5話 夕日の綺麗な金曜日の放課後だった
昼休みのチャイムが鳴った。
背後からかすかな人の気配を感じながら、凪は友人と廊下を談笑しながら歩いている。
マンションの火事以降、学校に居ると常に視線を感じている。
あからさまに凪を見つめている視線に対し無視を続けてはいたのだけど、さすがに無視も限界を迎える時がきた。
「ねぇ凪、あの1年生の男子にずっと付けられているの気付いているよね?」
「……」
「さてはあんたのファン?」
「……」
「モテるじゃん」
「……うるさし」
視線の主は先見 透。
凪と同様に魔法陣を身体に宿す男の子だ。
先日の件以来、絶縁されたにも関わらず凪を付け廻していた。
このままではあらぬ噂が広がる可能性もある。
と不安には思っていた凪は、友人に色眼鏡で見られ始めたため対応せざるを得なくなったのだ。
「さきに行っといて」
「あら、やっぱりそういう関係?」
「怒るよ……」
「ごゆっくり~」
友人と別れると、鬼の形相で先見のもとへ近づいた。
「声かけたら消すって言ったよな?」
「ちっ違います、誤解です」
「何が誤解さ?」
「先輩には微塵も用事はありません。僕がお話ししたいのは舌さんなんです」
「……お前やっぱりなんかイライラさせるのうまいよな!」
「ひっ!」
先見は一言多い癖がある。
出会って間もないが、凪はそこに嫌悪感を持っているのだ。
「学校で先生の話すんじゃねーって!怪しまれっだろ!」
「学校で先生の話するのは普通のことなんですけどね、フフッ」
「……」
「……」
「お前ホントに消すわ」
「ひっ!おっお待ちを!」
その時、先生が小声で凪の口内から話し掛けた。
「凪、学校が終わり次第先日の公園で話そう」
「なんでそうなるかな……」
凪は不本意ながら、先生からの伝言を先見に伝えた。
先見は凪の手を握りしめて大喜びをした。
その手をブランコのように左右に振って、全身を使って喜びを現した。
まるで告白に成功した男子のようなテンションで……。
まるでカップルのような仕草で……。
それを多くの生徒がいる廊下で……。
言うまでもなく、あらぬ噂は恐ろしいスピードで学校中に広がった。
――――
放課後。
夕日が綺麗に見える帰り道、凪はいやいや公園へ向かった。
火災のあったマンションは部分的にビニールで囲い、修繕工事の準備がされている。
マンションの点検不良による事故だということがわかり、点検や修繕が終わるまでの間すべての住人は系列の別のマンションやアパートに引っ越しさせられたらしい。
あの親子は元気でやっているだろうか?
ふと凪は気になった。
公園に入ると少し離れたところにベンチがあり、そこに先見が座っているのが見えた。
そして横にもう1人腰かけている人影が見える、女性だ。
「人を呼んでおいてデート中とは恐れ入ったわ」
「違いますよ先輩、紹介します。こちら僕の友人である柴田あかねちゃんです。あかねちゃん、こちらが先輩の白居さんだよ」
「えっ、あっどもっ白居 凪です」
「はじめまして、柴田です」
凪は先見と一緒にいる女性と挨拶を交わした。
見た感じ、あかねという女性は凪たちよりも少し年上だ。
杖を突いており、目に障害を持っているようだった。
腕や足のところどころに打ち身のような痣が見える。
「あかねちゃんは同じマンションに住んでいるお姉ちゃんで、昔から仲がいいんですよ」
「透くんから友達を紹介したいと言われたの初めてなの、白居さんこれからも仲良くしてあげてね」
「あの……失礼っすけど目が悪いんですか?」
「うん、昔は見えてたんだけど緑内障になってから完全に見えなくなっちゃって」
「そうっすか」
「毎日僕の話だけじゃつまらないでしょうし、先輩の話でも聞かせてもらえばと思いまして今日はお呼び立てしました」
「わたしつまらん女よ、おもしろトークなんてないから」
「なにをおっしゃる、学校じゃ悪目立ちしているじゃないですか!」
「やっぱ、いらん一言多いなお前……」
「ひっ!」
「あははっ、一言多いのは透くんの悪い癖だよね」
凪と先見のやり取りにあかねが笑った。
そこから凪は出会ってから間もない先見に関してのクレームを立て続けに披露した。
あかねが涙を流しながら楽しそうに笑ってくれるので、気が付けばそのまま1時間以上の井戸端会議を開催することになっていた。
