第7話:あの頃の「好き」、今、伝える「好き」
指輪の真実を知ってから、僕の心は驚くほど軽くなっていた。同時に、これまでの五年間の後悔が、確かな決意へと変わっていくのを感じた。もう、臆病になる必要はない。
真白と次会う約束は、翌週末だった。僕はそれまで、メッセージの返信もいつもより早め、他愛ない会話の中にも、少しだけ「今度会うのが楽しみだ」という気持ちを込めた。
そして、約束の日。
僕は、待ち合わせ場所のカフェで、真白を待っていた。少しだけ、いつもよりお洒落な服を選び、髪型も整えた。指輪のことが分かってからは、真白の全てが輝いて見える。緊張で、手のひらにはじんわりと汗が滲んでいた。
「陽翔、待った?」
真白の声がして、顔を上げる。そこに立っていた真白は、僕が初めて会った時と同じように、窓から差し込む光を浴びて、どこか幻想的に見えた。
「ううん。今来たところ」
僕は、精一杯の笑顔でそう言った。
カフェの席に着き、僕はすぐに本題に入ろうと決めていた。いつものような日常会話を挟まず、真白の目が、僕の言葉に集中していることを確認する。
「あのさ、真白」
僕の声は、少しだけ震えていた。真白は、僕のただならぬ雰囲気に気づいたのか、じっと僕を見つめ返している。
「あのさ……五年前、真白が転校するって知った時、俺、すごく戸惑った。何も言えなくて、ただ真白の背中を見送ることしかできなかった」
真白は、静かに僕の言葉に耳を傾けている。その瞳の奥に、少しだけ悲しみの色が浮かんだように見えた。
「あの時、俺、真白に伝えたいことがあったんだ。でも、結局、言えなかった。臆病で、何もできなかった」
僕は、震える声で続けた。目の前の真白は、あの頃と何も変わらないのに、僕の心の中では、五年前の不甲斐ない自分が、今、この瞬間に向かって必死で走り続けていた。
「あの時、伝えられなかったんだけど……俺、真白のことが好きだった」
その言葉を口にした瞬間、僕の体から、何か重いものが解き放たれるのを感じた。五年間、僕の心の奥底に閉じ込められていた言葉が、今、ようやく真白に届く。
真白は、大きく目を見開いた。驚きと、そして、かすかな戸惑いの色が、彼女の顔に浮かぶ。
「あの時の『好き』も、もちろん本当だ。だけど……」
僕は、真白の左手の薬指に視線を向けた。指輪は、今もそこに光っている。
「だけど、俺の『好き』は、あの五年前で終わってない。真白と再会して、こうして話すようになって、また、改めて真白のことが好きになった」
僕の声は、今度は震えることなく、まっすぐに真白に届いた。
「真白の、優しくて、でも芯のあるところ。夢に向かって頑張る真白の姿。あの頃と変わらない笑顔も、そして、あの頃には知らなかった真白のいろんな一面も……全部、好きだ」
真白は、何も言わずに、ただ僕を見つめていた。その瞳は、少しだけ潤んでいるように見えた。
「だから、真白。俺、あのとき言えなかった『好き』の続きを、今、話したい。五年間、君を想い続けてきた、この気持ちを」
僕の言葉は、五年間という長い遅刻を経て、ようやく真白に届けられた。
真白は、そっと、僕の目の前で、涙を拭った。
五年前。
真白が転校する日の朝。
僕は、教室の席に座りながら、真白の姿を目で追っていた。彼女は、クラスの女子生徒たちに囲まれ、転校の挨拶を受けている。僕のところへは、きっと来てくれないだろう。そう、諦めていた。
だけど、授業の合間の休み時間。
真白が、僕の席のそばまで歩いてきた。
「陽翔……」
真白が、少しだけ潤んだ目で僕を見つめた。僕の心臓が、大きく跳ねる。何かを言おうとしている。
「あのさ……私、」
真白が口を開きかけた時、教室の扉が開き、担任の先生が顔を覗かせた。
「真白! ちょっと職員室まで来てくれ」
真白は、僕に申し訳なさそうな顔をして、小さく会釈した。
「ごめんね、陽翔。また後で」
そう言って、真白は先生に促されるように、職員室へと向かっていった。
(また後で? もう、後はないじゃないか……!)
僕の心は、絶望に満たされた。
結局、真白と二人きりで話す時間は、その日、二度と訪れなかった。
昼休みも、真白は友人に囲まれ、僕に話しかける隙はなかった。
そして、放課後。
真白は、僕に「さよなら」を告げることもなく、教室を後にした。
僕の言葉も、彼女の言葉も、何一つ伝えられないまま。
あの時、真白が僕に何を言おうとしていたのか。
僕は、ずっとその答えを探し続けていた。
そして、今。
僕は、その答えを、僕自身の言葉で、真白に告げたのだ。
僕の五年間の遅刻は、ようやく、終わろうとしている。