第6話:指輪の真実、告げられる言葉
真白と会うたびに、左手の指輪は僕の視界に入り、そして心の奥をかき乱した。それは、僕が伝えたい「好き」の言葉を阻む、最も大きな壁のように感じられた。
その日、僕たちは真白が働くアパレルショップの近くのカフェで待ち合わせた。週末で賑わう店内。真白は仕事着のままで、少し疲れているようにも見えた。
「陽翔、ごめんね。ちょっと休憩時間が短くて」
「いや、大丈夫。真白が忙しいのは分かってるから」
僕は、彼女の優しい気遣いに胸が締め付けられた。この優しい真白に、僕が抱えている不安をぶつけてもいいのだろうか。
コーヒーが運ばれてきて、真白がカップに手を伸ばした。その時、彼女の薬指で、再び指輪がキラリと光った。僕は意を決した。
「あのさ、真白」
僕の声に、真白は顔を上げた。
「ん? なに?」
「その……左手の指輪、なんだ?」
僕の口から、ようやくその言葉が出た。心臓が早鐘を打つ。真白は、一瞬だけ目を見開いた後、ゆっくりと自分の指輪に視線を落とした。
「ああ、これ?」
真白は、照れたように指輪をそっと撫でた。僕の呼吸が止まる。もし、これから彼女の口から聞かされる言葉が、僕にとって絶望的なものだったら。
「これね、お守りなんだ」
真白は、にこやかにそう言った。
「お守り?」
僕の脳は、その言葉を理解するのに少し時間がかかった。予想していた、どんな最悪のシナリオとも違う答えだった。
「うん。高校を卒業して、専門学校に入る時に、母がくれたの。新しい環境で、頑張れるようにって」
真白は、穏やかな笑顔で続けた。
「私がいつも頑張れるようにって、このデザインにしてくれたんだって。だから、ずっとつけてるの」
その言葉を聞いて、僕の体から一気に力が抜けた。緊張で強張っていた肩の力が抜け、大きく息を吐き出す。
お守り。
ただの、お守り。
僕は、五年間もの間、この指輪のせいで、どれだけ苦しんできたのだろう。勝手に最悪の状況を想像して、自分を追い詰めてきた。
「なんだ……そう、だったのか」
僕の声は、少し震えていた。恥ずかしさと、安堵と、そして、胸の奥から湧き上がってくる、抑えきれない感情。
真白は、僕の様子を見て、少し不思議そうな顔をした。
「どうしたの、陽翔? そんなに驚くこと?」
「いや……別に。うん、ちょっとね」
僕は、曖昧に笑ってごまかした。自分の馬鹿さ加減に呆れる。同時に、これでようやく、何の障害もなく、自分の気持ちを伝えることができるのだと、確信した。
「ごめんね、変な誤解させちゃったかな」
真白は、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ううん。大丈夫。むしろ、教えてくれて、ありがとう」
僕は、心からの感謝を込めて、そう言った。
そして、僕の心の中では、あの五年前、伝えられなかった言葉が、今度こそはっきりと形を成していく。
あのとき交わせなかった“さよなら”の続きを。
そして、“好き”の続きを、今から話そうと思う。
それが、僕の五年間の遅刻の答えだから。
五年前。
真白が転校する日。
僕は、教室の窓から、彼女が父親の車に乗り込む姿をただ見つめていた。校門を出ていく車は、あっという間に見えなくなった。
僕の心には、ぽっかりと穴が開いたようだった。
伝えられなかった「好き」の言葉。
交わされなかった「さよなら」の言葉。
何もかもが、未完のまま、僕の心を支配した。
「陽翔、元気出せよ。また会えるさ」
クラスの友人が、僕の肩を叩いた。だけど、僕にはその言葉が届かなかった。きっと、もう会えない。そう、決めつけていた。
その日から、僕は高校生活を、まるで抜け殻のように過ごした。真白がいない教室は、色が失われたように見えた。屋上での昼休みも、一人で過ごすことが苦痛になった。
僕は、真白のいない日常に、慣れるしかなかった。
彼女の記憶を、心の奥底にしまい込み、まるで存在しなかったかのように振る舞うこと。それが、傷つかないための唯一の方法だと信じていた。
だけど、どんなに忘れようとしても、真白の笑顔や声が、ふとした瞬間に蘇る。
夜、一人になると、伝えられなかった「好き」の言葉が、何度も何度も僕の脳裏をよぎった。
もし、あの時、もっと勇気を出せていたら。
もし、あの時、あの場で、引き止めていたら。
後悔は、僕の心を蝕み続けた。
そして、五年の歳月が流れた。
あの雨の日の再会まで、僕の心は、ずっと五年前のあの日から、止まったままだった。
そして、今。
僕は、あの時の僕とは違う。
もう、何も臆することはない。
伝えられなかった言葉を、今度こそ、君に告げる。