「こんなに笑ったのは久しぶり、凪ちゃんありがとう」
「いえ、わたしも話を聞いてもらえてスッキリしました」
「またお話聞かせてね」
「私で良ければいつでも!」
18時を迎える頃、先見の袖を掴んであかねは立ちあがった。
先見が眼となりマンションまであかねを送っていく。
「それじゃぁ」
「バイバイ」
凪は2人を見送ったあと、ブランコに腰かけた。
先見にここで待つようにお願いされている。
「また戻るから待っていてくれって、何様よアイツ」
「そもそも私に話があるといっていたな、本題は先見が帰って来てからなのだろう」
凪は先見が戻るまでの間ブランコで遊んだ。
立ち漕ぎをするのは久しぶりで、思いっきり本気の立ち漕ぎをやってみた。
幼い頃に上がらなかった位置までシート部分をもっていける。
両親と公園で遊んだ記憶が蘇り、懐かしい気持ちになった。
「スカートでブランコする人の気持ちがわかりませんねぇ。パンツ見せたいんですか?」
「ぎゃあぁ!」
気が付くと先見がブランコの柵前に立っていた。
ブランコに興じる凪を呆れたような顔で見上げている。
凪は思った。
着地したらコイツを消してやると。
――――
右頬を腫らした先見へ先生が問う。
「ビンタを喰らったあとで話し辛いかもしれないが、私に話とはなんだ?」
「はい、実はですね……」
先見は急に真面目な顔になり、先生にお願いごとがあると言い出した。
その願い事を見越していたのか、先見が話し出す前に先生は一言告げた。
「あの娘の目を治せというのならやめた方がいい」
「えっ!?まっ、まだ何も言っていませんよ」
「あかねの目を治したいという話だろう?」
「そっそうです!ダメですか!?」
先見はあかねとの出会いから生い立ち、そして今に至るまでの話を語り始めた。
彼女が病気で失明をしてからのこと。
母親を病気で亡くした時のこと。
父親が再婚したこと。
その再婚相手から虐待を受けていること。
苦痛から逃れるためのリストカットによる自殺未遂……。
彼女の笑顔の裏には、想像を超える壮絶な人生が隠されていた。
凪が目にした腕や足にあった打ち身のような痣は、目が不自由でぶつけた跡などではなく虐待によるものなのだろう。
「再婚相手の母親が酷い奴で、目の見えないあかねちゃんを虐めてるんです。気に入らなければ殴ったり蹴ったり。食事も与えないし」
「どっかに相談できるところあるでしょうよ!?」
「目が不自由だと助けを求めるのも難しいみたいなんです。以前誰かがあかねちゃんの虐待のことを通報したのですけど、おばさんにごまかされて終わりました。それから虐待は一層陰湿に行われています」
「本当かよ、腹立つなそのババァ……父親は何してんだよ」
「おじさんは単身赴任でずっと家に居なくて」
「なんだよそれ。あかねさん地獄じゃん」
「痣だらけでやせ細った身体見たでしょう……あかねちゃんは何度も自殺を繰り返しています。可哀そうで見ていられないんです」
先生は黙って話を聞いていた。
先見の願いを簡単に聞こうとしないところをみると、何か思うところがあるようだ。
「彼女のリストカットしていた部分に魔法陣があったのは気付いていたか?」
「それは僕も今日初めて気付いて驚きました……」
「マジか!あかねさんも魔法使いかよ!」
「あの魔法陣は私の世界の魔法陣とは違うものだ、見たことのない形と式だった。この世界オリジナルのものだろう」
「先生の世界には無かった魔法陣ってこと?」
「先見の眼の魔法陣も正確に言えば私の世界の物ではない、向こうとこっちの世界では魔法陣のあり方がそもそも違うようだ」
「あかねさんの魔法陣の能力わかんないの?」
「あかねちゃんからそんな話を聞いたことありませんよ」
魔法陣を戦闘の道具として扱ってきた先生からすれば、魔法陣を持つ者同士が手の内を見せることは危険なことだ。
先生はあかねの魔法陣の能力が解らない以上は、深く関わるべきではないと考えた。
「目を治せるなら治してあげたらいいじゃん」
「あかねちゃんいつも言っているんです。目が見えたら、どうしてもやりたいことがあるって。その夢を叶えてあげたいんです」
「先生はあかねさんからわたしたちのこと世間にバラされないか心配してんじゃね?最悪記憶を消せばいいだけじゃん」
