4話 振り上げた掌はこんにちは?さようなら?それとも・・・
男子生徒は先見 透と名乗った。
彼は魔法陣のことを何も知らず、両目に魔法陣が刻印されていることなど知らない様子だった。
舌の模様が急に会話を始めて質問をしてくる、こんな異常な状況を目の当たりにして先見は混乱をしていた。
「今のは腹話術ですか?」
先見は状況をまだ掴めていない。
先生はそんな先見にすべてを打ち明けてみることにした。
いざとなれば記憶を消せばいい。
「腹話術ではないぞ。私は生きる魔法陣。発した言葉を現実に置き変えてしまう黒魔術の魔法陣だ」
「先輩、中二病のイタい女だったんですか!」
「わたしが話しているんじゃない、この舌の魔法陣が話してるんだよ!これと同じような物がお前の目にあるって言ってんだ。バカ!」
「ひぃ!」
凪は先見へ先生のことを詳しく説明した。
先見は現実味の無い話に理解が追いついていない様子だ。
普通の人からすれば当然のことだ。
「両目の魔法陣には気付いていないようだが、己に宿る能力には多少気付いるのではないか?」
先生は話を続けた。
先見は少し驚いた表情を見せて黙り込んだ。
「お前の意思とは関係なく少し先の未来が見えたりするのではないか?」
「えっ?」
「術の発動を禁じた途端に視界がおかしくなったと言った。未来が見えなくなったのだろう」
「そっそうです、そうなんです。どうしてわかるんですか!?」
先見が先生の話に食いついてきた。
魔法陣に関しては本当に知らなかったようだが、眼のことに関して思い当たる節はあるようだ。
「幼い頃から数秒後が見えたりするんです。これって魔法だったんですか?」
「慧眼の陣を宿しているのか。高等魔術だ。両目に魔法陣を持っているようだが未来が見えるだけか?」
「目を凝らせば結構遠くの景色とか見えます」
「ほう、千里眼の陣か。珍しいな」
先見は幼い頃から不思議に思っていた眼に関しての謎が解けつつあった。
意思とは無関係に未来が見えたり、遠くが見えたりして随分と不便だったようだ。
しかし、先生曰く今から状況が大きく変わるらしい。
魔法陣の存在を理解した上で力を発動をさせれば、その力は自在に操れるらしいのだ。
「そうなんですね!それじゃ、僕はあのランダムに視界が変わるストレスから解放されるんだ!」
「本来の魔法陣とは紙などに書いた物を持ち歩き、それを戦闘時に取り出して使用するものだ。凪とお前のように身体に刻印して術を発動させるパターンはこの世界特有のものだ」
「でも魔法陣持ってる奴と今まで出くわしたことないよ」
「こっちの世界には自分が魔法陣を持っていることに気付いていない野生の魔導士が多いようだ」
「そうなんだ」
凪と先生が話し合っていると、先見が近づいて来た。
「あの〜、先輩と舌さん。僕の眼のことは内緒でお願いします」
「それこっちのセリフなんだけど……うちらのことも内緒だからね」
「僕は穏やかな生活を求めているんです、そっとしておいて欲しいです」
「だからそれもこっちのセリフだって」
先見が凪たちのことを周りに言いふらすことはなさそうだ。
自らの力を理解したことで、眼の力を自在に操れるようになったことを喜んでいる。
今も数秒後の未来を見たり、遠くを見たりして眼の能力を確認しているようだ。
「わたしら行くわ」
先見に声をかけて凪は去ろうとした。
先見は返事もせず、公園横のマンションを黙って見上げていた。
どうやら望遠の陣で、マンションの部屋を盗み見しているようだ。
それに気付いた凪はドン引きしながら先見に怒った。
「おい、ド変態!人の部屋覗いてんじゃな……」
「あのマンションの部屋……」
「……あん!?」
「爆発する……」
「はぁ?」
ードーン!ー。
激しい爆発音とともに大気と地面が揺れた。
先見の言った通り、マンションの一室から大爆発が起こったのだ。
飛び散ったタイルやガラスの破片が落下してくるのが見える。
「マジか!」
「小さな子供が2人あの部屋に取り残されてます。お母さんが今の爆発で気を失って動けないんだ」
「こんなときは消防車か?それとも救急車呼ぶ方がいいの!?」
「間に合いません。子供達がお母さんを庇って火に飲まれてもうすぐ……みんな死んじゃう」
今までヘラヘラしていた先見が一転して絶望の表情を見せた。
