第3話:転校の理由、交わされない「さよなら」
真白と連絡先を交換してからの数日間、僕はスマホを握りしめて過ごした。すぐにでもメッセージを送りたい気持ちと、何か間違ったことをしてしまわないかという不安が交錯する。結局、何通も下書きを書いては消し、送信ボタンを押せずにいた。
そんな僕の躊躇をよそに、翌日の夕方、真白からメッセージが届いた。
「昨日はありがとう。傘、助かったよ。今度、お礼させてほしいな」
そのシンプルな文面に、僕の心臓は大きく跳ね上がった。まるで、五年間止まっていた時間が、再び動き出したかのようだった。僕たちはメッセージのやり取りを重ねるようになり、再会の約束を取り付けた。
「あのさ、真白。どうして、あの時、急に転校しちゃったんだ?」
再会して間もない頃、僕は勇気を出して尋ねた。当時、真白は転校の理由を詳しく話さず、僕もまた、突然のことに動揺して、深く尋ねることができなかった。ずっと僕の胸に引っかかっていた、伝えられなかった「さよなら」の理由。
真白は、少しだけ視線を伏せた。
「ごめんね、陽翔。あの時は、色々とバタバタしてて……。父の仕事の都合で、急に引っ越すことになっちゃって。私も、本当にギリギリまで知らなかったんだ」
彼女の声は、どこか申し訳なさそうだった。当時の真白が、僕と同じくらい動揺していたことが、その言葉から伝わってきた。
「それで、連絡もできなくて、ごめん。引っ越してすぐ、携帯が壊れちゃって。新しいのを買ってもらえたのが、ずいぶん後だったから」
真白はそう言って、僕に小さな笑顔を向けた。その笑顔は、彼女が嘘をついているようには見えなかった。僕は、五年間抱え続けた、彼女が僕を避けていたのではないかという疑念が、少しだけ晴れたような気がした。
だけど、真白の左手の薬指に光る指輪を見るたびに、また別の不安が心をよぎる。転校の理由は分かったけれど、この指輪の意味はまだ分からない。そして、当時の「好き」を伝えそびれたことへの後悔は、依然として僕の心を締め付けていた。
五年前。
真白と屋上で過ごす昼休みは、僕にとってかけがえのない時間になっていた。他愛もない会話を重ねる中で、僕と真白の距離は少しずつ縮まっていった。彼女の些細な仕草や、読書に夢中になる横顔を見るたびに、僕の「好き」という気持ちは募るばかりだった。
ある日の昼休み、真白がいつもより少しだけ元気がないように見えた。
「どうしたの? 真白、なんか元気ないな」
僕が尋ねると、真白は手元の文庫本を閉じた。
「んー、ちょっとね。最近、父が急に忙しそうで……」
彼女はそれ以上何も言わなかったけれど、その表情はどこか不安げだった。僕は、何か力になれないかと心の中で思ったが、結局何も言えずに沈黙してしまった。
その数日後、それは突然の出来事として僕たちの日常に訪れた。
放課後、クラス担任が教室に入ってくるなり、真白の転校を発表したのだ。
「急な話で申し訳ないが、真白は来週の月曜日で転校することになった」
僕の頭の中が真っ白になった。来週の月曜日? たった数日後? あまりにも突然のことに、何が起こっているのか理解できなかった。クラス中がざわめき、真白はただ、俯いているだけだった。
放課後、僕は真白を呼び止めた。
「真白、転校って、本当なのか?」
僕の声は、震えていた。真白は顔を上げず、ただ小さく頷いた。
「ごめんね、陽翔。急で……」
「どうしてなんだ? どこに行くんだ?」
矢継ぎ早に質問を投げかける僕に、真白は何も答えなかった。ただ、俯いたまま、その華奢な肩を震わせている。
僕は、伝えられなかった想いを必死で心の中で叫んでいた。
(行かないでくれ。君が好きだ。君と、もっと一緒にいたいんだ。)
「真白……僕、」
喉まで出かかった「好きだ」という言葉。それを伝えれば、何かが変わるかもしれない。そう信じて、僕は口を開いた。しかし、その言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
「真白、帰るよ!」
教室の入口から、見慣れないスーツ姿の男性が、真白を呼んだ。おそらく、彼女のお父さんだろう。
真白は、僕に何も言わないまま、その男性の元へと駆け寄った。振り返ることもなく、僕の目の前から、いなくなってしまった。
僕は、その場に立ち尽くしていた。伝えられなかった「好き」の言葉と、交わされなかった「さよなら」の言葉。どちらも、僕の心の中に、深く刻み込まれた。
そして、その日を境に、真白との連絡は一切途絶えた。
僕の初恋は、あまりにも唐突に、終わりを告げたのだ。