「あかねちゃんはそんな人ではありませんよ。秘密は必ず守る人です」
先生は黙ってふたりの会話を聞いている。
「先生、人助けじゃんコレ。治してあげようよ」
「お願いします。助けてやってください舌さん!」
ふたりの執拗な依頼に先生は一言だけ返した。
「……少し考える時間が欲しい」
先生がそう告げると、この日は解散することにした。
先見は最後まで目の治療を嘆願していた。
どうしても治してあげたい、その気持ちに溢れていた。
ひとりになった凪は、先生へ話しかける。
「なんか引っかかっているよね?やっぱ手首の魔法陣?」
それに対し先生は経験上での話、と断ったうえで答えた。
「能力のしれない術者に手の内を見せることなど自殺行為だ。ただこっちの世界は先見のように魔法陣やその能力に関して知識を持っていない人間が多いようだ。あかねもきっとそうなのだろう」
「なら心配ないじゃん」
「ただあの魔法陣……私の世界でいう結界陣に似ていた」
「なにそれ?」
「敵の術や呪いを抑え込む魔法陣のことだ」
「んじゃ、先生の呪言の陣が封印されて効かないとか?」
「どうだろうな」
「とにかくさ、やってみたらいいじゃん。わたし達に都合が悪くなったらその時考えようよ」
「……」
「先生、考え方が重いって」
「……凪は軽すぎるのだ。果たして眼の回復があかねの幸せに繋がるのか?」
「いやいや!眼が見えるなんて幸せに決まってんでしょ、馬鹿でもわかるじゃん。やりたいこともあるらしいしさ」
「ふむ……それなら良いのだがな」
先生はいささかの不安を持ちながら、凪の押しもあってしぶしぶ承諾することにした。
――――
翌日、学校の屋上で条件付きだけど、あかねの眼を治すことを伝えた。
それを聞いた先見は大いに喜んだ。
「依頼通り眼は治してやる。ただし当然あかねにも我々のことは他言無用にしてもらう。万が一にでも秘密をバラせば再び光を失うことになる。そう伝えろ」
「わかりました!」
「決行日はいつでも構わない、お前とあかねの予定に任せる」
「ありがとうございます!今日あかねちゃんに伝えて明日にでも治してもらえるようにいたします!」
善は急げと、先見は大急ぎで家に帰った。
その日の夜、先見から連絡が入り翌日の放課後に公園で集合することが決まった。
あかねには眼が見える様になると伝えたが、やはり信用されず説得には時間がかかったようだ。
真剣な先見の説明にあかねは半信半疑だったものの、凪とまた会えるということで集合することには承諾をしてくれたようだった。
翌日を迎え。
凪が公園に着く頃には先見とあかねはベンチに腰掛けて待っており、2人とも緊張している様子に見えた。
「あかねさん、お待たせしました」
「凪ちゃん、あなたが私の目を見えるようにしてくれるってどういうこと?嘘だと思っているけど、こんなに真剣な透くんはじめてだから……」
「先見から聞いていると思うんだけど、今日のことは絶対に誰にも言わないって約束してください」
「ふふっ、逆に何もなかった時に凪ちゃんが嘘つきだって言いふらそうかな」
「……約束してくださいね。誰かに言われたら、また眼は見えなくなりますから……」
「なんか怖いよ、凪ちゃん」
3人の間に少し沈黙の時間が流れる。
凪と先見は目を合わせ、いよいよ実行に移す時がきた。
「先生お願い」
「先生?」
凪が口を開けると舌の魔法陣が蒼白く光りだした。
先生が言葉を発し呪言の陣が発動する。
ー『この者の眼に告ぐ、再び光を取り戻せ!』ー。
「えっ!……誰の声?誰かいるの?」
あかねが見知らぬ声に驚いている、その矢先。
「先見、もう大丈夫みたい」
「あかねちゃん、詳しくはあとで説明するからとりあえず一度眼を開けてみて」
「えっ?えっ?」
動揺するあかねに先見がやさしく声を掛けた。
あかねは言われた通り、閉じていた眼をゆっくりと開けて見せる。
「!」
「どう?」
「うそ!」
「見える?」
「噓でしょ、見える」
「やったね!あかねちゃん!」
「透くん!?どうして?どうなっているのコレ?」
「ねっ信じてよかったでしょ」
「透君?……大きくなったね。記憶の君と全然違う」
「おめでとう、あかねさん」
「凪ちゃん?、信じられない。本当に眼が治るだなんて」