あの部屋で起こる未来をその眼が見せているのだ。
「未来が見えても遠くが見えても、僕の力って何の役にも立たない……」
逆巻く炎が部屋から噴き出した。
上の階や隣接する部屋へ引火していく。
今の爆発音で周辺の住民が集まり始めた。
写真を撮る人、誰かに電話を掛けて見学に来るよう催促している奴、ライブ配信しているバカ。
先見はそんな連中を見て心から軽蔑したが、この状況で何もできない自分がそれらの人間となんら変わらないように思えた。
「お前の力は役に立つぞ、先見」
「!?」
呆然としている先見に先生が声を掛けた。
「凪と先見はあの部屋まで向かえ、我々ならその家族を救える」
「本当かよ!」
「もちろんだ」
先生に言われた通り2人はマンションまで走った。
現場は5階の一室、マンション中の住民が避難をし始めてエントランスや非常階段が混雑している。
「先見、5階の部屋まで一番早く行けるルートを見つけろ。その眼なら最善のルートを見つけられるはずだ」
「……たぶんこっちです。非常階段は降りてくる人達が多くて上がれそうにない。エスカレーター緊急停止がかかって動かない。東側の階段は比較的人が少なくて上がっていきやすいと思います」
「よし、なら東側の階段から5階にいくぞ!」
10階建てのマンション。
降りて来る住民たちと逆行して凪たちは5階へ駆け上がる。
避難する住民から非難するように言われたが2人は突き進んだ。
何度か爆発音が聞こえた。
ガス漏れが原因の爆発のようだ。
4階までは煙の臭いが凄かったものの、炎の被害はそれほど見られなかった。
しかし辿り着いた5階は別世界だ。
火の海。
丸腰の2人が歩いて行ける状況の廊下ではない。
「先生、さすがにこの火じゃ先に進めねぇよ」
凪が声をあげた。
そして先生はその声に応える。
ー『我々に炎は降りかからない』ー。
呪言の陣の発動。
「これで大丈夫だ、進め!」
「本当に大丈夫なのか?先生!」
「炎が私たちに降りかかることを禁じた、気にせず進めばいい」
呪言の陣の効果範囲は声が届く範囲。
声が届かない場所や物には術を発動させられない。
だからこそ直接5階まで向かわなくてはならなかった。
凪と先見は先生を信じて、爆発した部屋まで急いだ。
燃え盛る炎は2人を避ける様に動いている。
まるで炎のトンネルを潜っているようだった。
「先輩止まってください!」
「今度はなに?」
天井にある点検口のカバーが、爆発と炎の勢いで外れて落ちてきた。
カバーが凪の前髪をかすめる。
今の呼び止めが無かったら直撃だっただろう、また先見に助けられた。
「ありがと」
「急ぎましょう!」
ふたりは目的の部屋へ辿り着いた。
先見は扉を開けようと取っ手を握った。
「あつっ!」
火に炙られた取っ手は直接握れる物で無かった。
しかも施錠されていて、入室は困難な状態だ。
ー『扉よ開け!』ー。
その一言で、2人の行く手を遮っていた扉は自動扉のように開いた。
部屋に入ると、出火ポイントなだけあってすでに壁が燃え崩れている。
炎の勢いが尋常ではない。
子供の叫び声が聞こえる。
ひとつは母親の名前を呼び、もうひとつは泣いている。
凪たちはその声の方に急いだ。
5歳の男の子と3歳の女の子は意識の無い母親に覆いかぶさり、幼いながらも母親を助けようと懸命に戦っているように見えた。
「大丈夫!」
「ママが、ママがぁ!」
母親は酷い火傷だ。
直視できないほどの火傷を負っている。
このような状態の3人をどのように運んで避難ができるのか凪には検討が付かなかった。
「本来なら傷や火傷の回復は白魔術のお家芸だが、今の私なら何とかできるだろう」
「助けられるの!?」
ー『この者の火傷は癒えて、意識は回復する』ー。
呪言の陣で母親の火傷はみるみると消えていき、意識を取り戻した。
「ママー!」
「奏、薫……どうして……どうしてこんなに部屋が燃えているの!?」
母親は爆発の衝撃で記憶が完全に飛んでいた。
火に包まれた部屋と自分たちが置かれた状況に気付き、子供たちを守ろうと抱き寄せた。
そこで先生が先見に質問をする。
「先見、マンションの周辺で人の集まりが無い場所はあるか?」
「えーと、マンションの裏側には人がいないですね。すぐ川ですし、この火事自体がそっち側から見えていないので人の集まりはなさそうです。なぜそんなことを聞くんです?」
