくってよ。どうしようもない変態メイドね」
「あぁっ、ご褒美……っ♡ ありがとうございましゅ♡」
褒めるどころか通常の三分の一の時間で帰宅したにもかかわらず遅いと叱責され、これはこれでご褒美だなと数日ぶりに体感するアビゲイルの顔と声をしっかり心に焼き付けながらエヘエヘと笑うのだった。
聖騎士団支給制服で帰還したリュディガーですが、靴下留めがなかったのでトラウザーズの下にはまだ黒レースガーターを装着しています。なんてこった。