あかねの驚きは相当なものだろう。
不思議そうに自分の掌じっと眺めている。
空を見上げ、マンションを見て、公園を見渡し、眼の中へ待ち焦がれていた光をたくさん取り入れた。
その姿を見た凪と先見は、呪言の陣成功に喜び合った。
「ありがとうございます。白居先輩、舌さん!」
「大成功ってことで!ねっ先生」
「……あぁ」
3人の喜びが冷めやらぬ中、事態は変わった。
「なによ、このボロボロにあれた指……それにこの汚い爪」
「どうしたのあかねちゃん?」
「なに……このボロボロの服」
「あかねさん?」
「鏡、鏡を見せて!」
凪はバックに携帯していた手鏡をあかねに手渡した。
あかねはそれを受け取り自らの顔を鏡に映す。
しばらく鏡と睨み合ったあかねは身体を痙攣させて叫んだ。
「なによ!この顔、この肌、この髪!なんなのよ!」
「落ち着いて、あかねちゃん!」
「わたしはこんな酷い姿を……」
「……」
失明してからのあかねは父親の再婚相手から虐待を受けていた。
そのため、まともな食事を与えられないことで身体は痩せ細り、肌は荒れて爪には変形が見られた。
容姿に関しても放置されており、髪のケアや衣服の選択は自分自身の力でできる限りのことをしていたつもりだった。
しかし鏡に映った実際の姿は理想とは全く異なったものだったのだ。
先見の母親や支援制度の方々に髪をブラッシングしてもらったり服を着せてもらったりしていたことで、自身の現状をより良いものへと頭の中で作り上げていた。
それが光を取り戻したことで現実を知った。
何年振りかに見た世界に感動をしたのも束の間、目の前には成長した先見と綺麗に化粧をした凪がいる。
ふたりの姿が神々しく見えた後に、自分自身の姿を見て激しくショックを受けてしまった。
「あかねちゃん、これからだよ!これから全部やり直せばいいんだ」
「……」
「白居先輩も手伝ってくれるからさ、ねっ先輩!」
「あっ、あぁ、もちろんだよ。わたしで良ければ化粧とか流行りの服とかいっぱい教えますよ」
「……」
「うちのママにも手伝ってもらえるよ!」
「あかねさんはもう眼が見えるんだ、なんの心配もないじゃん。やりたいことあるんでしょ?それが今からできるんだよ」
「……透くん、凪ちゃん」
「眼を治してくれた先輩が言ってるんだ、心配なしで間違いないよ!」
「……」
「そうだ!次の日曜日に買い物にでもいきませんか?」
「あぁ!いいねそれ!」
「……2人ともごめんなさい、気を使わせてしまって。眼を治してもらったお礼も言ってないのに」
「そんな……お礼なんていいし」
「ありがとう凪ちゃん……それと、眼を治してくれた不思議な人」
「……」
あかねはこの場にいない声の主を探そうとはしなかった。
深入りすべきではないと判断したのか、それとも触らぬ神になんとやら……だったのだろうか。
眼を治した方法を聞こうとしてこなかったので、ふたりは詳細を控えることにした。
とにかくあかねが冷静さを取り戻したことに安堵したかった。
「今日は帰るね」
「あかねちゃん!一緒にいこうか?」
「ありがとう。でも今日は1人で帰ってみたいの」
「大丈夫?」
「うん」
「あとで日曜日の集合時間とかまた電話するよ」
「ありがと、日曜日にスマホの使い方とかも詳しく教えてほしいな」
「OK、OK!」
「それじゃ」
「バイバイ」
あかねは1人でとぼとぼとマンションまで歩いて帰った。
大喜びするあかねの姿を想像していたふたりは、180度違うこの状況に戸惑っていた。
「凪、手首にあった魔法陣が消えていた」
「えっ?どういうこと?」
「眼が見えた同じタイミングで消えた。なぜだ?」
「不安になる言い方やめてくれる」
「あの魔法陣が結界陣なら封印は解けたことになる。私はなんの封印を解除したのだろうか」
「実は視力が封印されていたとか?それを解いたから消えたとか」
「なんのために視力を封印する?とにかく先見、あの͡娘から目を離すな、慧眼と千里眼にて監視しておけ」
「はっ、はい!」
金曜日の夕方、2人は複雑な気持ちのまま公園を後にした。
こんなはずではなかった。
もっとハッピーな金曜日の夜を迎えるはずだった。
その日2人は、日曜日にあかねが元気を取り戻すことを期待し帰路へ着いた。