「マンションの裏側を見たい。どこに行けば見ることができる?」
「廊下を出て反対側の部屋へ行けば、その部屋のベランダから裏側を見ることができます」
「よし、全員で移動するぞ」
5人は反対側の部屋に移動した。
ベランダから外をのぞき込むと大きな川があり、とても人の集まれそうな場所ではなかった。
遠くから無数のサイレンが聞こえてくる。
救急や消防がもうすぐ到着する。
「全員ここから飛び降りる」
「はぁ!バカじゃね!死ぬわ!」
「私がいる。問題ない」
「子供がいるんだ、飛べるわけないだろ!」
先生は怒る凪をよそ目に、母親と子供たちに向かって術を発動させた。
ー『眠れ!』ー。
3人はその場で深い眠りに入った。
先生は続けて唱える。
ー『この場の全員が木の葉のようにゆっくりと大地に舞い落ちる』ー。
そう言い終えると5人の身体は浮かび上がり、5階のベランダから落ちてゆく。
唱えた言葉通り、木から落ちる木の葉のようにゆっくりと……。
「うそだろ……」
「先輩、夢じゃないですよね。コレ……」
5人は無事に川沿いの草むらへ着地することができた。
「すげー!先生すげーよ!」
「まだだ」
「えっ」
ー『目覚めた時、我々の一切の記憶が消えている』ー。
先生は親子に向かって最後の呪言を使った。
「この家族はもう大丈夫だ。数分後に目を覚ます、我々はこの場から去るぞ」
凪と先見は言われた通り、親子を置いてその場から離れた。
そして凪は救急隊が到着すると、すぐにマンションの裏に人が倒れていることを伝えた。
ふたりは救急隊が3人の元に駆け付け、親子が保護されるのを確認してからマンションを離れたのだった。
――――
ふたりは少し離れたところにあるコンビニまで移動した。
先見は軽い興奮状態だ。
「先輩!呪言の陣って凄いじゃないですか!僕、感動しました!」
「わたしは何も凄くない、凄いのは先生。あんたも凄かったよ」
凪たちはほんの数分間の出来事だったが、力を合わせて人助けができたことを賞賛し合った。
凪は昨日舌に現れたしゃべる魔法陣の活躍に喜び、先見は今まで一か八かで発動していた眼の能力が人のために操れたことを喜んだ。
「今日のことは絶対に2人の秘密ですからね、先輩!」
「あんたもね、まぁ誰に言ってもこんな話信じないだろうけど」
「そうですね、誰も信じ……」
先見が話し途中で膝から崩れるように倒れた。
凪は慌てて先見に駆けよる。
「あれ?」
「大丈夫かよ?」
「なんでかわかんないけど、身体に力が入らないんです。どうしよう……」
「魔眼を使い過ぎたな。少し休めば問題ない」
眼に宿る魔法陣、つまり魔眼を自在に操れるようになった先見はその力を短時間でフル活用していた。
己の魔力のキャパシティが掴めていない中で無理な使い方をしていた。
機械でいうと電池切れ、ガス欠に近い状態へなったのだ。
「僕は家がすぐそこだから公園に居たんですけど、先輩も家がこの辺りなんですか?」
「親に買い物頼まれて偶然通りかかっただけよ」
「そうでしたか、僕のことは気にせず買い物へ行ってください」
「さすがにこんな状態の奴見捨てて行けないっしょ」
「先輩、貧乳なのにお優しいですね……」
「……」
凪は掌を先見の前に上げて見せた。
「人助け成功のハイタッチですね」
先見も掌を上げて凪の掌と併せようとした。
2人の掌は合わさることなく空を切り、凪の掌は先見の頬を激しく打った。
「ひっ!」
凪は悪魔のような表情で先見の耳元に顔を近づけた。
「次、貧乳言ったらこの世から消す」
「ひっ!」
「学校で見かけても声かけるな、消す」
「ぶひっ!」
確かな殺意を見せながら、そう言い残して凪はその場を去って行った。
せっかく見つけた凪以外の魔法陣を持つ人間。
先生は今後のためにも彼の存在は重要だと思ったようだが、人間性が2人を噛み合わさなかった。
時間をかけて2人の仲を改善させて行くしかないようだ。
先生は今日1日を通して通学時、学校内、帰宅時とこの異世界を観察していたが、魔法陣を身体に宿す人間を何人か見かけた。
その者達は先見と同様に知らず知らず力を発動させていたり、刻印があるだけで未使用の者もいた。
先生はこの異世界にも多数の魔法陣があることに一抹の不安を抱いていた。
そしてその不安は、現実のものになりつつあるのだった。